見出し画像

【小説】『父を笑わせる』その2

 お店に着くと、店長が海を作っていた。
 この音は、波だろうか。砂浜の浅瀬の部分で水が揺れる音がする。
 「昨日、録音してきたの。千葉の海で」
 小さな箱庭に砂を敷き詰めながら、店長が言った。
 「なんか、海にいる気がします」
 その日は、店長と二人でそのまま波の音を聴きながら、仕込みをした。
 今日のお店は、いつも通り忙しかった。
 店長によると、忙しさには段階があり、
 「忙しい」と、
 「クッソ忙しい」と、
 「死ねます」の三段階に分かれている。
 今日の忙しさは、「忙しい」と「死ねます」の間、つまり「クッソ忙しい」だった。僕はこの「くそ」という副詞が好きではないのだが、望まれない量の忙しさを描写するには、とても短く、それでいて機能的なため、使っている。
 ということで、「クッソ忙しい」ランチ営業終わりのお店を一旦閉めて、休憩に入る。
 カウンターでは、いつもより心なしか化粧が丁寧な店長が「へー、つかれた」と呟いて、森永のコーヒーゼリーを食べていた。
 「気になってたんですけど」
 ふたりぶんの緑茶を淹れて、ひとつを店長のそばに置く。
 「目のふちが紅いですよね」
 「これはアイラインですよ」
 店長の目をじっと見る。目がはれぼったい。
 「がんばってください。きっといいことありますよ」
 「失敬だな、きみ。ひとを不幸のどん底みたいに。ふられてないよ。ふったの」
 ロッカーに入っていた源氏パイを持ってきて、店長に渡す。
 「僕も今度、失恋したら、海に行って、波の音を録ってみます」
 店長は「泣けるね」と泣くふりをしたあと、早速、源氏パイを開けて、「ぜいたくをいうとしょっぱいものが、黒豆せんべいが」といいながら食べはじめた。
 「ふられたあとのパイはうまい。最近はどうだい、アサクラくん。なにか悩みごとは?」
 「店長、スタッフは見つかりましたか?」
 「そっち系か。いや、なんか違う悩みであろう。きみがやさしいときは、たいてい話を聞いてほしいって顔をしている」
 店長は、ひとの悩みが大好物だ。
 カフェの雇われ店長の前は、自称・占い師としてユーチューバーをやっていたらしくて、僕も、前に動画を見せてもらったことがある。僕が観たのは「できた、水晶玉でジャグリング」というタイトルで、全くもって占いの話をしないまま、店長が水晶玉でジャグリングを披露する動画だった
 観ている間、「どう?」「面白い?」と感想を求められ、「よかったらチャンネル登録してね」と言われたけれど、片手にのせた水晶玉を落としそうで、観ているだけで心拍数があがり、はらはらするので他の動画はこわくて観ていない。ただ、このお店がまだスタッフがたくさんいた時には、休憩時間中、たまに水晶玉をこねくりまわしながら、バイトのひとたちの話を聞いている店長をよく見かけていた。
 「守秘義務はまもるよ。マモルだからね」
 スタッフの中には、チャンネル登録者数を増やしたいんじゃないかという人もいたけど、違うんじゃないかなと思う。
 話の内容は覚えてくれていてたまに思い出したように聞いてくるし、たぶん、店長はもっと切実に、「話すだけでラクになれる」教の信者というか、「聞いてあげる」の有用感に毒されているタイプというか、吸血鬼が血を求めるのに近いというか、要するに生きるためみたいなものだ、たぶん。
 「店長は、どういう時に笑いますか?」
 店長は僕の質問にぶたっ鼻を鳴らしながら、ふがっと笑った。
 「こういう時」
 「わかんないです」
 「若者が、変な質問してくる時」
 「大人って、どうやったら笑いますか」
 「やっぱそれがわかっていたら、今頃、この店の爆笑王になっていると思うな。爆笑王。」
 店長が無駄に「爆笑王」を繰り返したあと、急にピンポンが鳴った。
 たぶん、荷物だ。
 店長との話を切り上げて裏口へ急ぐ。配達のひとであった。
 サインをした伝票を渡し、「ありがとうございました」を言う。
 分断された休憩を取り戻しに行くと、相撲力士風のまげっぽい髪型にした店長が、寒さにふるえるふりをして、僕を待っていた。店長は、自分で自分の肩を抱いて、気のせいかもしれないが、自分で「ぷるぷる」と言っている。
 お店は暖房がきいていて、別に寒くないが、急な悪寒だろうか。
 「さむそうですね」というと
 「ごっつあんです」と店長が言ったので、
 「ごっつあんです」と僕も言ってみる。
 まばたきをして、呼吸を整える。
 もう一度店長を見てみるが、まだふるえたふりをしていた。
 いったい何がやりたいのだろう。
 「ねえ、面白い?」
 「いま何か面白いこと、起こりましたか?」
 「だめだったか」店長は力士ヘアのまま、うなだれている。
 「あのね、違うのです。これはですね。さっきgoogleで検索したら、顔に霜がつくくらい凍った力士の画像があってですね。それが面白い気がして、やってみたのです」
 「実は、僕も今日、それ見ました」と僕が言うと、
 「模倣かなって」と店長がつぶやいた。
 「いや、さっきの話だけど、たぶん、笑いたくなるような面白い現象を再現すればさ、目の前の人も笑うんじゃないかなと思ったんだけど、これ、表現の問題にぶちあたるね。表現力がないと世界観が伝わらない。世界観が伝わっても、面白いと思えるわけではない」
 「たしかに、さっきのは伝わったのに面白くなかったケースですね」と正直に言うと
 「爆笑王は一日にしてならずか。あたしも今日から努力しよう」と店長が笑った。

