【小説】「父を笑わせる」その4
ウツミが教えてくれたどじょうすくい教室のホームページには、素敵な笑顔で、写真に映るひとたちが並んでいた。全員、鼻の穴の部分を覆うように、黒いなにかをつけている。
なんとなく、見ていて安心する。
たぶん、こんなマヌケな恰好をして誰かに悪意を持つひとはいないんじゃないだろうか。すくなくとも悪意をもたれても、許してしまう気がする。ウツミに都合のいい曜日や時間を聞いたあと、教室に電話をかけてみることにした。
番号をタップしてかける。
電話のコールが鳴る。すぐには出ない。
電話口から遠いんだろうか。
コールを聞きながら「このまま電話を鳴らしていていいのか」という疑念が湧いてきた。
どじょうすくい教室に通うって、どうなのだろう。
少なくとも、モテモテのひとは通わない気がする。
電話をしている時点で、僕は、「あっち側」に足を踏み入れているんじゃないだろうか。モテないひとたち。非モテモテ。非モテ。さっき画面に映し出されていた、素敵すぎる笑顔のひとたちは無害ではなく、非モテなのではないか。
いや、モテるとかモテないとか関係なく、どじょうすくいは踊りたいから踊るものなのではないか。そんでもって、もしかしたら、僕が知らないだけで、沢山のひとがそういう魅力に気づきつつあって、電話は込み合っているのでは?
断固たる決意でかけたはずの電話の7コール目。もしかしたらすごく人気で予約がとれない教室だったらどうしようと思い始めたところで、女性の声が聞こえた。
「モテモテ」
「はい?」
「あ、あの、失礼しました。違うんです。モテモテじゃなくてもしもしっていうか、あのホームページを拝見して、体験教室のお申込みをしたくお電話しました」
「はぁ」
女性の怪訝そうな声がする。
僕は名乗るのも、電話口の女性が誰なのかを確認するのも忘れていたことを思い出した。
「すみません。アサクラと申します。あの、どじょうすくいの教室の方でいらっしゃいますか?」
「はい」
「インターネットのページで教室の情報を拝見して、お電話いたしました。できれば、どじょうすくいを体験したいのですが、教室に空きはありますか?」
ウツミと相談していた曜日は空いていなかった。
仕方なく、自分の都合がつく曜日について聞くと、すこし前に始めたひとがいるので、まずはそこで見学をしてみませんかとすすめられた。ウツミには悪いけれど、これは、僕が父を笑わせたくてやることなのだし、あとでちゃんと説明しよう。
「ザルヤビクはお持ちですか?」
「ざるやびく、ですか」
「ええ」
ザルヤビク、って何だろう。東欧のほうの町の名前とかだろうか。いや。持っているかどうかを聞くってことは、僕が持っていてもおかしくないモノだろうし、街ではないな。街では。
「街ではないですよね」
「は?」
「すみません。どじょうすくいについては詳しくなくて。ザルヤビクとは何でしょうか?」
「あぁ、ザルとビクのことですよ」
女性は、どじょうすくいでは「ザル」を手に持ち、腰には「ビク」をつけると教えてくれた。写真のひとたちを思い出してみる。言われてみると、そうだった気がする。
「ゆで」
「はい?」
僕は「ゆであがったうどんの湯切りをするやつならあるんですけど」と言いそうになり、幸いなことに思いとどまった。
どじょうすくいで、うどんを湯切りするためのザルをもっているひとなどいるわけないではないか。うどんではなく、どじょうをすくうのだから。たぶん、違うザルだろう。
「あの、ごめんなさい。持っていないです」
「問題ないですよ。念のため、伺っているだけなので、こちらでご用意しておきますね」
場所や時間、金額を確認して、電話を切った。
もしかして、ここに電話をするひとたちは、すでに自分で道具を手に入れ、練習したあとに、かけていることが多いのだろうか。さっきの画像の、マヌケな恰好のひとたちが、途端に、どじょうすくいのための筋肉をきっちりと鍛え上げた上級者たちに見えてくる。たぶん、このひとたちはマイ「ざる」とマイ「びく」を持ち、あの鼻につけた黒いのは自前なだけではなく、もしかしたら綿密な調整が行われたうえで職人がオーダーメイドしているやつかもしれない。
