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19【港区】六本木ヒルズになる前は駒澤大学?

今回は六本木。

人でごった返す生命力と喧騒に溢れた街。
六本木といえば日本一の情報発信の場、なんでも風水的にはカッカしやすい土地で、ビジネスにはうってつけなんだという話を聞いた。本当かな。人は偶然にそれっぽい理由をつければ落ち着くのだ。僕は最近になってどんな不思議なことことが起こっても偶然で片付けてしまっている。

古地図を辿れば、だいたい偶然の連続で歴史は動いている事がわかる。
関東大震災で浅草が壊滅し、商店が移転しなければ、新宿以西の繁栄はないし、空襲で新宿が焼けなければ、今も歌舞伎町近辺は女学校のある山の手の住宅街だ。


しかし六本木は事実としてなにかと話題の街だし、やっぱりギラギラした人、よくいえば生命力のある活気がある人が多いように思う。そんな六本木のランドマークである森ビルより今回は始まる。

まずは六本木ヒルズの中にある美術館と展望台とディズニーピクサー展。

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トランクが赤い糸で吊り下げられ宙に浮いている。芸術的なセンスのある人はこういった作品で、衝撃を受ける人もいるのだろう。
人はなにで衝撃受けるかはわからない。僕は芸術的なセンスはない。森山大道の犬の写真は迫力あるなと思うくらいだ。

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僕は昔の地図を見たとき、これは面白いと思ってドクドクと心拍数が上がるのを感じた。衝撃を受けたことになる。
それで古地図を辿る事を始めた。今回で19回目にもなるし、そこそこまずまずの熱はあるんじゃないかなと思う。あとはひとつできたときの喜びが大きい。ああ、面白いの書いちゃったな。こりゃ面白いや(自分が)と悦楽に浸るのだ。

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これはピクサー展のトイストーリー3のオープニングで出てくるドクターポークチョップの戦艦。
アンディの空想の中でウッディ達が戦う盗賊団の巨大母艦だ。
トイストーリー3の最初にして最大規模の見せ場だろう。
娘さんは記憶力が最近ついてきて、夜になって1日の出来事をまくしたてて来ることが多くなった。
「ねぇきいて トイシーシーのボーのウッディのー バジュ、ウッディー、泳げない ジェシー 泳げないよ アハアハ」

六本木ヒルズ展望台から見た東京タワー近辺。
ほぼ東にあたる。直線距離で2キロくらい離れているが目と鼻の先にみえる。
やっぱり六本木ヒルズはとてつもなく高い建物だ。
真下のプールがある施設は六本木中学。
左上には高層ビル群がある。

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この小さな窓一個一個に人それぞれの生活や仕事があると考えると、宇宙でも見ているような途方もない気分になる。言い過ぎか。

宇宙は広大すぎて想像の外側にあるので、この景色くらいがちょうどいいかもしれない。
だいたい、今見ている星は5千年前の星です。で、もう理解の範疇を超えてしまっている。
1番近くて4光年くらいなので、今、目に見えている星は今はあるものとないものが混ざっている可能性もある。
見えてるけど実際の今は存在しないかもしれない。というと映画みたいなものか。


現代の地図

iOSの地図はお店ばかりが目立つ。明治期との地図の違いは個人より組織、そして組織よりも、目立ちたい小さなお店が表記されるのが現代の地図の主流だ。まあ、無料だから贅沢はいえない。こういったお店のお陰で地図の無料が成り立っている側面もあるだろう。

これはこれで、10年後はまたガラッと変わるのだから面白いはずだ。
上からみるとヒルズ近辺は不思議な区割りだ。
東側がテレビ朝日になる。

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六本木近辺は結構複雑な地形をしていて、坂も多く、人通りも多く、道路も渡りにくいのだが、地形図をみると一目瞭然。
六本木ヒルズの東側は崖という印象。
ああ、だからヒルズ 丘 なんだ。

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乃木坂からくると丘という感じはしないけど、南東側からみればまさしく丘なんだな。丘というよりも崖のようにも見える。

中沢新一アースダイバー説(海岸線、崖、貝塚、聖地。聖地には社寺仏閣)によると、ここもかなり何かありそうな土地だ。

と言っても東京都教育委員会のホームページではこのあたりは江戸時代の遺跡しかない。

1860年あたりの江戸時代の地図では、現在の六本木ヒルズ一帯は毛利庭園の名前があるとおり、毛利の上屋敷だった。

東京ミッドタウン編で取り上げたが、ヒルズの毛利は毛利とは言っても分家の毛利。長門藩5万石。
ちなみに赤穂浪士切腹の地でもある。赤穂浪士は4つの藩に預けられ、その後各地で切腹となった。

毛利家は明治維新時に、他の大名に先立って明治政府に明け渡している。
だから跡地には政府関係の土地が多い。
本家の毛利の屋敷には東京鎮台がおかれ、のちの防衛省になっている。日比谷公園の半分くらいも毛利の土地だった。


