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【港区】品川駅の東側 高浜運河

春休みの頃に品川駅の東口の高浜運河にちらっと行ってきました。

当時小1の娘が、一人で飛行機に乗って北海道にいく(奥さんの実家が北海道)というものだから、羽田で飛行機乗るまで見送りです。その帰りに釣りができると思ったのです。

いくら飛行機会社さんがアテンドしてくださるとはいえ、僕だったら絶対に乗っていません。そもそもバスですら一人で乗ったのは中2くらいの年の頃でした。
性格的に似ているとは思っていたけれど、違うんだなと思いましたね。
夏のキャンプ合宿も知り合い一人もいないのに行くとか言っているし・・・家を出るのも早いのだろうか。

釣り具を持っているのですが、案の定手荷物検査で止められました。
釣り針が入っているとダメなんだそうで。
私は飛行機に乗らずに見送るだけだから、荷物は検査場で預かってもらいました。

そして無事に見送った後は、品川で降りて東にあるき、たどりついたこの場所は高浜運河です。

高浜運河 隅田川筋の運河とは匂いや色が違う。
奥にあるのが御楯橋(みたてばし)

結果からいうとなにも釣れませんでした。

3月の時期はどこも魚がいなくなる寂しい時期なのですが、数多くのボラが水面を飛び跳ね、水中を泳いでいる姿がみえ、シーバスっぽい魚体が、ギラッギラッと水中で身をひるがえして、そのボラを食べている様子も感じることができ、水鳥達が何回もダイブを繰り返し、ボラを食べている、まさに食物連鎖の狂乱の宴を目の前にし「あーこりゃすぐ釣れちゃうぞ」
と物凄い期待感とともに釣り糸を垂れたのでした。

一匹も釣りあげることすらできませんでした。

考えてみれば、

ボラはイソメは食べない(雑食なので食べる場合もあるかも)

シーバスはいきのいいボラ(魚)を喰っているのでイソメ(虫)なんておよびじゃない

釣れね~ですわ~

となるわけです。YouTubeで検索したところ、ボラをルアーで狙うマレッティングという釣りもあるみたいなので、今度はそれに挑戦してみようと思います。

そしてこの運河の特徴としては、今まで行ったことのある東京河川、運河、そう多くいっているわけではないですが、

ダントツに臭いんですよ。

僕自身、臭いだとかそういう言葉は使いたくない。

でも、もうここは他の場所とは違いました。

仕掛けを運河に落とす、回収する、回収した仕掛けが、もうそれだけで臭いんですよ。仕掛けに真っ黒なヘドロが付くんです。底に真っ黒なヘドロが溜まっているんですよね。

ボラがなにを食べているかというと、そのヘドロを食べているわけで、ボラにとってはここは楽園。だから魚をあまり見かけない時期でもめちゃくちゃ集まっている。

で、これは今に始まったことではなく、毎年秋ごろにはボラが大量発生し、それを狙って海鳥が狂乱の宴を繰り広げるようです。

ここで釣っても、その後がなぁ・・・・と思いました。
やるとすれば、強い糸でタモを使わずに引っ張り上げて、その過程で針を外してリリースすれば、それほど臭さを食らわずに済むかなとも思ったり。

捕れる場所が場所なら、高級珍味のカラスミはボラの卵巣だし、スーパーで出回っているものなら間違いはないんでしょうけれど、この場所のボラは東京湾奥ボラでアンタッチャブルな存在です。
ただパワーはあるらしいのでゲームとして狙ってみたい気持ちはあります。

そんなボラの楽園、海鳥とフィッシュイーターの宴の地、高浜運河で東京時層地図を開いてみました。



現在の地図

現在地は青印
緑道公園化しているので、散歩するにはちょうどいい場所です。休日でしたが人も少なかったです。おそらく平日のほうが働いている人で多いんだろうなとおもいました。

この地図だとわかるものが少ないです。

さらに東にある東京海洋大学品川キャンパスと芝浦中央公園くらいしか名前がでていません。

越中島の東京海洋大学については過去に調べたことがありました。(なかなか検索できませんでした…自分でも検索しやすい様に今後の題名はわかりやすくしたいです。記事数も増えてきたのでナンバリングすることにします。)

毎年、7月第三日曜日の海の日は、明治天皇が北海道から船で無事に帰って来た日が発祥となります。その時の御召し船は東京海洋大学キャンパス内に明治丸として鎮座しています。

さらに東京海洋大学といえば

さかなクンさん が入りたくても入れなかった大学として知られ、現在は東京海洋大学名誉博士・客員教授となっている場所であり、

人気YouTuberの 素潜り漁師まさるさん の出身校であるということも知られています。まさるさんのYouTubeは沖永良部島で素潜りして魚を獲る動画で、非常に人気が高いです。

