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【江東区】有明

政治的なことにあまり疑問は持たないのですが、お米の価格については前は5kg2000円、安ければ1600円で買えたのが、いまでは最低でも3000円超えますからね。日本人の主食たるお米の価格がこれじゃマズイんじゃないの、政府は価格調整するべきなんじゃないのと思います。

ということを知り合いに言ったら

「米が無ければパンを食べればいい」

とマリーアントワネットのようなことを言っていました。

たしかにね~ 
お米でお腹いっぱいにしようというのがそもそも間違いなのかもしれません。
年齢的にも米と肉。とかやってる場合じゃないな。
しかしお米が一番安上りなんですよね。5kg3000円でお米一合で90円くらいだし。やっぱそれでも高い…
スーパーでもどうあがいても買えない商品増えましたね。まあお金持ちがガンガン買うぶんにはいいのか。

考えてみたら政治的な事に疑問は持たないと言っておきながら、

103万円の壁とかどうでもいい、働いたら働いた分だけ税金納めたらいいし、ふるさと納税なんて馬鹿馬鹿しい、なんで住んでいる市区町村にお金を収めずに返礼品目当てで関係ない市区町村にお金を収めなきゃいけんのだ。

享受しているのは住んでいる人間なのに、住んでいる市区町村の整備はどうなるんだ。こんなの自分で自分の首絞めてるだけじゃないか。くらいは思います。

先日、明治神宮に行って特別に本殿内に入れる感謝祭?のようなものに参加してきたのですが、神職さんが明治神宮本殿のお話をきかせてくれました。

屋根の銅板の吹き替えのときに、銅板を剥がすのですが、一番高いところに前回の1958年 吉田茂元首相の銅板があり、そこには「世界平和」と書いてあったようです。その他の方も全員が戦争を経験されている方なので、世界平和や平和を願う言葉の数々があったとの事。

そういえば子供が産まれたばかりの2017年12月に、我々も奉納したよねということを思い出し、なんて書いたっけ?平和だっけ。とか言いながら写真を確認すると、「家内安全、社運隆昌」と書かれていました。
ああ、自分の利益しか考えていないんだと思わず先人と比べてしまって恥ずかしくなりました。

さて、本題です。

今回は休みの日にレンタサイクルして豊洲から有明方面に釣りにむかったときに立ち止まって東京時層地図を思いつきで開いてみました。

現代の地図

北から豊洲のららぽーと、豊洲市場、有明アリーナ、有明テニスの森公園、東京ビックサイトとあります。

こちらは東京ビックサイト。水の広場公園は釣りOKです。実はビックサイトの南側も釣りOK(一部禁止)

台場、青海、有明を併せて臨海副都心というのだとか。

都心というのは

千代田区、中央区、港区を指し、
副都心は渋谷・新宿・池袋・大崎・上野・浅草・錦糸町・亀戸・そしてこの臨海地区を指すそうです。

この近辺の家賃相場は高めですね。埋立地で開発が始まったのが最近なので古いマンションが無いからでしょう。

高潮や台風などでの水害のリスクが高い地域かとおもいきや
ハザードマップをみると、洪水、高潮ともに、それほどリスクが高い地域ではないんですね。(すべてのリスクが高いのは荒川沿い)

なんで海沿いのこの地域よりも、内陸のほうが水害リスクが高いのだろうとおもっていましたが、内陸の亀戸、大島、砂町あたりは海抜ゼロメートル地帯で、大島6丁目についてはマイナス3・9m。
なるほど!と思いました。

晴海や豊洲などの運河筋では大潮満潮時には際まで水が上がってくることがあり、これが台風だったら水あふれちゃうなとおもっていましたが、それでも海抜で+ですものね。

やはり後発の埋め立て地だからそのあたりは考えられているものと思われます。



昭和初期戦前 昭和3~10年1928年~1935年

今回の最大の驚きはこちらですね。

昭和初期に埋め立て前提の堤防のようなものが長い距離でできているんですね。これが現在は道路になっているのですからスゴイものです。

堤防にしては細長いから、埋め立てる前段階だったということでしょうか。

豊洲と東雲の埋め立ては関東大震災の瓦礫を使ったようで、こちらの10号埋め立て地は昭和6年 1931年から10年計画で埋め立てられたようです。1941年12月にパールハーバー攻撃があって太平洋戦争がはじまります。
戦時中ってこういった公共工事ってどうなっていたのでしょうか。徴用を免れた年配の人達が行っていたのだろうとおもいますが、こちらは軍事施設ではないですし。

高度成長前夜 昭和30~35年 1950~1955年

○ 東雲は日東紡の東京工場。


○ 戦後は10号埋め立て地は東雲ゴルフ場になっています。

東雲ゴルフ倶楽部は日本のゴルフの黎明期を支えたゴルフ場で
1952年開場1981年閉鎖

株式会社東雲スポーツセンター
理事長は元東京都長官の松井春生 都の職員が中心となって設立。
10年の契約だったために立ち退きを迫られ、1981年閉鎖。
閉鎖後は1984年に栃木県の塩原にて東雲ゴルフ倶楽部をオープン。
バブル崩壊後は経営が傾き、2005年民事再生法申請。
2009年からはなんとお菓子で有名なシャトレーゼの傘下になっているとか。

バブル期 昭和59年~平成2年 1984年~1990年

○ 有明コロシアム 1987年開館 テニスの大会会場として有名ですね。

○ 有明テニスの森 1983年開場 その名の通りテニスコートがたくさんあります。49面あるそうです。

車通りはビュンビュンありますが、歩道と隔たれているのでそれほど気になりませんし、東京とは思えないほどの広々とした空間もあるんですよね。
この辺りに一室もって釣りの拠点とするのもいいなぁなんて思いました。
ま、現実的じゃないですけど。

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