で、

 なぜ店長が爆笑王を目指す決断をせねばならないのかよくわからないのだけど、その言い方があまりにもさわやかでかっこよかったので、やはり僕も今日から父を笑わせられるように努力してみることにした。まずは、店長のように模倣がよいかもしれない。面白いと思ったものをまねてみせるのだ。
 というわけで、夜までに何か自分が面白いと思ったものを見つけ、その模倣による実験をしてみることにしたのだが、その日一日、仕事をしている間には、声をだして笑いたくなるほどの事柄には出会わなかった。ちょっと面白かったことといえば、「これはどうだろう」と店長が見せてくれた妙にうまいロボットダンスだが、父の前でいきなりロボットダンスをするのはやはり唐突すぎるだろう。
 父なら「上手だな」と言って済ますか、無言で自分も練習し始める可能性すらある
残された時間は、帰り道と晩ごはん準備の間しかない。
 何か思いつくだろうか。
 僕がおもしろいと感じるものが「おもしろい」と思えないのが、今の父だとしたら、僕がおもしろいと思ったものをマネすることにどれくらい意味があるのかなとも思う。自分が笑える現象に出会わないことに思い悩むより、父が笑っていたものを模倣すべきではないだろうか。でも、なんだろう。父が面白いと思ったことって。うーん。これって、父の日のプレゼントを考えるよりむずかしいことな気が。
 とかなんとか、考えながら歩いて、スーパーに向かう。
 料理のできない父に代わり、僕は、買い物係と料理係を担当しているからだ。
 帰り道には「人生」という名前のチェーン店がある。駅の近くには、他のスーパーはなくて、二階建て地下一階の全三フロアで構成されたこの店が、ここら界隈を牛耳っている。平成天皇が上皇に変わるくらいの頃までは、もう一店舗、より駅近の場所に、鰹のたたきがいつもグラム一〇〇円で売っているカメツルストアというスーパーがあったのだけど、「人生」に客をとられ、もうからなかったせいか、なくなってしまった。
 今日は、生姜焼きにしようと考えていたのだが、「人生」に入ると、なんとキャベツがひと玉九八円で売っており、国産豚バラ薄切り肉がグラム一四八円であった。
 いつもならあり得ない。
 たぶん、これはあれだろう。
 「君はお好み焼きを作りなさい。そうすべきであーる」
 という神様からの思し召しな気がする。
 その証拠に、前回、お好み焼きをした時におたふくソースを使い切ったことまで、奇跡的に思い出すことができた。
 ソースが並ぶ棚まで舞い戻る。

