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【イギリス】オッダ礼拝堂
場所:ディアハースト、グロスターシャー州
時代:11世紀
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オッダ礼拝堂は、バーミンガムの南約80kmのところにある、グロスターシャー州ディアハースト(Deerhurst)という村に残っている古い小さな礼拝堂です。ディアハーストには2つのアングロサクソン時代の礼拝所がありますが、このうちの小さい方です。より大きく古いのはセント・メアリー修道院教会です。どちらの建物もベネディクト会修道院として、現在英国の指定記念物となっています。ここには2013年9月に訪れました。しかしバーミンガムからは離れているし、近くの大きな町といえばグロスターくらいですが、こちらもあまり観光面で有名とは言えず、ほとんどの人は知りませんよね。現に訪れたとき、他に見学者は誰もいませんでした。わざわざディアハーストを訪れる人は、ほぼ間違いなくこの2つのアングロサクソン教会を見るためにやって来たんだと思います。イギリス史における大事件、アングロサクソン王国末期に建てられ、新たな征服者ノルマン人の王国への変遷を見届けた建物を訪れることは、当時の歴史を垣間見たような気分になります。
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礼拝堂は11世紀の後期アングロサクソン様式の建物で、1056年、イングランドのノルマン人による征服のちょうど10年前に完成したものです。イングランドに現存する最も完全に残るサクソン教会のひとつで、エドワード懺悔王(Edward the Confessor、1004〜1066年)の親戚であるオッダ伯爵によって建てられました。しかし1540年代になると、国王ヘンリー8世とエドワード6世の宗教改革によって礼拝堂は教会機能を廃止され、17世紀には農家の一部となり、身廊部分にはキッチン、内陣には寝室が設けられるなどそれまでの礼拝堂としての歴史は忘れ去られてしまいました。今も礼拝堂の建物は、このときの農家の建物と繋がっています。
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しかし1675年になって、地元の地主であったジョン・パウエル卿がディアハースト近郊の果樹園で、ある石板を発見しました。彼は裁判官であり、石板に刻まれたこの礼拝堂の奉納に関する11世紀のラテン語の碑文を解読できるほどの教養がありました。「オッダの石」と呼ばれているこの石板は、現在オックスフォードのアシュモレアン博物館に所蔵されており、この礼拝堂には写真のようにレプリカが展示されています。碑文の内容は以下のように訳されています。「オッダ伯爵は、この場所から天国に召された兄のエルフリックの魂のために、聖三位一体を称えてこの王の間を建設し奉納するよう命じました。エルドレッドは、イングランド王エドワード(懺悔王)の治世14年目、4月13日(15日?)の2日前にこの建物を奉納した司教でした。」
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しかし石板が発見された当時は、礼拝堂そのものの存在はまだ気づかれませんでした。そして1885年、農家の隣に繋がっている石造りの建物が修理されているとき、作業員が壁の漆喰の裏にアーチ型の窓を発見しました。さらに漆喰が取り除かれると、かつての礼拝堂の石壁が姿を現しました。この石造りの建物がオッダ礼拝堂であることを証明する鍵となったのは、その中で見つかった二つ目の碑文でした。16世紀の煙突の壁にあったその傷んだ碑文には、「この祭壇は三位一体を称えて捧げられたものである」と刻まれていました。
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このように19世紀後半になって礼拝堂の建物が再発見されるに至り、その歴史的価値からやっと修復が始まって、20世紀になるとさらに修復・復元が進みました。現在はイングリッシュヘリテージ(English Heritage、イングランドの史跡を管理する慈善団体)によって管理されています。