「あなた、まだそんなザル使っていらっしゃるの?」
などと、古参のひとたちがザルでマウンティングとってくるような姿を想像しようとしてみたが、できなかった。なんならその想像のために、写真から悪意のカケラみたいなものを読み取ってみようと努めてみたのだが、みな優しそうな笑顔で映っているためか、どう見ても、ザルやビクや黒い鼻につけるやつの優劣や所有の有無で、初心者を馬鹿にするようには思えなかった。こういうのは、しなくていい心配っていうより、妄想である。
ザルやビクや、あの黒い鼻につけるやつのことは忘れよう。
ウツミにメッセージを送って、希望の曜日はダメだったと送ると、「その曜日は仕事だ。じゃあ、また今度、どうだったか教えて」と返事が届いた。
ほどなくして、どじょうすくい教室に行く日になった。
父はあい変わらず笑わないままで、その間も、何も特別な出来事はなかった。
強いていうなら、店長が「笑いはダジャレが基本」という持論を証明すべく、一日に一度、ダジャレを発するようになったことくらいだろうか。店長がなりたいのは、爆笑王ではなく、ダジャレ王ではないかと僕は思ったが、人手不足のせいか店がクソ忙しく、父のことを心配する余裕も、未知なるどじょうすくいとの出会いに胸をときめかせる余裕も、ダジャレ王になろうとする店長をとめる余裕もなかった。
約束の時間に間に合うように、すこし早めにでて、地下鉄に乗った。
有楽町線から西武池袋線に直通運転しているものを選んで乗る。
別に急いでいないし、各駅で行くことにした。
西武線に直通している電車には、すごくきれいなものもある。新しくて、イスも座りやすい。僕が乗ったのは、新しさのない電車だったけれど、都心から埼玉のほうに向かう電車は空いていて、天気もよく、空も澄んでいて、練馬駅を通過した辺りからしばらく続く高架からの景色も、広々として心地の良いものだった。
これはもう、絶好のどじょうすくい日和なのではないか。
と思ったが、どじょうすくいのことを何も知らないのに、勝手にそう思うのも変なので、初めてどじょうすくいを習いに行く日和としては絶好なものだとだけ思っておくことにした。
駅の西側を出て、ロータリーを迂回してまっすぐ行って左の道を行くと、民家にどでかく「どじょうすくい教室」と書かれた看板が掲げられたお家があった。
普通の民家である。
どきどきする。
ピンポンを押して名乗る。
返事がして「どうぞ」と聞こえたので、扉を開けておじゃますることにした。
電話口と同じ声の女性が出迎えてくれた。
ホームページにも写真をのせていた先生だろう。
「先日、お電話したアサクラと申します。今日はよろしくお願いします」
「ウタガワです。今日はもう一人、すでに三年ほど習っていらっしゃる方がいるので、見学しながら、お教室を進めていきますね」
案内された部屋は畳敷きで、六帖二間続きの空間だった。
顔の丸いグレイヘアの猫がいて、もう一匹のぶちネコと長椅子の下にかくれている。
「早速ですが、歩くところから始めましょうか。どじょうすくいはね。裸足でやります」
靴下を脱ぐあいだ、先生が腰を落として、どじょうすくいの歩き方を見せてくれた。
一歩ずつ足を前に運ぶたびに、お尻をうしろにくいっとあげる。頭の位置は、一定の高さを保ち、ぶれないように気をつけると良いらしい。
やってみると、どうにもうまく歩けない。
つま先が変にめくれるようになってしまって、そのたびに「つま先はあげませんよ」と笑顔の先生が気づかせてくれる。
そんなふうに苦戦していると、鼻の穴のところに黒い何かをつけて、手ぬぐいをかぶった女性が現れた。
「モリさんです。今日は、モリさんにお稽古をつけていきますので、様子を見ていてくださいね」
モリさんにもご挨拶をすると、笑顔を返してくれた。
「すこし、アサクラさんに歩き方をお話していたの。モリさんも一緒にやってくださいますか?」