 「こりゃ、奇跡やで」と

 頭のなかで、関西弁でつぶやいてみる。
 セルフレジで商品のバーコードを読み取り、品物を入れる。
 今日のレジは猫の鳴き声のレジだった。
 馬の「ヒヒーン」とか犬の「わん!」とか牛の「モー」とか。
 他にも種類があるのだが、猫のレジはバーコードを読み取るたびに「ニャー」という。
 ニャー。
 これまで誰かを笑わせた経験の少ない僕にも、笑いの方法論について一つだけ思い当たるものがあった。ニャー。ボケとツッコミである。ニャー。何かおかしげな言動、つまりボケに対し、そいつはおかしいよと指摘する。ニャー。それがツッコミである。ニャー。
今日は、これでいってみてはどうだろうか。ニャー。でも、ひとりでやるには、どうしたらよい、ニャー、のかわからない。ニャー。ひとりでボケてひとりでセルフツッコミを、ニャー、いれるってことだろうか。ニャー。もしくはツッコミ待ちか。ニャー。
 父は僕のボケにツッコミを入れてくれるだろうか。
 ニャー。
 レジで商品を読み取る間も、今夜、父を笑わせるための戦略については、答えが出ないままだった。
 会計を済ませて「人生」を出る。
 もう、外は暗い。
 冷たい空気が、鼻孔を通って、僕の肺を膨らませて、また、しぼませる。
 「そもそも、父は笑いたいのか」
 体育館の裏手の、いつも誰も通らない道で声にだしてみる。
 よくわからないけど、笑うことや笑えることが良いことなのかって問題もある。
 悪いことではないが、別に笑えることがなくても良いのではないか。
 父は優しい。
 なので、もし笑う元気がなくても、父を笑わせようとすれば、気をつかって愛想笑いをしてくれるだろう。でも、僕がほしいのは、そういうのじゃない気がする。面白いことがあったとき、一緒にいるひとが笑ってくれるほうが楽しいけど、それがもし無理くりひねりだした笑顔なら、話は別だ。
 結局、心づもりもできず、戦略にも答えが出ないまま、家に着いてしまった。
 手を洗って、研ぎ器で包丁を研いでから、キャベツを半玉に、切る。うん、良い感じに目がつまっている。もう一度、切ったあと、ざっくり真ん中と外側の葉にわけてからまた半分にして、千切りを始める。
 母がいたときは、僕がキャベツを切り、たねをつくる係で、焼くときは母であった。
 だから、ここまではいつも通りだ。
 今日は、どうすべきか。
 僕が焼くこともできる。
 今までも母が留守のときにはそうしてきたわけだが、なるべく母の不在を父に感じさせないようにするなら、やっぱりホットプレートが良い気がする。長いもをすったり、お好焼き粉やら水やらを測って、卵と一緒にまぜたりしたあと、ホットプレートをだす。
時計を見る。もうすぐ父が帰ってくる時間だ。
 お好み焼きの準備作業に夢中で、何も考えていなかったが、やっぱり何か面白いことを言いたい。
 いや、言葉じゃなく、何か変な恰好をして待っているというのはどうだろうか。
 でも、面白い恰好って何だろう。
 何も思い浮かばず、僕は、とりあえず、歯に青のりをつけるというソフトなボケをしてみることにした。昔、母が歯に青のりをつけていた時に父は笑っていたのだ。
 母の模倣である。
 でも、お好み焼きを食す前につけるのはどうなのだろう。
 「まだ食べてないやろ」
 もしくは
 「なんでやねん」
 と言う父を想像してみたが、想像のそれは父の顔でもなく、父の声でもない何かだった。というか、北海道出身の父が、エセ関西弁を使う姿を見たことがないし、そもそも、気づかないのではないか。不安にかられた僕は、鏡を見ながら、さっきひとつだけ青のりをつけた歯とは別の前歯やら犬歯やらに、あと二つ三つの青のりをつけてみることにした。
 これで気づかないわけがない。確かな自信、つまり確信を得た鏡のなかの僕は、歯を見せて笑みを浮かべていた。歯にはバッチリ青のりがついている。
 「うん、ついてるついてる」
 準備が万端に整ったとき、父が帰ってきた。
 「おかえり」
 「今日はお好み焼きか。ありがとう」
 父はジャンパーをハンガーにかけて、手を洗い、部屋着になってすぐに戻ってきた。
 「ちょっとホットプレートでやろうと思ってさ、そのほうが焼いた後も温かいし」
 「たしかに、そうだな」
 「あ」
 「どうした?」
 父が驚いたようにこちらを見る。
 「なんでもないよ」
 父と話しながら、僕は作戦の誤算に気づいてしまった。青のりを見せるためには、歯を見せなければいけない。それに、お好み焼きを食べる前ってやっぱ変じゃないだろうか。このままだと、お好み焼きを待ちきれずに青のりに手を出した、ただの青のり好きの息子である。
 「一枚目、僕がやるね」
 「うん。次は父さんがやる」
 タネとキャベツをまぜたのをひとすくいして、焼き始める。チーズのうえに、豚肉をのせた。片面が焼けたら、あとは、ひっくり返してふたをする。
 ここで歯を見せて笑うためには、面白い現象が起きなくてはいけないが、最近の父は、僕が歯を見せて笑うほど、面白い発言をしていない。すでにテレビをつけており、そのテレビで面白い現象が起きるかもしれないが、その時には父もテレビを見ているわけで、笑っている僕を見るわけではない。あちゃー。
 「だめだ、こりゃ」
 「いかりや長介か」と父がつぶやいた。
 「何が?」
 「さっき、『だめだ、こりゃ』って」
 心の声がもれていたか。
 「気にしないでいいよ」
 お好み焼きをひっくり返す。うまくいく。
 「うまくいった」
 「おお、うまくいった」
 僕は親指をたててニカっと笑う。そうだ。これだ。
 「トモキ」
 「なんだい、父さん」
 「青のりがついてるぞ」
 おぉ父よ、気づいたか。でかしたでかした。どうだい?面白いかい、父よ。
 「お前、まさか」と父が真面目な顔で僕のほうを向いた。
 「青のりだけ食べたのか」

