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【令和5年度決算】を荒海視点で総括!

町の方向性が現れてきた決算!

9月定例会は、「決算議会」です。令和5年度決算の評価検証と今後の町の方向性について議論を重ねました。特に私が注目した事業をピックアップしながら内容を紹介します。
私は昨年度同様に、議会選出の監査委員も務めているため本会議での質疑には立ちませんでしたが、監査審査含めしっかりと審議を行いました。

財政課題として「物価高」「人件費の高騰

財政指標は例年通りを推移しているものの、これまでの財政課題とは違った課題が生まれてきていることが話題となりました。
これまで、町の歳出で特に比重が大きいものは、政策的な取り組みで行われてきた施設整備(役場庁舎移転、小中学校建設、道の駅建設等)や道路整備などが主なものでした。近年の社会情勢の変化も加わるなど物価高や人件費の高騰といった一定の必要経費と言われる部分の割合が大きくなってきました。
これは、何もしなくても経費が消費されていく状況であり、何もしないことがむしろ自らの首を絞めていくことにつながりかねない状況です。

不安定な状況だからこそ、アクセルを踏む

私は、今の状況こそ、投資的な取り組みに力を入れるべきと考えます。
不安定な時代からこそ、守りに入るのではなく、攻める姿勢が必要です。
不安定であることは、社会的な軸がなくなり、アンパイな手段がなくなり、誰しもが何に頼っていいのか不安になっている様子であると思います。
その際に確固たる理念・信条・ビジョンに基づいて対応するしているところに、人は魅力に感じ、カネもモノも集まります。
不安定な状況だからこそ、アクセルを踏む。今こそ西会津町が大きく生まれ変わる時代に差し掛かってきているなと感じています。

町ならではの事業に投資をしていく!

特にデジタル戦略における「首都圏企業等との連携事業」や「石高プロジェクト」、町民が自ら事業を生み出し町が支援をする「協働のまちづくり事業」、財源確保に重要な役割を果たしている「ふるさと応援寄附金」、町の観光体系を根本的に見直し再整備する「日本の田舎、西会津町。ブランド力強化事業」、農業においては営業、販売促進分野における事業等々。
他の自治体から羨望の眼差しを受ける事業が多数あり、そこに西会津町でしかできない独自性が生まれ、生き残りの道が生まれていきます。
不安定な状況でアクセルを踏むのは、まさに他のマネごとに対するものではなく、自分にしかできないものへ投資(アクセルを踏む)することが必要になると思います。

ロータスインの温泉掘削からはじまるもの

令和5年度は、ロータスインの温泉掘削問題が表面化した年度でもありました。
総額2億円超の経費を見込む大規模事業です。
私は、温泉掘削事業を町の観光産業ビジョンづくりである「日本の田舎、西会津町。ブランド力強化事業」を抱き合わせ、町全体を巻き込む観光産業づくりの基礎とすべきであると考えています。
町には年間50〜60万人の方が外から訪れます(道の駅入りこみ客数)。この方をただ素通りさせるのではなく、道の駅、ロータスイン、町中周遊を中心に大山祇神社、芸術村などの施設や行事、取り組みに派生的に繋げていく観光戦略を必要になります。
現在、町の産業の中で観光分野と言われる宿泊業・飲食業サービス業は全体の2.8割にしか満たない状況です。
観光産業は、町の魅力を活用した産業づくりにもつながります。
環境整備については、一定の経費を見込まなければなりませんが、観光分野の産業化は、町にとって必要不可欠なものとなります。
ロータスインの温泉掘削における経費ばかりが取り沙汰されていますが、産業づくりの視点からも議論を重ねていきたいと思います。

RESAS 地域経済分析システムより

次につなげる取り組みに!

複数年かけた事業も一定の結果や方向性が示されました。
令和3年度から米の消費量を増やすことなどを目的にした「山村活性化事業」。
私としては、ブーム的な脚光を受けるふるさと応援寄附金事業から個別の取引に発展させていくための事業として期待していたものになります。
事業を通じて、ふるさと応援寄附金冊子のリニューアルや楽天のふるさと納税トップページバナーへの広告掲載(直後に寄附額が増加)、米粉パンやスイーツ、シュウマイ、チャーハンなどの商品開発を行いました。
商品開発については、民間事業者との連携により取り組みましたが、米粉パンなど見直しが必要になるなどの結論になったものもあります。
これまで農業関連予算のうちブランディングや販売促進に振り分けられる金額は一部しかなかったことから、このような事業は、産業を活性化していく上では重要です。見直し=失敗ではなく、改善、発展へと繋げてほしいと考えます。

最後に

令和5年度前年は、奥川を中心にした豪雨災害の発生があり、災害復旧が大詰めとなってきた年度でもありました。当時の惨状はいまだに鮮明に記憶に残るものとなっています。また新型コロナウイルス感染症がようやく終わりが見えてきた年度でもありました。
豪雨災害や新型コロナなど大きな被害がありながらも、新しい西会津町が走り出すきっかけにもなった事件でもあったようにも思えます。
大きなショックにより、本気で町が変わらなければ!という意識変革につながりました。新たな事業も立ち上がりました。新たな方向性が生まれました。
しっかり、方向性を見定めながら、年々積み重ねていけるように建設的な議論を行い取り組んでいきたいと考えます。



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