モリさんと先生に並んで、僕もやるように促されて、さきほどの歩き方をしてみた。やはりつま先があがってしまう。汗がでてくる。セーターを脱いで、Tシャツ一枚になって、ハンカチで汗をぬぐう。来る前の電車で、すこしだけ動画を見てみたけれど、やっぱり実際にやってみるのとは違う。
「腰降り三年、顔八年って言ってね。歩くのだけでも、それぐらいかかる方もいるわ」
「顔八年ですか」
「それだけ笑顔も重要ってことね」
あまりモリさんが教えてもらう時間を奪っても申し訳ないので、「あの、どうぞ、モリさんのレッスンに合わせて進めてください。僕は見学させていただきます」とお伝えして、見学に徹することにした。
モリさんがもう一度歩く練習をする。
今度は音楽つきで歩いていたけれど、テンポが速く、さっきの倍のスピードでずんずん進んでいく。モリさんのひかえめな動きも十分に訓練された動きに見えるけれど、先生のは、首や肩、腰など関節の位置がダイナミックに動きながらも落ち着いていて、もう何万回、何十万回と同じ動作を繰り返したみたいに、おしりの突き出し方にもばらつきがなかった。
歩きの練習のあとは、モリさんがどじょうすくいをひと通り、踊ってみせてくださった。
どじょうを見つけた時や、落としてしまったどじょうをつかまえるしぐさのあと、モリさんが笑顔を見せる。
教室の写真を見たときにも思ったけれど、作られた笑顔のはずなのに、表情の中に作為が見えない。よく見ると、鼻につけているのは黒い布ではなくて、四角い穴の開いたお金のようだった。どういう経緯で、あのお金を鼻にはりつけることになったのかはわからないけれど、ピエロの花の赤い玉やクリスマスツリーのてっぺんの星に歴史的経緯があるように、なんかの意味や歴史的な経緯があるのだろう。
一通り稽古が終わり、最期に、僕もザルとビクをつけさせてもらって、歩きの稽古をつけてもらった。ザルは頭の上で安定することなく、額からずれてしまう。僕のミーハー心は、すっかりどじょうすくいの難しさに魅了され、手ぬぐいと鼻につけるお金のセットを購入し、礼を言って教室をあとにした。
家に帰る前に、「人生」に寄ると、いわしが売っていた。
しばらく前から、アジフライが食べたいなと思っていたのだが、今日もアジはない。
僕は、すでに開かれたいわしを四尾だけ買って、父とふたりで二尾ずつ食べることにした。せっかくの休みだし、ちょっとだけ手のかかるものを作ろう。
家に着いて、ごはんを炊きながら、キャベツを千切りし、水につけておく。ついでに、さつまいもと玉葱が入ったお味噌汁を作る。父の帰宅に合わせてフライの準備をしながら、今日、教室で習ったことを思い出してみて、僕は「ん?」と思った。
先生は「腰降り三年、顔八年」と言っていたのである。
もしそうなら、僕はどじょうすくいをマスターするまでに、笑わない父と、三年や八年を過ごさなくてはいけないのではないか。
というか、そもそも、なぜ自分でやらなくてはいけないと思い込んでいたのだろう。
一緒に笑えることがあればいいと思っていたはずなのに、これだと笑えるじゃなくて、笑わせるになっている。仮にどじょうすくいでなければいけないとしても、父をどうにかして、どじょうすくいをしている場所に連れ出せばいいのではないか。どこか知らないが、少なくとも来年も「どんど焼き」の会場のすみっこで大道芸のひとたちがやってくれるし、
それだって、一年以内だ。気が長いけど三年よりはいい。
さっきまで心地よかったはずの太ももと腰への疲労が、急に重たいものに変わっていくような気がした。調子にのって、鼻につける穴の開いた硬貨と手ぬぐいまで買ってしまった。あー、早まった。けど、まあ。
「楽しかったし、いいか」と思い、気持ちを切り替えることにした。
もうちょっと通ってみよう。
夜は、父といわしのフライを食べた。
父の食べっぷりはとても良くて、「うまいな」としきりにつぶやいていた。
「うまい?」
「うん、うまいうまい」
うちは、母がいた時から得意料理は得意なひとが作ることになっている。
あじのフライは母の担当ではなく、僕の担当だ。