まずは文明開化時の地図。
文明開化時 1876-84(明治9~17年)
この色合いが良いなぁ いずれはこの時期と大正期の古地図を買いたい。2万円くらいする。

今の毛利庭園の池とは比べ物にならない池の大きさだ。5分の1くらいではないだろうか。

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今のテレビ朝日の土地にある、曹洞宗大学林という施設がひときわ目立つ。
ここは江戸時代の1860年の地図では存在しない。
昔からあったものではなく、今も無い。
歴史の間に消えた宗教施設なのだろうか。

と思って調べたら、なんとここは駒澤大学の昔の名称だった。

駒澤大学って宗教系の大学だったんだ。それもかなり歴史がある。
駒澤大学の皆様、ご存知でしたでしょうか。

曹洞宗と駒澤大学の関係は初めて知った。臨済宗とならぶ禅宗の一派で、1224年に道元が日本にもたらした。

ウィキペディアにも

• 1882年 : 麻布区日ヶ窪町(現、六本木ヒルズ周辺)に校舎を新築し、「曹洞宗大学林専門本校」と改称し、10月15日に開校式を挙行
• 1904年 : 専門学校令により「曹洞宗大学林」が設置・認可される

とあるのでちょうどそのくらいの時期になる。

地図北側には茶畑が点在している。茶と養蚕は政府推奨の重要な産業だった。

谷である部分には現在の毛利庭園の他にも水のある場所がある。谷の部分は昔は住環境は良くなかったはずだ。

この時代は現在のメインロードである渋谷から続くいわゆる六本木通りはなかった。
六本木通りとしてできるのは1964年東京オリンピック前。正式名称は東京都道412号霞ヶ関渋谷線という。


明治末期 1906-09(明治39~42年)
単色で文明開化時と比べると華やかさがない。が、その分きっちりとした印象。

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出雲大社が出来た。
ウィキペディアによると

1889年(明治22年)
• 8月25日 - 前管長千家尊福より麻布区材木町(現・港区六本木七丁目)38番地より40番地まで(現在地)の地所を東京分祠に寄せられるにつき永久維持の計画をし、行政の許可を得て、神殿はじめ附属建物共有の移転工事を着工。
• 10月15日 - 千家尊弘(せんげたかひろ)東京分祠を麻布区材木町に移転完成。

ちなみに現在の千家家は宮家からお嫁さんもらったが、週刊誌によるとなかなか結婚生活は大変なようだ。
社会的地位もお金も子々孫々心配ない立場であっても、上手くいくとは限らない。
どうしたら上手くいくことが出来るか。

瑞西公使館はスイスの事。現在は南麻布5丁目にスイス大使館はある。

真田邸はあの六文銭が旗印の真田の子孫。

松代藩10代目当主、真田幸民は1868年の戊辰戦争では新政府側につき、活躍し重要な功績を挙げた。それゆえここに住むことになったのだろう。明治36年死去。

真田といえば、兄と弟で徳川、豊臣と別れて、弟の真田幸村は大阪の陣で豊臣方をまとめ、大阪城に真田丸をつくり、1615年大阪夏の陣では最後には徳川家康の陣地まで切り込んでいって死亡したという逸話がある。

戊辰戦争での真田家の活躍ぶりは250年の時を経て幕府方に復讐を果たしたという見方もできるが、

いやいや、よくよく調べると、豊臣方についた真田幸村の子孫は奥州の伊達藩で続いていて、戊辰戦争時は最初は新政府側だったが途中から新政府側に嫌気がさし、幕府側になったと言われている。

だから本家の真田はこの世紀の重大局面でも上手く立ち回れて、幸村の子孫はまたしても敗者側についてしまったという話になる。

ここでも真田家はどちらが勝っても良いように250年ぶりにまた兄弟の血筋で別れたという事かもしれない。
コレまたドラマチックな裏話になる。この話は有名なのだろうか?あまりきいたことがない気がする。まあ話にしてもそれほど面白くはないけれど。

真田家は戦後までこの地にいるにも関わらずあまり知られていない。

時代が下って13代目の真田幸長はテレビ朝日に技術として勤務していたようだ。

奇しくも旧テレビ朝日は真田家のあった場所にある。なにかコネクションがあることは想像に難しくない。

そして井上邸。

やっぱりこの時代といえば、井上馨だが、井上邸はいまの国際文化会館にあったはずだから、位置がずれているので、ほかの井上だろうか。

と思ったが、かなりの規模の屋敷なので、やはり井上馨以外に考えにくい。
明治初期にはたしかに、現在の国際文化会館の場所に井上邸はあった。

この時代は国際文化会館は赤星邸となっているので、ちょっと広い所に引っ越したというのが妥当だろう。

ちなみに赤星邸は赤星鉄馬。父の赤星弥之助は海軍の物資調達で莫大な富を築いた。薩摩出身。

明治初期は薩長土肥の人間が圧倒的に有利だ。
そして物流を押さえているところにお金は転がり込んでくる。

三菱の岩崎にしろ、昭和の怪物の児玉誉士夫にしろ、軍関係の物資調達はものすごくお金になる。
岩崎は言わずと知れた存在だし、児玉誉士夫は児玉機関の隠し金で自民党を作ったくらいなのだ。

