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【中央区】勝鬨橋付近
隅田川沿いを釣りしながら散歩。
この時はダボハゼのあたりが多数ありました。この辺りを釣りして歩いている人はシーバスかクロダイといった大物狙いですのでダボハゼ狙いの人はいないと思います。僕もシーバス(スズキ)とかクロダイのほうがいいのですが、気楽にあたりを味わえるといったらやっぱりダボハゼ。
釣れたらそれを泳がせにして更なる大物を狙うのもいいとおもいますが、毎回そこまで頭が切り替えられません。
暮れ行く夕日を見ながら、一歩一歩釣り歩いていましたがあっという間に日が暮れてしまいました。
今日はここから東京時層地図をみてみたいとおもいます。
勝鬨橋付近。
勝鬨橋の由来はなんとなく想像はつきます。エイエイオーのかちどきのことですよね。
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現代の地図 2023年
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大江戸線の勝どき駅付近。
北側が築地、南側が勝どき、さらに晴海方面となります。
最近のお気に入りスポットです。水の流れがあるところってなにか落ち着くんですよね。まあ釣り歩きしたいだけっていう。妻子が帰省したさいには釣り歩こうとおもっています。
明治初期 1880年頃
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当然のことながら、この時代は海というか干潟というかそんな感じの場所です。
〇 南側の築地の兵器局製造所は海軍の施設があった関係です。
〇 北側には川崎造船所
〇 北東には明石橋があり、陸軍省会計局倉庫、水上警察署、東京府旧運上所となります。この北が外国人居留地になったために、運上所はその管轄の役割をはたしていたようです。
明治後期 1906~9年頃
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〇 20年ほどで月島の埋め立てが進んで人が住めるようになっているところが驚きです。
東京湾澪浚(みおさらい)工事というようです。
この一連の工事は江戸時代の月島から始り、現在も名前を変えて続いている事業のようです。
となると隅田川だとおもっている川はもともとは隅田川じゃないということになりますね。川の形状をしているがそもそも海であると。
永代橋より先はもとは川じゃないんだ。
〇 かちどきわたし が出来ています。明治初期には無かったものです(島がないから当然ですが)
勝鬨渡しは明治38年 1905年 日露戦争の旅順陥落祝勝記念として設置されたようです。日本とロシアの戦争でなぜ中国の土地がと思ったのですが、旅順は当時はロシアが占拠していたようです。
大正時代 関東大震災直前 1920年頃
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〇 月島(現 勝どき)の南も埋め立てがすすんでいます。橋も浜前橋、新島橋と海辺らしい名前。 浜前橋には水門があったので写真もとりました。
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昭和初期戦前 1935年頃
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関東大震災後の都市計画で、日比谷から現在の晴海までの幅広い道路が通されて、後に勝鬨橋となる土台がつくられた様子が見てとれます。
勝鬨橋は
東京で万国博覧会を開催するにあたって、そのメインゲートとして計画され、昭和8年から建築着手。昭和15年完成。
肝心の万博は
現在の晴海と豊洲をメイン会場として行う予定でしたが、戦争の激化によって中止となり幻の万博となりました。
そしてなんとこの勝鬨橋は真ん中部分が開く跳開橋となっております。スゴイ!!
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奇しくもカメラアングルがそれほど変わらない場所からの撮影していました。
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東京オリンピック後、橋を跳ね上げるような大きな船が通らなくなってしまったこともあって、跳開橋としての機能は1970年で終了。今に残る歴史的文化遺産ですね。
高度成長前夜 1955年頃
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〇 戦後、築地の一角は米陸軍病院に
〇 川岸は乾倉庫となっています。
乾きものの倉庫かなとおもったらさにあらず。
神戸の海運王、3代目乾新兵衛が明治期に築いた乾財閥で乾汽船として現代も続いている会社でした。
海運、不動産、倉庫事業が根幹。
現在の社長も乾さんで、明治から一族経営が続く大きな会社もあるんだなと勉強になりました。稼業を代々続けるというのは大変なことだとおもいます。
宝くじ当たったら仕事をやめて好きな事をして過ごしたいと日々願い、そんな男は厳しくしつけないとダメだと奥さんに日々言われている私とは大違い。
でも対外的なことはともかく、50間近の限りある人生、つつましく生活できるなら別に仕事しなくてもいいじゃないかと思いませんかね。20歳じゃないんだから。
バブル期 1990年代
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つい最近の平成28年に月島川水門が新しくなっています。
どなたが案をだしているかはわからないですが墨田川沿いを散歩できるのは本当に素晴らしいです。
周辺の地価価値を上げています。
災害のさいの住環境のペイオフなのかもしれないけれど。
バブル期のこの時期よりも、現在は各段に良い環境だとおもいます。
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