新橋にある烏森神社に立ち寄ってみました。
千駄ケ谷にあるのが「鳩の森」ハトノモリ
新橋にあるのが「烏森」カラスモリ
過去に地図巡りをする過程でカラスモリ神社のことに触れる機会があったのですが、ついにここを訪問することができました。周辺は新橋駅の雑居ビル群でちょっと不思議な雰囲気。
3年の月日が経過して、この地を訪問することができました。
神社のホームページによりますと
神田明神などの将門を祀った神社と反対にこちらは将門討伐の為の神社になります。
反将門系の神社といいますと、この烏森神社を含めて都内にいくつかありますが、どこも藤原秀郷の名前がでます。
藤原秀郷立ち寄りすぎじゃないかと思ったりします。
北新宿の鎧神社も藤原秀郷由縁でした。
当時50歳前後の(栃木)の藤原秀郷が(東京)にきてそんな各地を回るのかな・・・
かるく史実をなぞってみると、(栃木)の反朝廷的な武力勢力だった藤原秀郷が(茨城)で起こった平将門の反乱を討伐するためのリーダーとして、朝廷に担ぎ上げられ、毒をもって毒を制するような形のようで、栃木と茨城で戦していたようなので、そもそも(東京)に来るのかな?
藤原秀郷の拠点は栃木県南部、かりに小山市あたりとすると、将門の拠点は茨城県の坂東市で40kmほど。普通に考えて直接攻めに行きますよね。
それにしても伝わっている話の多さでは徳川家光とか藤原秀郷かっていうくらいです。とはいえ、栃木県出身者として藤原秀郷の活躍は嬉しいですね。
調べるまで京都の役人が栃木県に来たと思っていたので。
個人的には将門公関連だとなんか身体に障りがあるんじゃないか説があり、
以前、将門塚、将門塚を祀っていた酒井雅楽守家墓所にお参りした数日後、コロナになり、再び将門塚に参拝した後に風邪気味で体調ガタガタとなったので、将門公関連との相性は今一つなんじゃないかと思ったり。
とはいっても僕の出身地の神社は平将門が乱を起こすにあたり、祈願した神社とも伝わっているので、相性が悪いわけはないとおもうのですが・・・。とはいっても50kmは離れているのでわざわざ行くのかなと思ったり。
まあ1080年前の話なので。
では東京時層地図をみてみましょう。
しかしこの辺りで働くサラリーマンっていうのは世の中的にみたら上位のエリートなんですよ。しょうもないオヤジっていう演出をしているテレビの罪だとおもいますね。人を下げても自分は上がらないのにね。
明治時代後期
大正時代
駅舎らしきものもありますが、どうも「旧新橋停車場」と現在復元されているものとは違いそうです。旧新橋停車場はのちの関東大震災で倒壊。
昭和初期戦前
1955年頃 高度経済成長期前夜
戦後、西新橋はヤミ市ができ、暴力団と愚連隊と武装華僑と警官隊がバチバチにやっている時代だったようです。
ちょっと北にいくとNHK、東電、勧業銀行、第一ホテル等の高級施設がありますから、戦後の混乱期ですね。
バブル期
現在公園となっている場所は桜田小学校 平成3年に廃校ということなので廃校直前の地図。
ニュー新橋ビルは1971年竣工 中にはいってみましたが時代をかんじました。
こちらは新橋名物のSL C11292 実はこの車両は東京を走ったことがないということです。新橋開通100年を記念して設置されたのだとか。