【千代田区】東京駅丸の内駅舎
桜の時期、はとバスのツアーで東京駅丸の内口にいってきました。そのついでに東京時層地図。
赤レンガが明治建築っぽさをだしていて良い雰囲気ですね。
なにか違うなとおもったら、この写真は左右のドーム状の構造物を中心にして撮られた写真でした。
この時代は東京駅は東洋一の大停車場。一大名所として「むかし日本橋、いま東京駅」といわれるほどの名所だったようです。
皇居周辺には他にも明治建築があります。
明治建築といえば、赤レンガの2,3階建て。いいですね。案外天井も高かったりするんですよね。
現代の地図
東京駅周辺は慣れない私にとっては迷宮中の迷宮。新宿や池袋も迷宮といわれていますが個人的感想では比ではないです。周辺の駅と地下で微妙につながっているんですよね。
明治9~19年
明治の文明開化時期にはこの周辺は様々な建物があります。
東京裁判所(明治4年設置 東京地方裁判所の原型)
司法省(明治4年設置)
大審院(明治8年設置 現在の最高裁判所の原型)
警視庁(明治4年薩摩藩出身を中心にして組織化)
監獄署(鍛冶橋監獄のちに富久町の東京監獄へ)
法学校(明治4年設立 司法省法学校)
東京控訴裁判所(大審院と東京裁判所の中間)
明治4年設置が多いですが、明治4年の司法大臣は江藤新平なので彼の主導によって司法関係の施設がつくられたのだとおもいました。
警視庁はそもそも薩摩藩出身者を中心として固められていたことも新たな発見。
30年間ほどは警視総監も薩摩藩出身者、多少土佐藩出身者で回していたようです。現在は出身地ではなく出身大学で決まっている印象。
下には江戸36見附の一つである鍛冶橋御門があります。今も東京駅周辺に石垣が多少残されているとか。
明治後期
すっきり綺麗ですね。
大正3年に東京駅は落成しますから、その準備段階の地図なのでしょうね。周辺が更地になっています。線路の下地のようなものができていますね。警視庁はぎりぎり踏ん張っています。
大正時代 関東大震災前
まさにこの辺りですね。路面電車が走っていたことも地図や写真からも確認できます。すごい人数です。
地図をみると外堀はまだあるようです。
最近めちゃめちゃ遅ればせながら鬼滅の刃を読んでいますが、大正時代設定なんですよね。炭次郎は刀さしているので時代感がわからなくなりますが。今はちょうど上弦の壱の黒死牟が倒れた所。
1945年の空襲で建物の屋根部分が焼失。
1955年頃の高度成長期前夜
バブル期1988年頃
そういえば気になるのは江戸時代ですね。ちょっとみてみましょう。
1860年頃
信濃松本藩 松平光則 (1828年~1892年)
老中 下総関宿藩 久世広周(1819年~1864年)
下総鶴牧藩 水野忠順(1824年~1884年)
備前岡山藩 松平慶政(1823年~1893年)
大体この辺りの大名屋敷だった場所だとおもいます。
司法省らが建てらえたのが明治4年。1871年頃なのでたった10年でこの変化は鳥肌が立ちますね。なにがどうなったらこうなっちゃうんだろうとクラクラします。
ここでは毎回言っていますが、近代史まれにみる強烈なインパクトがあるのは明治維新をおいて他にないと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?