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「わかもの・よそもの・ばかもの」

まちづくりには
若者
余所者
馬鹿者
が必要だと聞いたことがある人はどのくらいいるだろうか。

まちづくりの話になると必ず出てくるキーワードみたいなものである。
今回はその中でも馬鹿者についての考えをまとめよう。


先日青年会議所の方々とお話をする機会があった。
とても貴重な機会だった。企画をしてくださった方には感謝しかない。

その中で自分の夢を語ることがあった。
大人に夢を語るなんて恥ずかしかったり、批判されるんじゃないかなんて気持ちがあって普段はなかなか言えないものだがお酒の力もあってかスラスラと言葉が出てきた。

軽く私の夢を紹介すると『大好きな地元をもっと盛り上げたい』というものだ。
詳しくはいつか記事にでもしよう。

その話をした時に言われた。
「馬鹿者でいろ。俺たちなんか見てもわかると思うけど馬鹿者で熱いやつばっかりなんだよ。こういう人間がまちを変えられる」
「馬鹿者で居続けてくれ」
何度も馬鹿者という言葉を言われたし、前々から馬鹿者でいたいと思っていた私のは特別響いたということでもない。

今は馬鹿者であり、若者だ。
だからこそ馬鹿者出ることが許されているのだ。

いつまで馬鹿者でいられるのだろうか。

大学卒業まで?家族を持つまで?部下を持つまで?人生が終わるまで?

誰もこのことについて教えてくれる人はいない。
今これを読んでいるあなたは知っている?


馬鹿者でいられる期間は、私にはあとどのくらい残ってるの

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