【群馬県】上野三碑
場所:群馬県高崎市
時代:飛鳥時代~奈良時代(7世紀末~8世紀初め)
.上野三碑(こうずけさんぴ)とは
古代上野国(現在の群馬県)にある3つの石碑で、現在18基だけ現存している古代(7~11世紀)の石碑のうちの3基がここにある。これまでに上野三碑の3基含め、計14基実際に訪れて見ることができた。群馬県高崎市にある上野三碑は、3基とも国の特別史跡に指定されており、市内山名町と吉井町にまたがる径3km範囲内に存在している。高崎市では、上野三碑を観光の目玉としてアピールしており、三碑を巡る無料巡回ミニバスを運行している。また通常は、碑を保護する覆屋のガラス越しでしか実物は見ることができないが、毎年1回、碑文に刻まれた和銅4年3月9日にちなみ、同日に近い日曜日に扉を開けて公開している(ちなみに2023年は3月12日の日曜日)。私が2回目に訪れた2019年3月10日は、本当に偶然だったがこの年の一般公開日であったため、ガラス越しではなく直接見ることができ、非常にラッキーだった。
山上碑(または山ノ上碑、やまのうえひ)
飛鳥時代の681年建立で、高さ約1.1m。放光寺の僧長利が母である黒賣刀自の供養のために制作した墓誌で、漢文は日本語の語順で記されている。完全に残っている石碑としては日本最古のものになる。碑のすぐ隣には、おそらく黒賣刀自が埋葬されたと推定される山上古墳がある。
2009年訪問時には石室内に屈んで入ることができ、奥の広い石室の壁面に彫られた仏像を見ることができたが、内部は湿気が多く虫がいるため、たぶん入るのを躊躇する人は多いと思う。ところが2019年訪問時には、残念ながら入口前には立入禁止の札が置かれていた。
多胡碑(たごひ)
奈良時代の711年(和銅4年)頃建立で、高さ約1.2m。碑身は自然のままの石ではなく四角柱に加工してあり、前面に6行80文字が刻まれ、頂部には笠石が載っている。碑身は台石に載せられているが、基部が倒壊防止のため固定されており見ることができない。この碑の内容から、この地域に多胡郡が新設されたことを記念して制作されたことがわかっている。郡設置に関わった朝廷有力者として、穂積親王(天武天皇第5皇子で太政官)、石上麻呂(左大臣)、藤原不比等(右大臣)の名が記されている。多胡碑に刻まれた文字は、北魏の六朝楷書に近く現在でも書の手本とされているとのことだが、こう言っては何だが、正直なところ小学校高学年くらいの子供の字に見えなくもない。本場中国西安の碑林にある石碑の文字とは比ぶべくもないが、まだ自分のほうが上手いと思えるような字だと思ってしまった。碑のすぐそばには、立派な多胡碑記念館があり、高崎市の力の入れようがわかる。
金井沢碑(かないざわひ)
奈良時代の726年(神亀3年)建立で、約1.1m。三家(みやけ)一族が仏教の教えをもとに結束することを誓った石碑。碑文の最初に「上野國羣馬郡…」とあるが、これは羣馬(群馬)の文字が群馬県内で使われた最古の例となっている。なお、金井沢碑と山上碑は山道で繋がっており、ちょっとしたトレッキング気分が味わえる。途中には戦国期の山名城跡、根古屋城跡があって堀や郭の遺構が残っている。ところで現地の説明板によれば、根古屋城の辺りには武田信玄の埋蔵金の伝説があるらしく、以前実際に地元の子供が戦国時代の古銭を拾い、新聞に載ったとのこと。