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【江東区】若洲海浜公園
4月の後半、娘の幼稚園時代のお友達とパパ友と若洲海浜公園海釣り施設にいってまいりました。
この日は最高気温23度と、35度が当たり前の今から考えたら全然大したことないのですが暑かったですね。
海釣り施設も良いのですが、ここの特筆すべきはレンタルサイクルです。
東側の堤防一面を走れるようになっていて、南国に旅行にきたのではないかという感覚に陥りました。開放感がスゴイ。
キャンプ場もありますが、大人気なので土日は厳しい状況です。
というか現在の気温37度で屋外キャンプはさすがに海側とはいえキツそう。
気候が程よいときにレンタルサイクルは是非とも試していただきたいです。
都内の地図巡りをしながら
「あれ?旅に来ているのかな?」
と思ったのは六義園とココのサイクリングだけです。(体調等のコンディションもあるかもしれません)
![](https://assets.st-note.com/img/1722409663854-2K0J7YAL12.jpg?width=1200)
また、ちょっとした若洲側には昇降階段があって、東京ゲートブリッジを一望できます。
![](https://assets.st-note.com/img/1722391977774-EYiPtxaPvw.jpg?width=1200)
東京ゲートブリッジ:2012年開通。
総工費1125億円
現在地である若洲と最終処分場である中央防波堤外側、さらには城南島に続く道です。
この道の先には現在のゴミ埋立地があって、昔、釣りにいったこともある城南島があるなんて調べるまでわかりませんでした。こうして点が繋がっていく喜びはあります。
現在の地図
![](https://assets.st-note.com/img/1722391977763-Av7VBooRa1.png?width=1200)
若洲の歴史は浅く、
1965年 東京港埋め立て15号地として埋めてて開始。
夢の島につづくゴミの最終処分場です。
そういえばスチャダラパーの曲で
「うーん、顔が夢の島」
という歌詞があったのだけれど、いまだにどういう意味かはわかりません。90年代だとおもうので、この当時は夢の島はゴミ処分場ではなく、綺麗な公園、一大行楽エリアとなっているので、人工的綺麗さがある顔ということでしょうか。いわゆる整形顔ってことか。30年の月日を経て理解しました。
1974年に埋め立て完了
1979年に町名として成立。
若洲海浜公園としては1990年から。
人口は0人で、働いている人が1000人弱。
将来的には宅地化しそうですがどうでしょうか。
もちろん今は否定的なイメージがあるかもしれません。ゴミの処分場なんだから。
しかし東陽町あたりは江戸時代に塵芥を埋め立ててつくられたものだし、月島も勝鬨も晴海も豊洲も、明治時代からの東京湾みおさらい工事で出た土砂を利用したもの。
日本は人口減少のターンなので宅地化は必要ないかなと思いつつも東京は人口が増え続けているのでわかりませんよ。
バブル期 昭和59年~平成2年 1984年~1990年
![](https://assets.st-note.com/img/1722391977797-lncLUicTqG.png?width=1200)
若洲について調べていくうちにちょうどこの地図の時期の頃。
1980年代末に起こった、口にするのも嫌な事件の場所だったこともわかりました・・・おそらくその場所だろうところもみつけましたが公園の場所ではありません。ざわっとしましたが、考えてみれば東京は数多の無念のご遺体が埋められていた場所でもあるしと、自分の気持ちを落ち着かせるしかありませんでした。
若洲海浜公園では魚が一匹だけつれました。小さいのでリリース。一夜干しにするとおいしいらしいです。
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![](https://assets.st-note.com/img/1722391977996-IVV982IPk8.jpg?width=1200)
若洲海浜公園、素晴らしい場所でした。
またいい時期にぜひ行きたいです。