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【イギリス・スコットランド】リニーマン

場所:ウッドヒルハウス、アバディーン、スコットランド
時代:西暦700年頃?

リニーマンの石板
リニーマンの説明板

リニーマン(Rhynie Man)と呼ばれているこの彫刻は、斧を持った男のまるで漫画のような描写で、高さ1.8メートルの斑れい岩の板に彫られた古代の石板です。1978年にアバディーンシャーのリニーという村のすぐ南にあるバーフラットで農作業中に発見されました。現在リニーマンは、アバディーンの町の西端にあるアバディーンシャー議会本部(Aberdeenshire Council Headquarters)である、ウッドヒルハウス出入り口の受付エリアで展示されています。議会本部前には駐車場があり、空いている場所があれば、通常のオフィス営業時間中に訪問できます。私は2017年夏に訪れましたが、受付の方にリニーマンを見に来たと言えば、快く見せてもらえました。

リニーマンの細部
リニーマンの石板の厚さ

リニーマンという彫刻はとても珍しい存在で、当時スコットランドに住んでいたピクト人の時代にまで遡るもので、この当時の人物の彫刻はこれまでほとんど発見されていません。よってリニーマンが彫られた石を比較できるものはほとんど存在しないため、年代を特定することが極めて困難になっています。これまでにさまざまな説があり、現在はこの石は西暦500年代から800年代のものとされていますが、もしこの石がもっと古い時代のものであれば、リニーマンはケルトの神エススの描写とも考えられます。ピクト人の先祖であるケルト人は、エススを斧を持った木こりとして描写しており、彼らは木に吊るした生け贄をエススに捧げていました。この石がもっと後の6~9世紀の頃のものであれば、ピクト人の王または伝説の人物、あるいはキリスト教に関連して聖マタイを表している可能性もあるとのことです。このように、リニーマンの像の正体は今もって不明ですが、大きな頭、特徴的な髪型とくちばしのような鷲鼻、尖った歯、長いあごひげをたくわえており、腰にはベルトを締めてチュニックを着ています。リニーマンが持っている斧の柄は非常に細いことから、武器や道具としてではなく儀式用のものではないかと考えられています。リニーマンの石板は、1978年にスコットランドの農家によって偶然発見されましたが、リニーの村では2011~12年に行われた発掘調査で、地中海地方の陶器、フランス製のグラス、アングロサクソンの金属細工などが出土しており、交易の距離が長いことから、ここは王室ゆかりの地であったのではないかと推測されています。

アバディーンシャー議会本部(Aberdeenshire Council Headquarters)出入口に置かれたリニーマン

ピクト人というのは、中世ヨーロッパにおける最も謎めいた種族で、ローマ帝国支配下の頃にカレドニアと呼ばれていたスコットランド地方に居住していたコーカソイド種族ですが、ローマ侵攻からバイキング襲来の間、ハドリアヌスの長城以北の、まさに霧に包まれたこの土地を支配していた彼らについて、わかっていることはほとんどありません。当時の人々ですら、ピクト人はミステリアスな種族で、彼らは未知の言語を話し、凝った意匠の刺青を施し、海を支配し、女系継承を行なっていたとされています。ピクト人は文字を残さなかったため、彼らについて知られていることはすべて、敵であったローマ人が記したことに基づいています。西暦297年、ローマの作家エウメニウスがハドリアヌスの長城以北に住む人々のことを、化粧をした人々という意味である「pictus」と記したことから、ピクト人と呼ばれるようになりました。これが彼らについて最初の記録となり、またアイルランドにおける最初の記述では、ピクト人のことを意匠の人々の意味である「Cruithni」と言及していました。一説によると、ピクト人は自身の言葉で先祖を意味する「Pecht」と自らを呼んでいたと言われています。ピクトに関連する「Pett」や「Pitt」が付く地名は、今でもスコットランド北部に残っているそうです。ピクト人は部族連合であり、共通の敵との戦いを通じてアイデンティティを確立していました。ローマは何度も征服を試みましたが、ほとんど失敗しました。また後の時代になると、ヴァイキングの侵略に対抗するために、それぞれの部族は結束を深めました。西暦900年頃までにはピクト人は歴史の記録から姿を消していますが、おそらく南部のスコットランド文化と融合し、吸収されていったためだと考えられています。


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