
【葛飾区】葛飾、柴又、矢切の渡し
前回からの続きで柴又帝釈天近辺を散策しました。
川沿いに「矢切の渡し」というものがあるというのでちょっと行ってまいりました。







「矢切の渡し」という歌があるのは知っていましたが、世代的に上の世代なので、聞いたことがある程度です。
1982年にちあきなおみが歌い、1983年に細川たかしで大ヒット、
つれて逃げてよ~ついておいでよ~
40年前の曲か。 同じ年のわらべの「めだかの兄妹」は覚えているから聞かされていたかどうかの違いかな。連れて逃げてよついておいでよは歌詞からすると大人のですもんね。





景観が素晴らしく、河川敷と青空をみていると気持ちがスーッと晴れますね。
なんだかめちゃめちゃいい場所だなとおもって改めて調べたら、環境省がおこなっている
「残したい日本の音風景100選」
に帝釈天と矢切渡しは選ばれているんだとか。
23区だと上野の山と石神井公園の三宝寺池のみ。
なんと、隠れた名所だった!!
さて、例のごとく東京時層地図を見てみましょう。
現代の地図

明治9~19年 1876年~1886年頃

今現在の矢切の渡しからは南にいったところが船着き場。
現在でいうところの、「柴又緊急船着き場」とGoogleマップに書かれている場所。
こちらが観光用でなく災害などがおこったときのガチの船着き場のようです。コンクリートで整備されています。
明治後期 1900年頃

大正時代 関東大震災前 1920年頃

矢切渡しは、1906年 明治39年 伊藤佐千夫の「野菊の墓」の舞台になり有名になったとのこと。
野菊の墓はティーンエイジャーの恋の別れの物語です。
昭和初期戦前 1935年あたり

金町浄水場が出来ています。
大正15年 1926年 竣工
浄水場があるっていうことはこっち側は水害の被害の可能性が低い場所なんですね。土手からの眺めが妙に良かったのは標高がまわりとくらべて高いからっていうことか。なるほど。
戦前の地図なので重要拠点は白抜き改描。水質は川の汚染で悪くて、一時、日本一マズイ水道水という称号を得たのだとか。
昭和12年につくられた取水塔が現在もあるようなので、見に行けば良かったです。
矢切の渡しはこの時期に現在の場所に移ったようにみえます。
大正期以降に二子玉川の「二子の渡し」は廃止になっています。上矢切渡が廃止になっているのも、この流れがあるのだとおもいます。
下矢切渡が場所を移して生き残っているのは、「野菊の墓」の影響が多いにあるんじゃないでしょうか。
100年前の話なので推測ですが。
戦後高度成長期前 1955年頃

矢切の渡しが行われていたのかいないのか。
道路があるので矢切の渡しはあるっぽくもみえます。
バブル期1990年頃

日本一マズイ水道水の称号をえた金町浄水場の水ですが、オゾンと生物活性炭を使った高度浄水処理によっておいしい水に生まれ変わり、ペットボトル詰めにされて売っていたようです。令和3年10月で製造販売終了。
「矢切の渡し」は明治後期1906年に野菊の墓で有名になり、
戦後1969年の映画 男はつらいよシリーズ の大ヒット
さらには1983年のちあきなおみと細川ひろしの歌謡曲「矢切の渡し」の大ヒット
によって知名度を不動のものとし、さらに景観が良い(とくに柴又駅から帝釈天を通り、土手を上がったときの景観のギャップが印象に残る)場所でした。
明治後期から小説でも映画でも歌謡曲でも有名になっている場所はかなり珍しいのではないでしょうか。
120年続く名所というのは都内であまり聞いたことがないです。(なおさら船にのっておけばよかったと後悔。船頭さんは明治初期から杉浦家が引き継いでいるという記事をみました。)