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【愛媛県】八坂神社
場所:愛媛県西宇和郡伊方町河内
時代:平安時代末期
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八坂神社といっても京都・祇園にある、かの有名な八坂神社ではありません。八坂神社と名乗る神社は全国に約2300社あるといわれているそうですが、そんな中の地方にある小さな一社です。ここを訪れたのは2017年9月。といってもこの場所は、私の故郷である八幡浜市のすぐ隣、四国電力伊方原発で有名な西宇和郡伊方町にありますが、とにかく昔はこのあたりは交通の便も悪く、ほとんど訪れることがないため、神社の存在も最近まで全く知りませんでした。しかし現在は三崎半島に延びる国道197号線が拡張され、メロディーラインが造られたりして地域の観光に力を入れているようです。神社へ行くには三崎半島への国道のほとんど入り口にあたる、保内町から伊方町へ入ったすぐのところで広い国道から狭い農道に入ります。当時、神社の正確な場所はGoogleマップにも載っていなかったので、近くまで行ってストリートビューで場所を確認しました(こんなところにもストリートビューの撮影車が来ているとは驚きでした)。神社の周辺には少しばかり人家がありますが、神社は木々が生い茂っていて日中でも薄暗い石段を上がっていくと、コンクリート造りのかなり新しい本殿があります。しかし境内には落ち葉が積もり、周辺の木々にはたくさんのクモの巣が垂れ下がっていて、下を通ると顔にかかってくるほどで、地元の管理の人以外ほとんど誰も来ていないと思われます。本殿は最近建てられたようですが、周囲にある境内社(摂末社)は本殿よりだいぶ古いようです。
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この神社の由緒は、平安時代末期の源平合戦にまで遡ります。合戦で敗れた平氏一門とともに、8歳で壇ノ浦にて崩御されたという安徳天皇ですが、実は密かに源氏の追っ手から逃れ、人里離れた山奥に隠れ住んだという伝説は各地に残っています。ここも全国に30くらいはあるという安徳天皇ゆかりの地のひとつで、逃れてきた平氏従者とともにやって来た安徳天皇を祭った神社であるという言い伝えがあります。実際、隣の八幡浜市保内町の山中には、平家谷という地名の場所があり、落ち延びた平氏の侍が隠れて住み着いた所と言われており、私の同級生にも「平家」さんという人がいましたが、現在に至るまでこの姓を受け継いでいる子孫がいます。今でもそこそこ深い山の中にある平家谷では、夏になると「そうめん流し」が行われていて、地元の観光地になっています。
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伊方町に伝わる伝承によれば、壇ノ浦の戦いの後、安徳天皇一行は瀬戸内海を落ちのびて、伊予国伊方越に上陸したとされています。その場所を退の浦と言い、海岸に横たわる大きな岩は「天皇のお上がりの岩」と呼ばれていて、安徳天皇主従が伊予逃亡の第一歩を印した場所で、退の浦は後に鯛の浦と呼ばれるようになり、休息の地には鯛之浦神社が残されたということです。しかし一説には、退の浦に上陸した安徳天皇はすでに崩御しており、その玉体は伊方越えをして、河内の山中に手篤く埋葬されたといいます。それがこの伊方町河内にある八坂神社ですから、史実であればここはいわゆる「安徳天皇陵」ということになるはずです。
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定説では幼少の安徳天皇は、源平合戦の決戦地壇ノ浦で平家一門とともに海中に没して亡くなったとされています。しかし京都の醍醐寺に伝わる史料を編纂した醍醐雑事記によると「先帝(安徳帝)行方不明」とあり、また平安末期から鎌倉初期のころ、公家九条兼実執筆の日記である玉葉でも「旧主御事、分明せず(先皇についてははっきりしない)」と記されていることなどから、実は安徳天皇は壇ノ浦で没しておらず、密かに脱出して隠れ住んだという伝説・伝承が平家落人伝説とともに各地に残されていることはとても興味深いですね。しかも全国には安徳天皇陵とされる場所が、なんと十数ヶ所あると言われていて、私はここ以外にも、高知県横倉山と長崎県対馬にあるそれぞれの安徳天皇陵を訪れたことがあります。
さて伊方町の八坂神社近辺には、源氏ヶ崖、平家崖、ハラ木谷(腹切谷)などのほか、平家様、荒神様、妙見様と呼ばれる平家ゆかりの地名や小祠が残っているそうです。なお、江戸時代までこの神社は天皇様または天皇山、周囲の森は皇子ヶ森と呼ばれて親しまれてきたといい、一説によると安徳天皇は家臣とともに21歳までここで生きたとも伝わっているそうです。