【世田谷区】豪徳寺
松陰神社に行った後に豪徳寺へ行ってまいりました。
松陰神社と豪徳寺の関係はといいますと
幕末の1859年に安政の大獄に連座して処刑された吉田松陰を神として祀った松陰神社
安政の大獄を主導し、1860年に桜田門外にて襲撃されて殺された井伊直弼、井伊家の菩提寺がこの豪徳寺となります。
それにしても、こんな近隣にまさに幕末の敵味方同士がいて大丈夫なのか、はたまた運気的には両方お参りしちゃって大丈夫なのかと思ったりもします。
井伊家の上屋敷跡は訪問して過去に訪問しています。旧憲政記念館でした。
また、お二方の生き方を見ていると、ヤルとヤラれるというか、行動や思想が自分に返ってきてしまうというか、そんなことを考えずにいられません。(吉田松陰が処刑されたのは、間部詮勝(まなべ あきかつ)要撃計画露見によるものですし、井伊直弼が元水戸藩士に殺されたのも安政の大獄での、水戸藩主徳川斉昭への処遇が引き金になっていますし。)
今回は豪徳寺で東京時層地図で周辺をみて、そのあと豪徳寺を詳しくみてみたいとおもいます。
現代の地図
地形図
明治時代初期
明治時代末期
大正時代関東大震災前
戦前昭和10年頃
戦後1955年頃
1990年頃バブル期
では、豪徳寺の写真を見てみたいと思います。
豪徳寺の写真
非常に可愛かったので一つ購入させていただきました。願掛けをして叶ったらこちらに奉納するようです。一年の家内安全を願おうかな。いまのところなにも願掛けしていません・・・
招き猫の由来によると昔はこのお寺は非常に貧乏で、和尚さんが飼い猫に「私はお前たちを可愛がっているんだから、恩返しをしろや」
といったところ、夏の日の昼下がりに寺の門前が騒がしくなり、和尚さんが出てみると鷹狩り帰りの武士が5.6人。
「お寺の前を通ったら、一匹の猫が手挙げて我々を招いている、しばらく休憩させよ」
と。和尚さんはお茶などを出していた所、雷が鳴り響き夕立が降りだした。
和尚さんは三世因果の説法をしたところ、武士は喜んで
「我こそは井伊掃部頭直孝、猫に招き入れられ、雨をしのぎ、法談にあずかることこれ仏の因果、以後は心安く立ち寄る」
その後、この貧乏寺は、井伊家の菩提寺になり繁栄した。
というもの。
うーむ。スゴイ話だ。しかも聞いたことある気がする。豪徳寺の話だったとは。
彦根のゆるキャラ、ひこにゃんってそういえば猫でしたよね。
彦根藩は井伊家だった・・・ひこにゃんってこの猫由来だったんだと今更ながら知ってゾクっとしました。
そしてこちらがその井伊直孝さんのお墓
そしてこちらが桜田門外の変で亡くなった 13代目藩主 井伊直弼墓
単純に家としての体裁がずっと続くってスゴイなと思ってしまうのです。
直孝から直弼まで200年以上。
そしてこちらが昭和初期戦前から地図に表記されているとおもわれる石碑
他に桜田門外の変で亡くなった彦根藩士の慰霊碑もあったようですが後から知ったので確認できず。
こちらは三重塔。2006年建築だそうです。めちゃくちゃ最近じゃないか。見た目結構年季が入っていると思っていたのですが。やはり豪徳寺それなりに潤っていそうです。さすがは招き猫の御利益。
そしてこの三重塔には秘密があり、豪徳寺の名物招き猫が潜んでいるのだとか。
こちらは招福寺 令和4年改修
豪徳寺は古いもの新しいものが混ぜ合わさり、見どころ一杯でした。木々に覆われているので涼みやすい。
外国人観光客が多いのも納得です。
招き猫が可愛いのもあいまって効果は絶大です。
松陰神社と豪徳寺の安政の大獄関連の因縁は大丈夫なのかと思いましたが
よくよく考えれば
吉田松陰は他の老中の間部詮勝をどうこうしようとしていたわけだし、井伊直弼は水戸藩士にやられてしまったわけだから、直接的な因縁はないのかな。
檀家でも氏子でもないから大丈夫か。という結論になりました。
また行きたいです。
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