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【渋谷区】明治神宮

明治神宮については前にも取り上げたことがあります
2020年の明治神宮100年祭の時ですね。

今回は、興味深い話を聞かせてもらったので書き残すことにします。

参拝日は明治神宮の神恩感謝祭の最終日で、時間があったので家族で行ってみました。
神社好きの知人の言うところによると、お参りにいってお賽銭箱にチャリンと小銭を入れるよりも、お金を払ってお祓いしてもらうのが、本当のお参りである。ということらしいです。

神恩感謝祭は普段入れない本殿のお賽銭箱の向こう側に入れるという特典がついていますが、待合いの時間に明治神宮の神職の方がお話をしてくださいます。

その内容は前回書いたように、明治神宮本殿の銅板の張替の時に、吉田茂元首相の銅板が出てきて「世界平和」という願いが書かれていたという事、そのほかの方も、世界の平和を願う言葉がほとんどだったという事でした。
我欲ばかりの自分の願いを反省しました。

その他、明治神宮の森の話をお話を聞くことができました。

神宮の森はもともとは荒地で、木はすべて献木。それも送料や費用などは全部寄付というのは有名な話ですが、

神職が若かりしころには、明治神宮の木の造営にかかわった方も生き残っていて、神職が掃き掃除をしていると、気合の入った老人が

「俺の植えた木はどこ行った」

と聞いてくることがあったそうです。そんなのわかるわけないよと思いながらもお話をきくと、
「俺たちは世の中が平和になるように祈りながら一本一本木を植えたんだ。」
ということをお話していたそうです。

明治神宮に入った瞬間になにかの雰囲気を感じるのも、そういう人達の強い念みたいなものがあるんじゃないでしょうか。

そして、大相撲がなぜ明治神宮に奉納土俵入りをするのか?ということについては、文明開化のおりに、旧日本文化的なものは野蛮だとして排除されたようです。

もちろんその中にチョンマゲでふんどし一丁で相撲を取る大相撲も野蛮とされていたそうで、文明開化の流れに飲み込まれそうになったとき、明治天皇が相撲好きだったために、相撲は消えずに残ったということです。

相撲協会はその恩があるので、いまでも明治神宮で横綱の奉納土俵入りをしているのだとか。

明治神宮の神職の方が普段なにをしているのかというと、世の中が平和になることを祈っているということで、20代のころには信じていなかったけれど、今では本気で祈っているという事でした。

いいお話を拝聴できました。

なおこちらでのお祓いは巫女さんが神楽を舞うなど本格的なものでした。


こちらは神楽殿。本殿の写真は撮り忘れました。

昔、といっても10年くらい前ですが、警備員さんも気合がはいっていて、足を組んでベンチに座っている外国人観光客を「ここは神の居る場所だ!足を組むな!」と英語で怒鳴りつけていました。
参拝客の多数が外国人観光客になってしまったように思える現在では、そういう光景に出会うこともなくなりましたね。


現代の地図

明治神宮内苑に入ると、巨木が鬱蒼としていて、自分がどこにいるかどうかもわからなくなる感覚があります。都内随一の神域だとおもいます。
これが完全に資本主義の波に飲み込まれていたら、単なる住宅街になっているでしょうから歴史が作り出した偶然とはいえ、一般が享受できるのですから幸運です。

明治9~19年1876~1886年

雑木林と南側に池があります。この時代にも現在地の南東側に大きめの建物が建っていたことがわかります。江戸時代末期の地図だとこのあたりは井伊家の土地なので旧井伊家関連の建物が残っていたのかもしれません。

土地は明治7年に井伊家から明治政府に買い上げられたようです。


明治39~42年 1906年~1909年

明治39~42年 1906年~1909年

南豊島御料地となっています。体の弱かった昭憲皇太后のために散歩をすすめるべく作られ、池のお釣台では釣りをしていたようです。

南側は代々木練兵場となっています。
明治四十二年に練兵場となるにあたって、もともと住んでいた人達が残した訣別の碑が代々木八幡神社内にあります。

訣別の碑 対の石灯篭になっています。

関東大震災直前 大正5~10年 1916年~1921年

明治天皇崩御後の1920年(大正9年)11月1日、明治神宮が創建。
創建当時の献木は12万本 現在は3万6千本だそうです。


宝物殿は1921年竣工 

宝物殿前の広場は個人的にもおすすめスポットです。公園ではないのでボール遊び等はできませんが、芝生に寝転んで空を見ると東京でないような感覚になります。神域なので本来は寝転んだりしたりしちゃいけないのでしょうけど・・・・

ボール遊びしてるじゃないかという写真…いまから5年以上前の写真ですね。

地図には昭建皇太后御葬場殿跡という表記があります。現在は代々木公園内になります。

大正7年4月 完成


昭和初期戦前 昭和3~10年1928年~1935年

神職さんのお話によると、明治神宮も空襲の標的になったそうで、B29が青山や表参道あたりを旋回しつつ、明治神宮を空爆したということを聞いたそうです。本殿焼失。


高度成長前夜 昭和30~35年 1950~1955年

空襲で焼けた社殿は昭和33年 1958年完成

ワシントンハイツが並んでいます。米国将校の住居です。ワシントンハイツの住居は1964年の東京オリンピック記念宿舎として代々木公園内にひと棟残されています

そしてこちらは2025年の年明けに解体され、そっくりそのまま再建されるそうです。

2013年に撮った写真なので今とは様相が違うかもしれません。


バブル期 昭和59年~平成2年 1984年~1990年

明治神宮の外苑は再開発で、100年前の献木を伐採するのはケシカランという話題がでています。
再開発は秩父宮ラグビー場と神宮球場の移設再建、高層ビルの建築などがあるようです。
明治神宮の収入は86パーセントが結婚式場や野球場や飲食事業などの収益事業なので、外苑は安定した収益を上げるために時代の流れで仕方がないところなのかなとおもいます。

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