【江東区、中央区】永代橋
釣りという新しい行動を始めてから、下町に足が向くようになってきました。
駅を降りて生臭い潮風をような潮風を感じると、なんだかテンションが上がってしまいます。やっぱり良い。
今回は永代橋。
以前、富岡八幡近辺を東京時層地図でしらべたことがありました。
富岡八幡は永代寺というお寺が別当寺としてあって、明治の廃仏毀釈のおりに永代寺の住職が富岡八幡の神職になるという裏技?的な出来事があったのですが、その永代寺に名前が由来します。
江戸時代の地図をみると隅田川の最終地点の橋がこの永代橋となります。
ぱっと見、普通の橋ですが、江戸時代末期1855年くらいの地図でみると長さ120間余り(220mくらい)と当時の江戸最大の橋です。
1698年 完成
1702年 赤穂浪士討ち入りで両国の吉良邸から首を掲げて永代橋を渡り、泉岳寺に向かった。(なんで両国橋を渡らなかったんだろ?)
1719年 幕府が経済的に困窮したため廃橋にしようとするが、周辺住民が反対し、市場を開いたり通行料を取るなどして維持費に当てる。
1807年 富岡八幡の御祭りで人が押しかけ、永代橋崩落 死傷者行方不明者1400人という大事故が起こる。
1897年(明治30年)鉄製橋が掛かる
1904年(明治37年)路面電車が通る
1923年(大正12年)関東大震災で永代橋炎上 死傷者多数
1926年(大正15年)再架橋
2007年(平成19年)国の重要文化財指定
なんと重要文化財でした。
今日はここから東京時層地図。
現代の地図
明治初期(明治9~19年)
明治初期にはまだ木製だったころの永代橋。現在と橋の位置が上流になっているのがわかります。日本銀行、農商務省用地と記載されています。
江戸末期はどうだったのだろうかというと
この絵はその永代橋の上流から佃島方面を見た図ですね。
明治の初期にはこのあたりに日本銀行があったようです。その北は農商務省用地。
今のIBMあたりになります。
1881年(明治14年) 松方正義が日本銀行創設していますので、時代的にも合致します。
そして
現在地の南側には東京商船と書かれた施設が。
これが東京海洋大学の原型となった三菱の岩崎弥太郎がつくった三菱商船学校が、弥太郎の手から離れて官営になったときの名称。
霊岸島にあるということでしたがここにありました。霊岸島って名前もスゴイですね。清澄白河のほうに霊巌寺というお寺があるのでそれが由来だそうです。
明治後期
1897年(明治30年)鉄製橋が掛かる
1904年(明治37年)路面電車が通る
ちょうどこのころの時代だと思います。路面電車が走るくらいだからそうとう丈夫な橋。日本橋川の北にあった橋は南にかけ替えられました。
それとは別に渡し舟での往来もあったようです。
東京商船の場所は中央商業学校と名前を変えています。
三菱の東京商船とは無関係のようで、石碑には創立100年を記念して建てられた記念碑。
学校法人 中央学院 とありました。現在の中央学院大学のようです。
居ぬき的な感じで学校を作ったのでしょうか。
大正時代 関東大震災前
この後、関東大震災で永代橋は焼け落ちます。
永代橋と橋側電車橋の焼け跡ということなので橋が二つ架かっていたのでしょうか。手前は電車の残骸に見えます。9月1日の夜9時に焼け落ちて多くの人が亡くなったとの記述あり。地震が起こったのがお昼だからかなりのタイムラグがあるようで、その点が意外でした。
佃島と越中島をつなぐ相生橋もそうでしたが、感覚でいうと地震で橋が焼け落ちるというのはなかなか想像するに難しいです。
この永代橋も鉄製であったももの、木材を使われていた部分多くて焼け落ちたようです。
防災という観点から橋は非常に危険な場所になります。
川べりに倉庫が多いのも注目。このころのも物流は車ではなく船だったことがわかります。
昭和初期戦前
関東大震災後にかけ替えられた橋が現在残っている橋です。他とくらべて橋の高さが低いなとおもったのは大正時代建築だったからか。
橋の東側には帝国水難救済会の表記があります。現在の日本水難救済会で名誉総裁は明治の設立当時から皇族が勤めている伝統と格式のある団体。この時期ここに設置されているのも関東大震災で多くの人が亡くなったからでしょうか。
戦後1955年 高度経済成長前
大正時代物流は海が中心と考えていましたが、戦後になっても周辺は住友、三菱、三井、船舶運営会倉庫となっていますので、この当時の船舶の倉庫はこのあたりに多かったというべきでしょう。
今のIBMのビルあたりは三井倉庫となっています。もしやと思ったら今も所有者は三井倉庫。
三菱倉庫のあるあたりは今は東京ダイヤビル、ここもやっぱり所有者は三菱倉庫。
住友倉庫あたりは今は東京住友ツインビルディングと、やっぱり住友。
財閥強いな。
このあたりの川岸、今と全然違いますね。区が公園にしているから今のように川べりを散歩して楽しめるというわけか。
ありがたいことで・・・
バブル期 1990年頃
昭和63年に永代橋整備工事が完成して今の姿になったようです。
大正時代から続いている橋とはおもいませんでした。
夜の永代橋はライトアップされて夜景も綺麗です。魚が寄ってきそう。
永代橋付近から石川島の眺めも素晴らしい・・・
江戸時代の浮世絵とアングルは多少近いかもしれません。
角度によっては永代橋と東京スカイツリーがみえて新旧の東京名所そろい踏みという感じで、素晴らしいな東京好きだなと思いました。
非現実的な感覚がありますね。
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