見出し画像

【港区】麻布台ヒルズ

ある日、雨が降り続く週末でしたので、麻布台ヒルズにいってまいりました。
日比谷線の神谷町の駅から直結しているので雨にぬれずに行けます(森JPタワーに行くには外を歩くので結局は濡れます)

結論からいえば、行ったという話のタネにはなります。

インバウンド狙いの施設なので、基本的に高いです。

千疋屋のカフェなんてなかなかお目にかかれませんよね。

コーヒー屋さんもあってエスプレッソが一口400円くらいだったかな。

ハンバーガー屋さんのハンバーガーは3000円で、外国人観光客が長い列を作っていました。

施設は広大ですが、それは住居部分を含めての話ですし、行ける店舗は限られています。(といっても、カルティエとかディオールとか行く用事ないです(笑)

現在日本一高いビルである森JPタワーには下の階しか入れません。

まあまあ、一度行くことに価値がありますよ。
昼食だってコンビニでおにぎり買って行けばいいわけだし。

森JPタワーは日本一の高さもさることながら、その宇宙戦艦のような厚みに驚かされます。

エンタシスっていうのですか、ギリシャの柱のような形です。
これもインパクトがすごくあります。語彙力が小学2年生ですが。

それでは、この写真をご覧ください。

ひときわ目立つ、現在日本一の高さの森JPビル 宇宙戦艦のようだ。

そしてこの、異彩を放つ黒い建物はなんだ???

麻布台ヒルズのホームページなどには一切触れられていませんが、
麻布台ヒルズに囲まれている巨大施設があるのです。

エヴァンゲリオンの第六使徒にも見えてくる。

エヴァンゲリオン序の使徒来襲シーン 

こちらは宗教法人霊友会の釈迦殿となります。
50年前の建物とは思えないほど前衛的。

1975年に竹中工務店で施工。
設計は岩崎堅一氏(1939年~2023年)有楽町マリオンも設計した建築家です。
1996年 BELCA賞 (ロングライフ部門)


霊友会が竹中工務店で、麻布台ヒルズも竹中工務店だったら、儲かっちゃってやり手だな思いますが、麻布台ヒルズの施工会社は清水建設、三井住友建設、大林組がメインのようです。

やはりそのへんの仁義的なものはあるのでしょうか。

マップをみても麻布台ヒルズ完成にあたっては、森ビルと霊友会の相当なつばぜり合いがあったことは想像に難くないです。

南東の部分も買収したかったでしょうね。南西の部分は外務省と小学校です。この不完全さ。これもまたいい。


東京タワーから麻布台ヒルズを撮った写真もありますのでこちらも。

JPタワーはここまで離れても圧があります。霊友会釈迦殿も異彩をはなっていますね。直下のメソニック38Mtビルは建て替え工事中。メソニックビルとは名前の通りフリーメイソンの本部なんだとか。スゴイな、東京奇景ですよこれは。

今回は上の写真の森JPタワーと釈迦殿から東京時層地図を見てみましょう。

東京タワーから写真を撮って、そこの地点で東京時層地図を開くっていうのも鳥瞰図みたいでいいかもしれませんね。



現代の地図

霊友会の他にも西久保八幡神社という神社があります。昔一回行ったことがあったな・・・
4年前の写真です。当時工事中。狛犬です。
結構急な階段です。これをみるとアースダイバーを思い出します。眼下は海だったんだろうなと。そして実際にここには貝塚があるのです。縄文の聖地は現代も聖地というアースダイバー筋書き通りの場所。

階段の真ん中の柱は明治28年3月と書かれています。

ちょうどそのころの地図がこちら。

明治9~19年 1876~1886年

大きな建物から小さな建物が林立しています。江戸時代の地図をみても非常にごちゃごちゃしていました。

北側から毛利邸、梨本宮邸とあります。

もちろん明治になってから移動してきた旧大名と皇族です。

現在地のちょっと北側には大養とかいてあります。江戸時代には大きなお寺がありました。明治維新後は廃仏毀釈の流れをうけて、ほそぼそと続いていき、ついには現代、麻布台ヒルズの一角となりました。


