【新宿区】名物の滝があった新宿中央公園
セミの声もカスレて聞こえる時期でした。今回は新宿中央公園の一角から東京時層地図でお届け。
本来であれば遊べる遊具がたくさんある魅力的な場所なのですが、コロナの影響でずっと使用中止になっていました。
現在の地図。けっこう広い公園ですね。
明治時代初期の地図 畑と雑木林、池が広がっています。池は十二社池。南北に川も流れています。
十二社池については、詳しいHPはたくさんあります。
現在の池の跡にも訪問したことがあります。(中野長者編)池の周りには花街もあったのだとか。
南北にながれている川は神田助水。神田川の足りない水を玉川上水から補うという役割があったようです。
熊野神社のあたりで滝になり、そこは熊野滝とよばれたのだとか。
東京名所図会 熊野瀧
長崎大学附属図書館所蔵「幕末・明治期日本古写真コレクション」
http://oldphoto.lb.nagasaki-u.ac.jp/search/jp_detail.php?id=5373
滝のあった場所は熊野神社東側にある新宿エコギャラリーあたりではないかとあたりをつけています。 南側からみた写真ですが道路との高低差がけっこうありますね。
安藤広重の名所江戸百景(1856~58年)にも角筈熊野十二社として描かれています。
絵の右側の石碑が十二社の碑だとすると南側からみた図になりますが、現在の碑は神社内にあるので、移動した可能性はありますね。
十二社の碑、絵のものと形的に一致しています。
江戸西郊の景勝地であることを記した記念碑で嘉永4年1851年3月に建てられました。「江戸繁盛記」の寺門静軒(1796年~1868年)と中野宝仙寺のフキュウ道人により十二社は有名になったようです。
寺門は儒学者で江戸繁盛記はベストセラーになりましたが、エロいことを書いていると幕府に出版差し止めにあい抗議するも「儒学者の心得とはなにか?」と問われて、「人を正しい方向に導くことだ」と答えたら、江戸繫盛記をつきだされて「この中にそういうことが書かれてるのか」ととわれ、ぐうのねもでなかったという逸話がWikipediaにありました。その後は諸国を放浪したり塾を開いたりしていたそうです。
宝仙寺は中野坂上にある真言宗の大きいお寺です。
明治時代後期の地図(明治39~42年)(1906~1909年)
十二社滝は明治26年(1893年)の淀橋浄水場建設で消滅。玉川上水から水を引いた水道道路も見えます。
明治26年 東京市水道要覧より
浄水場については第一回目でとりあげました。栃木出身の僕にとっては都庁が浄水場跡だったことは知らなかったので、驚きと興味を持ったのですが、都内の人にとっては常識だったという話です。
六櫻社 現在のコニカミノルタです。
明治35年 1902年 小西屋六兵衛店が設置 昭和38年 1963年まで操業
現在は写真工業発祥の地の碑が建っています。(碑の建っている場所は大正時代の地図の工場の南側あたり)
大正時代の地図 関東大震災直前(大正5~10年 1916年~1921年)
六櫻社は拡大し、南側にはガスタンクができました。現在も東京ガスがあります。
現在地の北側には鳥居のマークがあります。明治時代にはなかったものです。あるときポっとできる鳥居のマークってけっこうあって謎なんですよね。小さい祠があったのかな。近くに池があるから弁天様でしょうか。
その場に行って写真をとってみました。
青丸の現在地から南をみた写真です。鳥居のマークがあるところは今も柵がありました。立ち入り禁止みたいです。じゃぶじゃぶ池を中心に円形に造られているので立ち入り禁止になっているのは偶然でしょう。
池のあった場所の真ん中あたりは階段下になっていました。厳重に覆われた古そうな建築物もありました。これはいったい?ポンプ小屋でしょうか。
熊野神社には大鳥三社と角筈胡桃下稲荷社と弁天様があります。
この地にあったお社は戦後に熊野神社に移転したのだと考えましたが、昭和に入って埋め立てられるまで十二社池にも弁天様は鎮座していたはずですからそちらが熊野神社に移転となると、じゃあこのお社はいったい??という疑問もでてきますね。
昭和10年頃 (1935年頃)
戦時中の写真は興味深くて、重要なところは白抜きか改描されています。淀橋の浄水場が荒地になって、角筈三丁目のガスタンクはなにもないことになっています。
1960年頃 高度成長前夜
野球場があるのが新鮮です。戦後のこの辺りの写真は新宿歴史博物館データベースに詳しくあります。
淀橋浄水場、小西六写真場、十二社池など戦後の写真があり、地図と照らし合わせると当時の風景がより詳しく浮かび上がってきます。
1980年頃 バブル期
昭和43年 1968年に新宿副都心計画の一環として開園し、昭和50年に区に移管され、その時には施設も老朽化して、「アベック公園」と呼ばれ不適切利用が多発、新聞各紙をにぎわしていたそうです。改修工事を経て昭和59年に現在の形になっています。公園の木々も大きく育ちました。
コンクリートジャングル、東京砂漠という言葉もありますが、実は新宿中央公園、新宿御苑、明治神宮代々木公園といった このあたりは60,70年前と比べて緑豊かな地帯になっています。