たぶん、父も母の不在とは関係なく、味に向き合えるのだろうけれど、美味しそうに食べる父を見ながら、なんとなく、僕はこのままでも良い気がしてきた。
別に笑えなくても、それは自然に時間が解決するようなことなのではないか。無理くりどじょうすくいをマスターして披露するのもへんだし、何か笑わせようと思って父をどこかに連れ回したり、無理のある言動をしたりするのもへんだ。どんなに美味しい食べ物も、無理に食べさせるようなやり方はよくないのと同じように、笑うとか笑わないも押しつけないものなんじゃないだろうか。
それからしばらくの間、僕は笑わない父を受け入れて過ごした。
穴の開いた通貨と頭につける手ぬぐいは、お土産にウツミにあげることにした。
ウツミは喜んだだけではなく、やはり個人的にも興味があったのか、どじょうすくい教室に通い始めた。僕は月1回コースだったけど、ウツミは月3回コースだった。
どじょうすくいの効果なのか、ウツミの笑顔は会うたびに魅力的になっていった。僕がウツミのことが好きなせいもあるだろうけど、ウツミが笑っていると、なんだか見ていると自分も笑いたくなる。
そんなわけで、泣ける映画を探してメソメソしている父よりも、笑っているウツミとの夜ごはんが楽しいもんだから、たまにユーカリで会って過ごすことが増えた。たまに、お互いに違うマンガや本を読んでいて、ふと、顔をあげたときにウツミと目が合うことが何度かあったときとかに、僕のとウツミの間にも「橋」ができたのかもしれないと思ったけど、見て見ぬふりをすることにした。もし男女間の幻の橋を渡ろうとすれば、どうなるかはわかっている。
びしょぬれだ。
それなら、幼なじみのままでいい。男女なら別れがあるけど、ただの幼なじみとは別れても、ただの幼なじみなまんまだ。
お店はそういうことを考えなくてもいいくらいに変わらず忙しく、店長のダジャレは止まらなかった。たまたま、スマホの待機画面が目に入ったときに、見てしまったのだが、店長は「一日一ダジャレ」という文字を待機画面に設定しているようだった。
僕のお気に入りは「ダンスがすんだ」と「わたしまけましたわ」と脈絡なく発した時の店長の自信満々な顔で、すぐにそれはダジャレではなく、回文ですよと思ったのだけど、回文が好きな僕は店長の勘違いを指摘しないでおいた。
ただ、勤勉な店長は「日本だじゃれ活用協会」の「ダジャリーダー研修」なるものを受けてきたらしく、「アサクラくん、もしかしたら気づかなかったかもしれないけど、この前のさ、「ダンスがすんだ」とか「わたしまけましたわ」ってやつ。ダジャレじゃないらしいのよ」と神妙な顔で教えてくれて、その日を境に回文の季節が終わった。
毎日の出勤時のあいさつが「おはよーぐると」になり、僕は、何日続くかなと思ったけれど、思った以上に続き、店長以外も「おはよーぐると」を言うようになってから、一五〇日が経過し、十一月になってしまった。
冬である。
ウツミがユーカリに来なくなった。
ウツミによると、「どじょうすくいで忙しいから」ということだった。たまに会えて、どじょうすくいの話になると、すぐに「フジワラセンパイ」の話をするようになった。
センパイはどじょうすくいの手ぬぐいから毛がもれないように、襟足やモミアゲを剃り上げていて、とてもおしりを動かすのがうまいらしい。
ウツミがセンパイのどじょうすくいをほめるのは全然、面白くなかった。まだ、店長のだじゃれのほうがいい。僕は良い反応ができなかったのだけど、ウツミはかまわず、センパイのどじょうすくいについて熱く語っていた。
それについても、僕は見て見ぬふりをすることにした。
そんなこんなでいろいろあった間も、父は笑わなかった。ただ、父はギターを弾いて、歌うようになった。新しいことを始めたのはとても良いことだけれど、よくもわるくも、父の持ち歌は一曲だけで、マドンナのライク・ア・バージンだけだった。僕は、ひまなので父がギターを弾くときは隣の部屋でどじょうすくいの練習に精を出した。
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