【読書】「さかさま英雄伝」寺山修司

「誰か故郷を想はざる」(1968.10.20)によると、寺山修司は、1935年12月10日生まれらしい。俳句も短歌も演劇も評論も、名のある作品や仕事を残している。

マッチ擦る束の間の海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

 例えば、上のは短歌の有名なやつ。短歌でもそうだったけれど、虚構性が指摘されていて、お母さんが働いてる時期に、亡き母について歌ったりしてる。
 私は、寺山修司の文章は半信半疑で読むべきじゃないかなと思う。ちなみに半信半疑で読んでいてもおもしろい。かますタイプのホラ吹きおじさんの話を「出鱈目いってるなー」って思いながら、聞いてる感じ。今日は帰り道にこの部分を読んで笑ってしまった。(下ネタが苦手なひとは気をつけてください)

 リルケはローリング・ストーンズを聞くべきである。リルケはマラソン・ランナーになるべきである。
 リルケは花屋のガラスを叩き割るべきである。リルケは包茎手術をするべきである。リルケはロダンの彫刻に小便をかけるべきである。リルケは素人のど自慢に出て「ブルーライト・ヨコハマ」を唄うべきである。リルケは夢屋の今川焼を買うべきである。リルケはピンク映画を観て辰巳典子や杉村久美にあこがれるべきである。リルケは沖縄デモに参加し、トルコ歌麿の小夜さんのボディ洗いを経験するべきである。リルケは、毎朝、バーベルを持ちあげ、朝寝の母親を蹴とばし、手洟をかみ、マルクスの『経済学・哲学ノート』をちぎって尻を拭き、サッポロラーメンの味噌に舌つづみをうち、政治のフォークロアについて考察し、ムツミシゲルの馬券を買いつづけ、上野動物園にイルカがいるかいないか、いないかイルカについて子供と議論し、思い切ってマリファナを吸い、しかるのちにまだ次のような詩を書こうとするかどうか、自問してみるべきである。

「さかさま英雄伝」リルケ 10

ちなみに谷川俊太郎は寺山の結婚式に出るくらい友人で、たぶんイルカのくだりはそれであろう。炎上案件ばかりのなかで、「リルケは素人のど自慢に出て「ブルーライト・ヨコハマ」を唄うべきである。」のマヌケさが大好きだ。
寺山修司のことを、橋本治がこう書いてる。

寺山修司は肉体を持った青年で、詩とは、肉体からしか生まれて来ない言葉の論理である。

『新・書を捨てよ、町へ出よう』河出文庫・解説


もうすこし読み続けてみようと思う。

家のひとたちは居酒屋に行ったらしく、今日は一人でごはんだった。仕事帰り、買い物袋をぶらさげたまんま、選挙に立ち寄って、家でチャプチェを作った。最近、近くのスーパーで韓国の春雨を売りはじめたので、買ってあったのだ。

一つ一つの具材を個別に炒めていくので、手間はかかったけれど、美味しくできた。

家族は午前中に東京国立博物館の特別展「はにわ」を見たらしく、帰宅後は、はにわの良さについて語っていた。

「はに丸」の歌を妻と合唱して楽しかった。

久しぶりに、ピクシーズを聴いたら、キム・ディールの声が久しぶりに聴きたくなって、The Breedersを聴いてる。やっぱいい。


 フォローしてくださる方が急にちょっと増えたのだけど、なぜなんだろう。なぞだ。祖母の夢のことを書いた短い文章が読まれているみたいだった。

 つい、うれしくて更新してしまったけど、あまり気にせずマイペースに読んだり書いたりできたらいいなと思う。

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