12,【渋谷区】新たに発見!明治神宮宝物殿付近に江戸時代から続く「あるもの」とは?
東京時層地図・明治神宮宝物殿
(2019年5月訪問)
何気なく散策していたらすごいものを見つけてしまった。(自分的に)
この明治神宮の宝物殿は小田急線の参宮橋駅が最寄り。原宿からとは比べ物にならないほど空いている。
宝物殿の歴史は古く、大正10年(1921年)竣工の鉄筋コンクリート造。もうちょっとで築100年。
東京駅に匹敵する歴史的建造物だろう。
神社といえば御神酒。神にお酒はつきもの。
明治神宮内には酒樽を奉納してある所もある。
古くは飲めなくても楽しむ風にするのがイキだったらしい。
白居易は1200年前に
朝昼晩通して酒を飲んでも、1瓶も空にならない。安上がりで良いじゃないか
という詩を作っている
未盡一壺酒 未だ一壺の酒を尽くさずして
已成三独酔 すでに三度一人酔うをなす
笑謝多飲者 笑って多く飲むものに告ぐ
酒銭徒自費 酒銭いたずらに費やすのみと
昼間からこういった森を散歩しながら、お酒を飲んでいたらどんな気持ちになるのだろうか。
神社なので飲食は禁止だが売店ではお酒を出している。
ここは広場であって公園ではないので、ボール遊び、自転車の乗り入れ、犬の散歩、テントを張る、走ったりするのは禁止。集団でやる運動もダメ。
監視カメラがあって、なにかあると警備員さんがすっとんできてくるという仕組みになっている。
それでも芝生に入ってゴロゴロとくつろいだり、お弁当広げたりできるのは、お目こぼしという所だろう。
明治大正期に押し寄せくる資本主義の波から守るために明治神宮という聖域を作ったというのが、アースダイバー 中沢新一の主張だ。
現に鎮座以来、この100年大きく姿を変えていない。
東京時層地図よりさらに古い地図を見ると、明治神宮の一帯は井伊掃部頭(かもんのかみ)直弼の土地とあった。
井伊直弼が桜田門外の変で暗殺されたのが1860年なので、それ以前の地図となる。
この場所は井伊家の下屋敷にあたる
明治期になり、井伊家は現在のNTT東日本本社のあたりに移転する。これはオペラシティ編でも取り上げた。
そんな由来の場所なのだ。
バブル期 1984-1990(昭和59年~平成2年)
基本的には明治神宮内はバブル期も今もあまり変わっていないが、宝物殿は東日本大震災により被害があり、現在(2019・5月)閉館中。
青い場所は僕のいる場所。宝物殿前。
文明開化時 1876-84(明治9~17年)
僕のいる西側に竹林の表示があるのだが、
これはなんと、まさか、仰天、驚きだ!!現代でもあるのだ!!
竹林があったと思われる場所を撮影
奥に竹林が見える。140年以上前から存在している竹林だ。
竹林への道は明治末期ですでに閉ざされてしまっているために、外側からは目立つことはない。
地図で確認できる140年前からある竹林など東京23区内にあるのだろうか。これも聖域の成せる技だろう。
井伊竹林
この竹林は井伊家があったころからあったと考えて、井伊竹林と名付けよう。
「井伊竹林?なに言ってんだよ、これはかくかくしかじか最近植えたものだ。笑わせるな。」
となるオチも考えられるが、そこはバカになって自信満々に言い切ってしまおう。
井伊竹林だ。
外の世界は人間の都合で木は切り倒され管理される。
古典の荘子には
真っ直ぐに伸びた木は切られ、曲がりくねった木は長生きする (使い道がないので)
人間も使い道がない人間の方が長生きできる。
と書かれているが、現代においては杉や檜などの使い道のある木は大量に植えられ、桜の木なども
人の手が入らない自然界ではありえないほど種としての大繁栄を迎えている。
使い勝手の良い小麦、米、豚、牛など今まで例がないほどの大繁栄だ。
使いやすい木は繁栄し、曲がりくねった扱いにくい木など、生える隙間もないのだ。
しかし、大繁栄を迎えているとはいえ、綺麗な桜が咲いて翌週に切り倒されて切り株だけになっているのを見ると切ない気持ちになる。
立派なケヤキが電線に触るからという理由で、根こそぎ無くなるのはなんか胸がいたい。
人間の生活に密着していると必然的にそうなってしまう。共生というようだ。個としてよりも種としての繁栄。
木の寿命は長く見えるが実際はそうでもない。
ソメイヨシノは大体60年前後で、55年前の昭和の東京オリンピックで植えた木が一気に寿命を迎え、これからどうするのと問題になっている。
庭に植えられた木は持ち主の世代がかわると、土地の売買などで命運がわからない。先日も笹塚近辺で土地の売買によってイチョウの巨木が切り倒されていた。
明治神宮の樹木は先回でも取り上げたが、中沢新一 アースダイバー曰く、管理しない管理方針であるという。
設計者が参考の為に立ち入った長年ほったらかし大仙古墳の圧倒的とも言える霊的な雰囲気に影響をうけたのだとか。
木は生えるに任せ、倒れるに任せる管理方法が森の生命力が高いとの設計者の考えらしい。
明治神宮の森林は現代資本主義とは一線引いた場所であるのだ。
明治末期 1906-09(明治39~42年)
ここにも同じ場所に竹林の表示がある。
そしてこれ以降はなくなる。道路自体がなくなるから確認できないのだろう。
名前も南豊島御料地。
画面の一番下に井戸のマークがあるのがわかる。これが現在ではパワースポットとして有名な加藤清正の井戸だ。
明治神宮という聖域の中になければ、とっくに埋められて跡形も無くなっていただろう。
関東大震災前 1917-28(大正6~昭和3年)
宝物殿ができた。1921年竣工。
内部の道路も新たに作られた。この道に至っては現在も変わっていない。
土地の起伏は現在と変わっていないので、見える景色もあまり現在と変わらないのではないだろうか。
100年前と眺望が変わらない場所など23区内でそうそうない。一般人が恩恵をうけることができる東京に残された聖域だ。
昭和戦前期 1928-1936(昭和3~11年)
今回着目している竹林だが、やっぱり竹林の表示はかすかにある。途絶えることなく竹林はあった。
さんや という駅が見える。
小田急線の南新宿と参宮橋の間にあった駅で、戦後に廃止された。
かつて さんや があった場所で写真を撮る。
山谷駅跡。
代々木と西参道を結ぶ道は戦後にできたようだ。線路を上にあげて道路を下に掘ってという感じなのだろうか。
高度成長期前夜 1955-1960(昭和30~35年)
宝物殿自体は100年前の鎮座以来、ずっと変わっていないが、どうも聖域の外の西参道側はシケた印象がある。
高速道路があることもあり、その勢いを持って車がビュンビュン通るので、正直あまり近づきたくはない。
お洒落絶頂期の表参道、タピオカ店だらけnextお洒落スポットの裏参道、そして高架下の撤去自転車置き場の西参道。
しかし、そんな西参道を盛り上げようと区長が計画をしているようだ。博報堂出身の区長はお祭り好きだ。
どうなるのだろうか。
明治神宮の宝物殿側は、新緑の季節から特に良い時期でオススメです。
迫り来る緑に圧倒されます。