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【渋谷区】原宿ハラカド

ある暑い夏の日、原宿のハラカドに行ってまいりました。

何年か前に原宿の隠田神社をしらべて、江戸時代には伊賀忍者に与えられた土地であることがわかりました。(諸説あります)

そんなこんなで原宿は忍者の土地なんだと思った次第です。

ネットサーフィンしていると、ある建築家の方が「原宿のハラカドは壊すことを前提としてつくられた取るに足らない建築物」という表現でしたので、それを再確認する意味もありました。

実際に行ってみると、なるほどその通りのように見えてきてしまいますね。
日本は壊して建てで経済回していると感じるのでそれは仕方ないんじゃないかと思いますけれど。

そんなことを考えていたら、ふとした旅YouTubeで、ローマの建造物が300年代のものがあると知って驚き。ミラノ大聖堂なんて完成まで500年かかったらしいですから、そういう視点で日本の建物を建物をみちゃうとそりゃ面白くはないでしょうね。

原宿ハラカドの誕生によって、斜め向かいの表参道オモカドと対になる形となりました。

開発は東急不動産です。渋谷を拠点にして再開発を主導としています

渋谷といえば東急。
有名な109イチマルキューもよくよく考えれば 10トー 9キューでした💦 

東急の表向きの創業者は渋沢栄一となっていますが、実質の創業者は五島慶太で、五島は阪急の小林一三(東宝、宝塚などで有名)を真似て駅にデパートをおくなどの土地開発をしていたのだとか。

現在の東京の原型は明治以降に現れた阪急・小林、西武・堤、東急・五島、東武・根岸、といった生き馬の目を抜くようなゴリゴリの連中が作ったという印象を持っています。

ではハラカドで東京時層地図を開いてみましょう。


現代の地図

○有名なところですよね。1990年代はラフォーレ原宿を中心とした若者文化の発祥の場所。

○竹下通りも今も混雑しています。

○東郷神社は娘の七五三を行いました。
(コスト的なところで選んだので、次回は違う場所にするかもしれません。もう7歳なのではやいところ決めないと・・・親戚の着物じゃ嫌だっていうんですよね。)

○西側はわりとスカスカな感じに見えます。このあたりに住んでいる人は食料品の買い出しとかどこでしているんだろう??スーパーがどこにあるか記憶がない・・・。千駄ヶ谷のOKとかかな

明治9~19年 1876~1886年

隠田との表記 茶畑は明治以降になって旧武士のくいぶちのために政策としてさかんに作られたようです。
流れる川は渋谷川、現在のキャットストリートにあたります。

竹下通りのあたりに竹林があるので、竹の下でこれが竹下の語源かなぁ??

明治39~42年 1906年~1909年

竹下通りの竹下という名称は古くからあったようです。
北は池田別邸。

今の原宿駅の南側は源氏山と呼ばれていたようです。

源氏とつくからには源義家や頼朝関連なのかなとおもいましたが、天正年間に清和源氏の末裔、飯尾連龍の次男、飯尾正宅一族が開墾したことが源氏山の始まりとの案内板が飯尾氏のお墓にあるようです。

Wikipediaによると飯尾氏の祖先は三善氏であって源氏ではなく、飯尾正宅という人も良質な資料には実在しないとも・・・

とにかくこの一帯は源氏山と呼ばれていたことは地図が示す通り間違いないです。

今のラフォーレの裏がその名にちなんで源氏山テラスと呼ばれているようです。

関東大震災直前 大正5~10年 1916年~1921年

○明治天皇崩御により、原宿駅の西側に明治神宮ができることになって、参道ができあがりました。今と幅があまり変わらないのですね。

○源氏山の北にあるお墓が飯尾氏のお墓なんでしょうね。

昭和初期戦前 昭和3~10年 1928年~1935年

○このあたりの明治通りは昭和3年につくられたようです。

○以前原宿を記事にしたとき書いたとおもうのですが、空襲でアスファルトがドロドロになって、人々の足跡がついていたと、当時を知る方に教えていただいたことがありました。

松平邸というのもありますね。どの松平さんなのか・・・
松平さんは隠田三丁目百七十三番地
隠田三丁目百七十一番地なら三光燃料株式会社の取締役、山形晴助さんということはわかったのですが・・・(昭和7年)

高度成長前夜 昭和30~35年 1950~1955年

○ 南側の救世軍士官学校って戦後のこの時代に軍だと士官だのと残っているのがきになります。
キリスト教系の伝道師を養成するための学校で現在は杉並区に移転したようです。

○ 表参道はケヤキ並木が印象的ですが、戦時中にほとんど焼けてしまったので、戦後植え替えたようです。

○ 1960年代にはいると高級マンションが建ち、原宿族なる若者があらわれだしたとのこと。

ラフォーレ原宿ができたのが1978年。もう45年以上前の話か。

バブル期 昭和59年~平成2年 1984年~1990年


○ 太田記念美術館は1980年開館の浮世絵専門美術館

○ 原宿の歩行者天国は1977年に始まり1998年に廃止。
歩行者天国があったころには東京には来ていたのですが、どういうものだったか記憶がありません。1995年頃に原宿の古着屋でベロア素材の長袖ポロシャツを買ったことはハッキリおぼえています。

○ ハラカドのこの角にコンドマニアというコンドーム屋さんがあり1993年にオープンして閉店になるまで25年営業。

○ オモカドがあった場所にはGAPがありましたが2010年に閉店。2012年に東急プラザ表参道店として開店。のちにオモカドと名称変更。

ハラカドは2024年4月にグランドオープン

ハラカド屋上より けっこう急な階段です。
ガラスと緑が印象的 ガラスを取り入れることによって、空が写るので圧迫感をなくしている工夫なのかなとおもいました。とにかく暑くてこの時期は大変。外で快適な気温というのは東京の街中だとなかなか難しいです。夏は暑いし冬は寒い。
斜め向かいがオモカド。これでオモカド、ハラカドという表参道の阿吽の狛犬が完成したわけです。思いつきで言ってみましたが、そういうと狛犬にみえなくもない(みえないですが💦)
上層階は催事スペースとなっていて、この時は障碍者関連のイベントだったとおもいます。缶バッチを二つ購入。
通りすがりで2人で授業を受けさせてもらいました。「人は美術館ではまず題名をみてしまうが、同じ絵でも人によって見方が違うんだよ」という授業でした。

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