見切れているが、高等女学校というのは第三高等女学校で、現在の都立駒場高校の前身。

関東大震災前 1917-28(大正6~昭和3年)
文明開化時と震災前の地図が非常に美しいので好きな地図。この時代は綺麗で見やすい。
六本木6丁目あたりは材木町と呼ばれていた。読んで字のごとく材木を扱った商売が多かったのだろう。

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六本木警察というのがある。
現在では名称を変えた麻布警察は2019年(平成31年)2月10日に六本木4丁目の三河台中学があった場所へ移転した。

明治初期の地図によると、海軍省の用地で明治末期には第一旅団司令部、その後は学校になっていたようだ。

亜國公使館はアメリカだろうか。現在は赤坂1丁目にある。
芬蘭公使館はフィンランド 現在は南麻布1丁目にある。
瑞西公使館はスイス 現在は南麻布5丁目にある。
波蘭公使館はポーランド 現在は目黒区三田3丁目にある。

公使館だらけの中でも維新の勇、真田邸は権威を誇示している。さしずめ六本木の真田丸。家の大きさだけでもかなりのものだ。

昭和戦前期 1928-1936(昭和3~11年)
戦前のため、重要施設は白ヌキや改描がなされているが、これはこれで時代の流れを表す重要な資料。
大正期とあまり変わりがないため、特に重要施設は周辺にはなかったようだ。

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気になるのが現在地近くのフジテレビのマークみたいな印はこれは外国公署で役場みたいなものだ。
瑞典公使館(スウェーデン)現在のスウェーデン大使館は六本木1丁目にある。
羅馬尼亜公使館(ルーマニア)現在のルーマニア大使館は西麻布3丁目。こちらはそれほど離れていない。
六本木といえば外国人を連想するけれど、昔から公使館などがたくさんある土地だった。

高度成長期前夜 1955-1960(昭和30~35年)

戦後10~15年経過。スカスカなところが目立つ。
NHK戦争証言アーカイブスによるとこのあたりは戦災消失地域になっている。真田邸も姿を消した。
アメリカ軍は単なる焼夷弾をばらまいていたわけでなく、日本の木造家屋にあわせて、早く火の手が回るように実験を繰り返し、すぐには消火できないように調整をした焼夷弾を計画的に投下した。そのおかげで東京はほとんど瓦礫の山となってしまった。

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アルゼンチン大使館(現在は元麻布にある)以外の目立った表記がない。
統制無線中継所というのはどうやら旧電電公社が昭和29年に開設したマイクロウェーブ回線の瑞局で20年間続いたようだ。東端という名称だったらしい。当時は電話やテレビ放送などに使われていた。

バブル期 1984-1990(昭和59年~平成2年)

今のヒルズのあたりはテレビ朝日が構えていた。
ウィキペディアによるとテレビ朝日は1957年、東映、日経新聞、旺文社が中心となり日本教育テレビを設立して、その後に東映が朝日新聞の傘下に入り、1977年にテレビ朝日となった。

一番北側のギリギリのところに佐藤一斎の墓というのがある。
国の史跡に指定されている江戸時代後期の儒学者だ。天保の改革にも参画し、将軍にも講義献策し、門人は3000人以上、佐久間象山や渡辺崋山などを輩出した重鎮だったようだ。87歳死去。お墓自体は昔からあったはずなので、こうして地図に登場するのは何か世の中的な流れがあるのかもしれない。
言志四録という本を書いていてこれは指導者の指針の書として今日も読み継がれているようだ。
2001年に小泉純一郎がこの本の内容について述べている。一生勉強なんだという話。

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バブル期から現代にかけても発展著しく、さらに劇的な変化を遂げている。

江戸時代から大名の上屋敷があり、明治以降も大使館や当時の有力者が邸宅を構える昔からの一等地だったということがわかったが30年くらい前の本をみると、六本木6丁目のヒルズ近辺の紹介はほとんどされていない。
30年前にはすでに多くが様変わりしてしまい、史跡として取り上げるにあまり材料のない土地だった。

六本木ヒルズが再開発されるまでは、毛利庭園の池の近くに、赤穂浪士切腹の場所と乃木希典誕生の石碑があり高札があった。
赤穂浪士は長府藩の毛利家に預かりとなった経緯があり、10人が切腹。乃木は長府藩出身。
高札や石碑も今は無くなっている。毛利庭園も昔の姿とは全く形が違うようだ。
「毛利庭園??モリ庭園の間違いでしょ」
と辛辣なホームページもあった。(この辺一帯は森ビルが開発している)

が、しかし

バブル期にあった毛利庭園も文明開化期の毛利の庭園と比べたら様変わりしている。
明治期の曹洞宗大学があった風景を覚えている人はもう存在しないし、真田邸がどんなものだったかは古い写真でしか残っていない。昔はどうだったこうだったという人が死に絶えながら土地は変わっていった。

今回もまた意外な発見が多くありました。地図は素晴らしいです。


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