関東大震災直前 大正5~10年 1916年~1921年

現在地はなにもありません。

大正昭和にかけて東京湾が埋め立てられていくのは、隅田川の浚渫工事(川の深さを掘って一定にする)の土砂を使ったものだとこれまでの過程で学びました。

昭和初期戦前 昭和3~10年 1928年~1935年

関東大震災後から昭和初期にかけて一気に埋め立てが進みました。

高浜町の表記があります。

隅田川口改良工事に伴い、品川駅の東側一帯が埋め立てられていきました。
その後、埋め立ての進展に伴い、昭和8(1933)年に「高輪の浜」を意味する高浜町が設置されます。
現在では品川駅周辺エリアのため「品川」と呼んでしまいそうな地域ですが、戦前はどちらかというと高輪に関連付けられた地名だったというのは面白いところです。

https://iza-machi.com/minatoku/shibaura-daiba/1754/

なるほど、たしかに高輪ゲートウェイの近くだ。

さらには

○ 市水道局芝浦慮分場

下水処理場がこの時代からここにある。歴史と伝統の芝浦水再生センター。

芝浦水再生センターは、昭和6年に稼働した東京で3番目に古い水再生センターです。周辺環境は、かつての港湾倉庫街から、オフィスビルの立ち並ぶ都心の市街地に変貌しています。処理区域は、千代田・中央・港・新宿・渋谷区の大部分及び品川・文京・目黒・世田谷・豊島区の一部で、面積は6,440ヘクタールです。これは、JR山手線の内側の広さに相当します。
処理した水は東京湾(運河)へ放流しています。また、その一部を繊維ろ過してセンター内で機械の洗浄・冷却・トイレ用水に使用しているほか、オゾンによってさらにきれいにしてから近隣地区にトイレ用水等として供給しています。
発生した汚泥は、南部スラッジプラントへ圧送し、処理しています。

https://www.gesui.metro.tokyo.lg.jp/business/b4/guide/sise-list/03-01/

山手線の内側の広さの処理区域。まさに都内衛生設備の最重要拠点と言えるでしょう。逆にそれだけの広範囲をよくこの場所で処理できますね。


○ 高浜ゴルフ練習場

ヤフー知恵袋で面白い考察がありましたが、ゴルフ練習場自体は存在していたようです。国会図書館デジタルコレクションに資料がありました。

プロも所属していて
青木富雄、中島昇、下田廣 

青木とか中島とか往年のゴルフの名選手を想起させる名前ですが関係はないんだろうなぁ・・・


○ 市設芝浦屠場

昭和11年に都内各地の屠場を集めてできたのが、芝浦屠場。

現在に至るまでおいしくて安全なお肉を提供していただき感謝です。


高度成長前夜 昭和30~35年 1950~1955年

○ ゴルフ場は戦後を経て自動車会社となっています。この自動車会社はどこなのか調べきれませんでした。現在、ソニーの本社がある場所です。

○ 隣に沖電気会社ができています
明治期に沖牙太郎が明工舎を設立し、浅野財閥の浅野総一郎が社長となり沖電気に。

○ 東京水産大学があります 1957年 昭和24年にこの地に移転

20003年 平成15年に 越中島の東京商船大学と合併して東京海洋大学となります。



バブル期 昭和59年~平成2年 1984年~1990年

この運河になぜボラが大量にいるかの仮説を立てました。(もしかするとそんなの常識だよという事かもしれません)

東京海洋大学の素潜り漁師マサルさんが言っていたことによると

10年ほどまえのマサルさんが学生時代、教授の話として

「下水処理能力が追い付いていないから、3日に1回は垂れ流している」

という話を聞いていたといっていました。近隣の海洋大学の教授の話ですから信憑性は高いとおもいます。

雨の日は下水をそのまま流している話は聞いていたのですが、そもそもおいてついていなかったとは。そりゃそうですよね。山手線の内側の面積の下水をこれだけのスペースで処理しきれないでしょう。

さらには食肉市場からでる排水。

濃厚有機肥料のようなものではないでしょうか。

それによって、ボラにとっては最高のヘブン状態がつくられていたのです。

その大繁栄をするボラを狙って空からは海鳥が、そして水中からはシーバスが。都会の片隅で食物連鎖のダイナミックアリーナが繰り広げられている場所でした。

陸からはボラを釣ってみたい。どうやらメバル用のフローティングプラグや、フローティング
匂い対策として、タモアミは使わず、抜き上げ、フィッシュグリップで口をつかんでペンチで針を外して、そのままリリースというイメージをしています。

今回、非常に学びになりました。

ボラを狙ってまた行きたいとおもいます。

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