【港区】仙台坂上
有栖川記念公園をでてしばらく東に行くと、仙台坂上という場所につきました。仙台坂上というからには仙台藩の屋敷があった場所です。今の韓国大使館近辺ですね。交差点でちょうどお神輿が通り過ぎたので東京時層地図を開いてみました。
広尾になぜ大使館が多いかという話を詳しい方にお聞きしました。
昔からこの辺りはお寺が多く最初の外国の在外公館はお寺に出来たのだとか。
それが始まりなので広尾は大使館が多いということらしいです。
フランス大使館で取材等があると道路は狭いし渋滞はするしで大変だったんだとか。
現代の地図
明治9~19年 1876~1886年
○仙台坂上に松方邸ができています。
松方正義(1835~1924年)第4・6代内閣総理大臣 鹿児島県出身
この時期の薩摩藩関係の有力者の邸宅は、今の国会議事堂近辺に西郷、大久保邸とありましたが、それらと比べると中枢から若干遠い位置ではあります。
○北側には「がま池」
このガマ池は現在もあります。マンションの敷地内の一角に小さくあるようです。この当時は大きいですね。ガマガエルの伝説があり、やけどや防火のお守りとして、麻布十番の十番稲荷神社では、「上の字御守」というお守りのかく墨の水はこの池の水を使っているようです。興味がわきました。
○赤い建物はお寺ですので、このあたりもお寺が多いですね。
明治39~42年 1906年~1909年
○このころの地図をみるとガマ池が広大だったことがわかります。周辺の水が集まるような地形です。周辺もけっこう高低差があって住みにくそうに感じるのだけれど、家々がたくさんあるんですよね。
○松方邸が立派になりました。
○松方邸の北にある善福寺に「逆銀杏」という表記があります。
鎌倉時代に親鸞が越後国に流されて罪が許されて帰京するときに立ち寄ったのが善福寺で、その時に善福寺は真言宗から浄土真宗に改宗。
善福寺はもともと空海が高野山を模して作ったのが始まりといわれているので、そこをガラッと改宗するのは当時のインパクトも大きかったとおもわれます。
親鸞が去り際に地面に挿した杖が育ったのがこの銀杏だといわれているようです。
空襲でほとんど焼けたものの復活して現在の形になったようで、東京最大級の銀杏なんだとか。
国会図書館デジタルの江戸名所図会にも麻布善福寺の絵がありました。
その絵には
心越禅師の漢詩として
「ただ一人ともに楽しむともがいないことを惜しむ
ただ春風に向かって風が咲き乱れる様子を楽しむ
世の人々は花に心を寄せるが
互いに手をたたきながら励まし合うのがよい」
という漢詩が添えられていました
心越禅師は江戸時代初期の清の禅僧ですが、亡命後に日本国内を旅していたために密偵と疑われて長崎に幽閉、水戸光圀の尽力で釈放されるなど波乱の生涯。
Wikipediaには善福寺に関係あるということは書かれていなかったので、ちょっとした発見です。江戸名所図会が江戸末期なのでかなり時代は違いますけど。
○ 南側の地名が本村町ですが、これは元村、すなわち麻布の中心だということを表しているそうです。
関東大震災直前 大正5~10年 1916年~1921年
○ 麻布には七不思議というものがあるようです。
「柳の井戸」「狸穴の古洞」「広尾の送り囃子」「善福寺の逆さ銀杏」「蟇池」「長坂の脚気石」「一本松」
興味深いですね。
七不思議のうちの 「柳の井戸、逆さ銀杏」は善福寺にあり、ガマ池も確認できます。
江戸の7不思議は、本所七不思議、番町七不思議とあるようで、そういう話があるということは古くから多くの人が生活を営んでいた町なんですね。
○ 南部邸の南に鷹司邸が。
この時代の当主は鷹司信輔 高松宮と秩父宮の教育係だったようなのでそれに伴って高松宮用地ちかくのここに住んでいたのではと推測できます。
昭和初期戦前 昭和3~10年 1928年~1935年
○ 松方邸縮小 大正13年に松方正義がなくなり、あとをついだ息子の巌は経営に参加していた銀行の破綻によって、三田の本邸売却、爵位返上など晩年は大変だったようです。
松方家は松方正義の13男の三郎が巌の養子に入ってあとを継ぎました。
このころも土地を切り売りしていたのでしょうね。
○ 内閣統計局の南には川崎邸 東京川崎財閥の祖 川崎金三郎邸のようです。江戸時代の水戸藩勘定方の川崎家が明治初期に東京進出の際につくった川崎組がはじまりのようです。
バイクで有名な川崎重工とは無関係。
水戸藩って幕末に優秀な人が藩内の抗争であらかた死んでしまったので、明治維新後は政府で活躍した人物は殆ど出せなかったというのが通説ですが、やはり優秀な人はいるんですよね。
高度成長前夜 昭和30~35年 1950~1955年
○ 戦後、松方邸が韓国代表部とドミニカ公使館になっている!
その他、パキスタン、スウェーデン、エジプトの公使大使館。
この界隈に大使館が集まるのはなぜ???(この近辺には寺が多くてそこが最初の領事館になったから)
韓国は1948年に独立宣言をして、銀座の服部時計店に代表部を設置していたようです。
戦後、松方邸はデンマーク公使の公邸になっていて、サンフランシスコ講和条約以降に韓国代表部が移転。1965年に大使館に。
○ 富士ホテル HOTEL FUJI のパンフレットが3000円ほどで古物で売っていたのですが、英語表記がおおく土地柄からも外国人向けなんだなとおもいました。
1953年 ホテル藤開業
1956年 麻布プリンスホテルに改称
1981年 麻布プリンスホテル営業終了
1983年 フィンランド大使館(一部)
1992年 有栖川清水(プリンスホテル直営の料亭)開業
という変遷のようです。
こういう小説やドラマのような世界って実際にあるんですね!!!
バブル期 昭和59年~平成2年 1984年~1990年
麻布って良い所なんですね。
家賃相場的に住む場所として全く候補にあがらない場所なのでいまだにその理由は見えてきませんが…
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