
【目黒区】目黒競馬所跡
8月初旬の気温35度の頃、目黒区のプールに行った後
そういえば近くに目黒競馬場ってあったよなと思い出し行ってまいりました。
山手通りから高台にあり、暑さのせいかたどり着くのも一苦労でした。
目黒競馬場は1907年(明治40年)から1933年(昭和8年)
期間にすると26年間運営していたようです。
明治中期に上野不忍池競馬場、靖国神社競馬場、新宿戸山競馬場があったことを過去に東京時層地図で学びましたが、現代競馬の礎になっているのがこの目黒競馬場です。
ということで明治後期の地図からみてまいりましょう

競馬場の大きさは1周1マイル(1600m)
現在の大井競馬場の外回りコースと同じ道のりです。
馬場の真ん中で東京時層地図をひらきます。
現在の地図だとこんな感じ。

現在地から西側に向かっての撮影


目黒通りにはここが目黒競馬場であったことを伝える碑があります。


明治40年1907年、政府の馬質改良奨励により、この地に目黒競馬場が開設された。それ以降、昭和8年府中市に移転するまで、明治大正昭和を通じてここで競馬が開催された。また目黒競馬場は昭和7年に第一回日本ダービーが開催された記念すべき地でもある。 この碑は当時の歴史の様子を後世に伝え残すとともに、第50回日本ダービーを記念して、日本中央競馬協会および大鳥前元競馬場通り商店街振興組合のご協力により建立された
昭和58年11月
東京都目黒区教育委員会
目黒区長 塚本俊雄
第50回ダービーといえば1983年三冠馬ミスターシービー、世の中的には競馬で盛り上がったころなんでしょうね。
後世に伝え残すという目論見はしっかりと伝わっています塚本区長。
ミスターシービーの日本ダービー 1983年
ダービーは2022年で第89回を迎えています。
平成10年以降下がり続けていたJRAの売り上げも、平成24年以降はネット投票の発展のおかげか疫病関係なく上がり続けています。
平成24年というのは東日本大震災、オルフェーヴル以降ですね。
https://jra.jp/company/about/outline/growth/pdf/g_22_01.pdf
ちょうどこのころは馬が好きで北海道の真冬の社台ファームに行ったりしていました。
ディープインパクトの放牧所には警備員さんがいてお話聞いたりできました。
オルフェーヴルが種牡馬入りした2014年1月です。繋養されているのを見たかったのだけど、気性が荒すぎて事故がおこりかねないので、放牧場まで連れてこれないというお話でした。


これは洞爺湖のレイクヴィラファームにいったときのもの。2015年8月


競馬が好きっていうより、血がつながっていって、歴史が面々と続いていく感じが好きなんですよね。
さて
記念碑の銅像の馬は記念すべき第一回ダービーの勝ち馬「ワカタカ」かと思いきや
その父、トウヌルソル フランス語でヒマワリ

このトウヌルソル(1922~1946)がスゴイ
1927年にイギリスから輸入されると1932年に産駒のワカタカが第一回東京優駿を勝利。これがいわゆるダービーといわれるわけですが、このダービーをトウヌルソル産駒は6回勝利
これはディープインパクト7回についでサンデーサイレンスと同じ。
サンデーサイレンスは2000年前後が最盛期なので5、60年破られなかった大記録なんですね。
日本競馬の根幹をなしている大種牡馬といえるのではないでしょうか。
トウヌルソル産駒は日本では父系はすでに消滅していますが、母系に残り昨年はアメリカのブリーダーズカップ・ディスタフ ダート1800m で日本馬のマルシュロレーヌが勝利。
90年経っても活躍馬がでる。
レースを勝った馬だけが生き残れる淘汰の歴史の中でこの馬がどれだけスゴイかということがわかります。たとえば1980年代に一世を風靡したアイドルホース、オグリキャップの血脈は関係者の努力があるものの風前の灯火です。
大正時代関東大震災前

コースの北側にある建物が観客スタンドですね。
競馬場があるせいか日本獣医学校も近くにあります。
こちらは明治14年創設、明治44年目黒移転、現在では武蔵野市にある日本最古の獣医学校です。
現在の名称は日本獣医生命科学大学
昭和初期戦前

ということですから、この地図は昭和8年以降のもの。それにしても南側の住宅の密集具合が集合体恐怖症の気がある私にとってはゾワワときてしまいます。
1933年(昭和8年)春季の開催を最後に目黒競馬場は廃止され、府中競馬場に移転したということですから、この地図は昭和8年以降のもの。
目黒競馬場廃止1年前の第一回日本ダービーの映像がこちら。


地図と動画で合わせてみるとかなり理解度があがります。
昭和に入ると、大正時代の地図よりもコースの周りに家のようなものがたっていました。
観客は超満員。馬場の内側から撮影していましたが、観客スタンドの位置から考えると、僕が最初にいって東京時層地図をみた場所から近いです。
ここを90年前にはたくさんの人が来て競馬を見ていた。今はその面影はまったくない。まさに時層です。
このときの優勝馬のワカタカの騎手、函館孫作さんのお孫さんは現在地方競馬の調教師。ワカタカの調教師の東原玉蔵さんの系譜は 諏訪佐市→須貝彦三→須貝尚介(2014年世界ランキング1位 ジャスタウェイの調教師)と続いています。競馬の世界は徒弟制度ですね。
高度成長期前夜1955年頃

競馬場は住宅街になり、川を挟んで南側に林業試験場ありました。今は公園になっています。
目黒競馬場の観客席あたりの場所に、カッコいい建物が建っていたので写真を撮ってみました。調べてみると東京バレエ団 1964年に創設

競馬とバレエダンサーのつながりも深いんですよね。
ニジンスキー
ヌレイエフ
といったバレエ界の偉人は馬名になっていますし
サドラーズウェルズ
はバレエ劇場
それらの父であり、世界の根幹種牡馬たるノーザンダンサーは名前の通り北の踊り子
競馬場観客席跡に建てられたバレエ劇場
偶然にしてもなんだかゾワっとしてしまいました。