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【中央区】弾正橋

自転車で月島からの帰りに弾正橋というのがあったので東京時層地図で見てみました。
弾正といえば高坂弾正ですが、官位なので関係はありません。

この辺りは明治期から京橋区という区割りがあり、戦後に日本橋区と合併して中央区になりました。

地図でみると首都高と地下鉄が通っているオフィス街という感じです。

下を通っているのが弾正橋 ここから東京時層地図を開いてみました。
弾正橋

アプリ大江戸今昔巡り 江戸時代末期1855年頃

八丁堀というのがあります。

八丁堀というのは堀の長さが8町(872.73m)あったからとのこと。
時代物ドラマの舞台としても有名ですね。
地図にはこの地一帯は、町奉行所与力、同心の組屋敷在り、俗に八丁堀という南北あわせて与力50人、同心250人前後。
弾正橋は江戸時代前期に2代目南町奉行だった旗本の島田利正の官名に由来しているのだとか。明暦の大火までは近隣に屋敷があったようです。

この場所の南側には滋賀の近江膳所藩 本多隠岐守康融(ほんだやすあき) 6万石


天保年間の江戸名所図会にはこの近辺の絵が 三ツ橋と呼ばれていたようです。

松濤軒斎藤長秋 著 ほか『江戸名所図会 7巻』[2],須原屋伊八[ほか],天保5-7 [1834-1836]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2559041 (参照 2023-09-20)

左手前が橋がないので 左から真福寺橋、白魚橋、弾正橋。
東京時層地図を開いた地点でいうと、江戸名所図会の橋の手前です。
おもったよりも立派な水路で、江戸城と目と鼻の先の場所でも水の都だったんだなと思いました。


今の街並みからはまったく想像もできません。

明治初期 明治9~19年

明治初期9~19年 

明治初期でも江戸時代の地図と変わらないですね。
現在の感覚でいうと車の走っている道路が水路という感じでしょうか。


最近、実家の近辺の用水路の怖い話を聞きました。

この数年で酔っぱらった人が転落して数百メートル先で沈んでいるのをがみつかったり、用水路で釣り人が転落してそのまま数十キロ先の川で沈んでいるのがみつかったりしたんだとか。

全国的に用水路が危ないという話は聞きますが、まさかこんなに身近なところにも事故を起こした人がいたなんて。

この時代の水路も大変危険な場所だったのではないかと思います。
夜道が危ないというのも、夜が暗くて転落の危険性があるというインフラ的な問題もあったのではないでしょうか。

フラフラあるいて落ちたら、おそらく致命傷を負ってそのまま流されるということになるでしょうし。このあたりで落ちたらあっというまに隅田川に流されて東京湾でそれっきり。

明治末期

明治後期には真福寺橋側の堀が埋め立てられます。場所的に外堀通りの延長とかになるのかな。

弾正橋は1878年 明治11年にかけ替えられ、日本初の国産の鉄を使った橋になったようです。
現在は移築されて富岡八幡ちかくの富岡一丁目にあるのだとか。国の重要文化財。これはまた後にいかなきゃいけない場所が増えました。

大正時代

弾正橋は大正2年 1913年 の区画整理事業で、新たな橋が建築され、明治期の弾正橋は「元弾正橋」と改称
大正12年 1923年の関東大震災で廃橋となるも富岡八幡横に移築。

弾正橋と元弾正橋が存在していた10年間のわずかの期間の貴重な地図です。


昭和初期戦前

念のため富岡八幡の東を確認してみたところ、水路に橋ができていたので、弾正橋は無事に移築されたようです。

埋め立てるばっかりだとおもっていた明治以降の都市計画ですが、なんと水路が増えています。関東大震災後の都市計画で水の逃げ道的なものが必要だったのかもしれません。

関東大震災後の都市整備は道路のみならず水路もかなり整備されています。

関東大震災後に昭和通りができるのですが・・・なるほど昭和にできたから昭和通りというわけか。

戦後 1955年頃 高度成長期前夜

この後、高度成長期が始まり、1964年の東京オリンピックが決定し、都市開発が進み、水路は埋め立て、首都高速道路が走るというわけですね。

当時は乗用車が増えて、交通麻痺がおこると予測されていて首都高が計画されたようです。
現在は60年以上たって各設備の老朽化もあり、首都高地下化を計画しているようです。
確かに地下化したら見晴らしは良くなりますね。まさか60年後は観光立国を目指すなんて想像できないですもんね。

明治以降の都市計画が現状を保存していくタイプだったら、東京は水の都として世界的に有名になっていたかもしれません。ま、後知恵なので意味ないですけど。

バブル期

埋め立てなどが進んで現在の形に。
現在地の南側は桜橋ポンプ所という下水道局が管理する施設になっています。ここで雨水は隅田川、汚水は芝浦の下水処理場に流されているようです。

通りすがっただけの弾正橋でしたが、意外に学びがありました。富岡八幡横にある旧弾正橋も訪問しなければ・・・。

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