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【スペイン】サン・フアン・デ・バニョス教会

場所:バニョス・デ・セラート、パレンシア県、カスティーリャ・イ・レオン州
時代:7世紀(西ゴート王国時代)

サン・ファン・デ・バーニョス教会

スペイン北部、バリャドリードとブルゴスの間にある町、パレンシア(Palencia)の南バーニョス・デ・セラートというところにあるサン・ファン・デ・バーニョス教会(Iglesia de San Juan de Baños)は、かつての西ゴート王国で最も重要な宗教建築物であり、スペイン最古のキリスト教教会と考えられています。内部に保存されている碑文によると、661年に西ゴート王レセスヴィント(在位649~672年)の命によって建てられたことがわかっています。歴史的観点から、この碑文の最も重要な点は、寄進者の名前と創設年(661年)の日付がはっきりしていることです。教会の起源についての情報も残されており、すべて大文字で書かれている碑文の内容は、7世紀に編纂されたトレド写本を写したもので、現在残っている10世紀の写本にも保存されています。
その後教会は、西ゴート王による奉献後間もなくして、イスラムによる征服と支配により使用されなくなりましたが、おそらくイスラム教徒が洗礼者聖ヨハネに敬意を表していたため、建物は破壊されなかったと考えられています。そして後にレコンキスタ運動が始まり、キリスト教徒によってドゥエロ渓谷が再征服された後、この教会はドニャ・ウラカ女王(レオン・ガリシアのウラカ1世、在位1109~1126年)の資産の一部となり、後に彼女はサン・ファン・デ・バーニョス教会の少し南にある、サン・イシドロ・デ・ドゥエニャス修道院の修道士たちに寄贈しました。サン・ファン・デ・バーニョス教会は17世紀までは教区として機能していましたが、町に新しい教会が建てられたため、地方の一礼拝堂となってしまいました。

教会正面
教会側面
教会後方

これまでの多くの考古学的調査によると、教会は何度かの再建と修正を受けてきました。壁は大きな切石で作られ、ローマ時代の他の建物の廃墟から運ばれてきた、4本の大理石の柱が身廊を区切るアーチを支えています。これらのアーチは馬蹄形で、典型的な西ゴート様式となっています。建物の中堂や内陣の中央部分は西ゴート時代のものですが、切妻屋根とそれを支える壁は後の時代に建てられたものです。彫刻の装飾は古典的で、8つのコリント様式の柱頭が身廊を区切るアーチを支えており、そのうち6つはローマのコリント様式の伝統に従って彫刻されています。柱廊玄関の外側のアーチも西ゴート時代のオリジナルですが、壁の上部にある鐘楼は1865年に建てられたものだそうです。

正面出入口
教会内部
壁面にみられる西ゴート様式の装飾
柱頭の装飾
窓の装飾

サン・ファン・デ・バーニョス教会の道路を挟んだ隣には、「レセスヴィントの泉」という史跡があるのですが、その水でレセスヴィント王の健康が回復したことが、この教会の建設の動機となったそうです。この泉はケルトやローマ時代から知られていて、当時から健康になる水が湧き出ると評判だったようで、その時レセスヴィントは戦争からの帰途にありました。腎臓の病気を持っていたため気分が悪くなり、この小さな町で休憩するために立ち寄りました。この休息中に、彼は以前ローマの浴場があった場所にあるこの泉の水を飲み、急速に回復を遂げたという奇跡的な出来事が起こり、感謝の気持ちを込めてその場所に洗礼者聖ヨハネに捧げられた教会を建てることに決めたといういきさつがあったそうです。

教会周辺

この教会を訪れたのは2005年なのですが、まだこのときの1回だけで再訪していません。紙の地図を頼りにレンタカーで乗り付けましたが、町は小さかったためか難なくたどり着けました。教会は開いていましたが、他に訪れている人は誰もおらず、おそらく学生のアルバイトとおぼしき若い女性が、暇そうに読書をしながら番をしていました。残念ながらここを訪れた当時は、まだスマホなど持っておらずネットで調べることもできなかったので、現地の情報はほとんど調べていませんでした。もったいないことですが、最後に書いているレセスヴィントの泉も、道を隔てた反対側という近い位置にあったにもかかわらず、全く知りませんでした。次回再訪したときは、碑文とともに必見だと思っています。


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