 恐れていたことが起きてしまった。

 ひとまず「そうそう、わて、青のりだけをぱくぱく食べたんですわ、あーうまかったー青のりはやっぱ単体に限るわー。んなわけあるかーい」とセルフのりツッコミをしてみるのはどうだろう。「のり」だけに。
 うん、戸惑いを生む気しかしない。
 それにそんな露骨にやると、僕が父を笑わそうとしている態度が伝わってしまう。
 慎重にいこう。
 僕は短く「うん、ちょっとだけ」と答えた。
 もしかすると、お好み焼きの前にこっそり青のりだけを食べる息子を持つ親の気持ちにまで気を配る優しい返答ではなかったかもしれないが、父は妙に納得した様子で「そんなに好きだったんだな」と僕のほうに青のりの袋をよせた。
 「ずっと我慢していたんだな」
 父が、ゆっくりとこちらに目配せをして深くうなずく。
 「もう我慢しなくていい。たくさん食べるといい」
 目には妙な優しさというか慈愛というか憐みというか眼球を潤ませる液体が滲んでいる。
 こうして僕は、不本意にも不必要に「青のり大好きっ子」属性を手に入れてしまった。
もはや後にひくこともできず、仕方なくお好み焼きにはいつもより多めの青のりをかけて食べたのだが、父が「遠慮するな」と言ったので、適正量を超えた青のりをかけて食べるハメになった。僕はどちらかというと、青のりは少な目か、かかっていないくらいが好きなのだが、「いやあ、うまくできたなぁ。うまいうまい。青のりうまい」と独り言を言いながら、お好み焼きを食べ、その様子を見た父は「これからも遠慮するな」と言い、満足そうであった。
 これから父と食べる時には 、青のりを大盤振る舞いしてくれる気がするが、まぁ、仕方あるまい。どこかのタイミングで青のりには飽きたことを告白しよう。
 皿洗いは父がしてくれる。
 僕は、父が皿を洗う間に風呂に入り、父が風呂に入る間は洗濯機を回し、乾いたものをたたんでしまう。そこまでしておけば、父は洗い終わったものを干してくれる。
部屋に引っ込んで、図書館で借りた本の続きを読むことにしたが、あまり頭に入ってこなかった。
 暇なので「もう青のりは秋田県」とつぶやいてみる。
 静かだ。
 父は食事中、「これは、母さんのよりうまく焼けたかもしれん」と言って、無駄に目の端をうるませていた。もしかして、笑わせようとしていることを父に知られずにさりげなく笑わせるのは、むずかしいことなのではないだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?