明治39~42年 1906年~1909年

毛利邸は大村邸
梨本宮邸は麻布御殿になりました。
現在地北には仙石邸という表記もあります。

仙石氏は美濃国の大名、大村氏は長崎の旧大名で、明治維新で活躍があったようです。

麻布御殿は江戸時代に白銀御殿、富士見御殿とも呼ばれたとのことですが、それは徳川綱吉の1690年代の話で1855年幕末の地図をみると青森の南部氏の屋敷なんですよね。

ですので、この麻布御殿は新・麻布御殿ということになるかとおもいます。

現在の六本木1丁目には、麻布御殿が建てられていた。同地は、明治7(1874)年に旧八戸藩主南部家の邸宅を静寛院宮の邸宅として宮内省が購入したことが始まりである。その後、周辺地を買い上げて拡大し、明治天皇の直宮である富美宮、泰宮の養育所として使われたほか、大正・昭和期には東久邇宮邸として利用されている。[宮内公文書館蔵]

港区立郷土歴史館


関東大震災直前 大正5~10年 1916年~1921年

赤坂もそうですが、江戸時代以降のごちゃごちゃした街並みという感じです。

麻布御殿は東久邇宮邸となっています。
主の東久邇宮稔彦は戦後の処理にあたった内閣で、終戦時の内閣だった鈴木貫太郎とともに、誰もやりたがらない役周りですから、当然大変な重責だったと思います。

戦後は皇籍離脱し、その後は波乱の人生となりますが、波乱の人生を乗り越えるくらい生命力は非常に強かったようで102歳没。


昭和初期戦前 昭和3~10年 1928年~1935年

東久邇宮邸は改描がされています。

我善坊町という表記の名前になった我善坊谷は、再開発ですでにありません。

このあたりは戦災焼失地域となっている場所とそうでない場所があります。

というのもソヴィエト大使館と中華民国大使館があるからだと思います。

高度成長前夜 昭和30~35年 1950~1955年

ポツっと霊友会が登場。1951年に宗教法人化したようです。
霊友会からは多くの新興宗教が分派して立正佼成会もその一つ。

バブル期 昭和59年~平成2年 1984年~1990年

霊友会拡大、隣に郵政省の巨大な建物。
この当時1989年には街づくり協議会が設置されて、2017年には都市計画が決定されて2019年に麻布台ヒルズ着工。

デイリー新潮によると

「そこには“我善坊谷(がぜんぼうだに)”と言われる窪地があって2代将軍・徳川秀忠の正室が荼毘に付された場所なんです。古いアパートとか商店があったんだけど、森ビルが社員寮を建てたのが20年以上前。以来、各家に土地を売って欲しいって声をかけて回っていました。でも、ビルが建つことは全く教えてくれません。まさか、こんな大きなものが建つとは……」(麻布台に住む住民)

「プロジェクトは30年前から手掛けてきたものです。世界の一流人材に集まってもらうため、インターナショナルスクールも併設します。オフィスのほか約1400戸の住宅も作る予定で、一番大きい部屋は5LDKの千平方メートルになる予定です」(森ビルの広報担当者)

https://www.dailyshincho.jp/article/2019/09070559/?all=1#goog_rewarded

土地開発というものは30年かけてやるものだという、まさに人生を賭けている執念のようなものを感じました。
20そこそこで入社した新入社員が定年間近までやるプロジェクト。

うーむ。

宮邸、麻布台ヒルズ、霊友会、フリーメイソン、森ビル。

このあたりは濃い、濃すぎますね。

滑り台みたいで楽しそうですが、滑り台ではありません。
カルティエとディオールを露払いと太刀持ちに据えて、横綱森JPビル
芝生も入れると奥のベンチも座れるのですが、来る人数的に芝生が傷みそうだから厳しいかな。

いいなと思ったら応援しよう!