藤井聡太六冠が信州・藤井荘で名人戦~思い出す14年前の竜王戦「下呂の対局」
南北に長い長野県。筆者は南信出身のため、将棋の名人戦第5局がある北信の高山村のことは、ほとんど知りませんでした。
関心を持ったのは、4月3日の朝日新聞に渡辺明名人と挑戦者の藤井聡太六冠のインタビューが掲載された紙面からです。
「第81期将棋名人戦七番勝負」(朝日新聞社、毎日新聞社共催)が4月5日、東京で開幕する前の特集記事でした。藤井六冠は対局場所について聞かれ、「藤井荘は・・・私も藤井なので気になっています(笑)」と締めくくっていました。
■藤井荘の歴史
正式名称は、「緑霞山宿・藤井荘」。noteで使った写真は名古屋長野県人会の会員撮影です。
宿のホームページによると、森鴎外、与謝野鉄幹・晶子、菊池寛、会津八一など文人墨客が、こよなく愛した正統派の旅館です。
「お客様が満足する高品質な宿作り」の理念を共有する世界宿文化研究学会に加盟する12の旅館のひとつです。
ちなみに信州からは藤井荘のほか、旅館すぎもと(松本市)、村のホテル住吉屋(野沢温泉)も参加していました。
■下呂での竜王戦の舞台裏
名人戦第5局は5月31日、6月1日。藤井荘はいま、準備に追われていることでしょう。直接の取材が難しいので、筆者が岐阜勤務時代の2009年11月に下呂市のホテル水明館で体験した「第22回竜王戦七番勝負」の第4局を思い出しながら、その舞台裏の一端を紹介します。
このときの七番勝負は、渡辺明竜王(当時25歳)に森内俊之九段(同39歳)が挑戦していました。今期は第3局まで渡辺竜王が3連勝していました。
対局前日に両棋士がホテルに到着。女将が横山大観の絵が飾られた「大観の間」で抹茶で接待します。この後、対局室の離れの青嵐荘「夕顔の間」を下見して、名古屋市瑞穂区の会社経営者の所蔵の盤と駒を見聞します。
前夜祭では女将、若女将から花束を贈られ、ホテル社長や主催者から激励のあいさつがあり、それぞれテーブルについて夕食をとりました。両棋士は目を合わせることもなく、対局に向けて静かな闘志をたぎらせているようでした。
■おもてなし支える裏方
どの対局場所のホテル、旅館も食事には気をつかっています。総料理長は神経をすり減らす棋士のために「やすらぎのひとときとなるように」と器にも気を配ります。
初日の夕食は、黒ごま豆腐や汲み湯葉、古代米などの先付に始まり、和洋中を織り交ぜた12種のコース。地元の飛騨牛ロースステーキも極上の逸品を選んでいます。このほか、飛騨地方のキノコや奥美濃古地鶏の鍋などローカル色も豊かでした。
渡辺名人は虫が嫌いな様子でした。たまたまこの年はカメムシが大量発生したので、ホテル側は部屋の防虫対策にも気をつかっていました。
■「どうぶつしょうぎ」との出会い
控え室では、ほかの棋士や将棋専門記者と話す機会がありました。名古屋市千種区出身の女流棋士が持参してきた「どうぶつしょうぎ」とも出会えました。
駒に動物の絵を描いた初心者向けの将棋ゲームです。漢字の読めない子どもたちに将棋を覚えてもらいたいと、女流棋士2人が8枚の駒で遊ぶルールを考案し、デザインしたそうです。
駒は王将の動きをするライオン、縦横に動けるキリン、斜めに動けるゾウ、将棋の歩と同じ前に進むヒヨコの4種類だけ。当時の新聞記事には「シンプルだが約2億通りの局面がある」と女流棋士の説明がありました。
竜王戦の大盤解説をする九段の棋士は、控え室でトライして、「複雑で奥深い」と驚いていました。緊張感で張り詰めた対局室とは一転、こころなごむ場面もありました。
■女将の心配り
竜王戦は渡辺竜王が4連勝して6連覇を果たしました。翌朝、JR下呂駅に向かって歩いていた森内九段の後ろ姿がありました。ちょっと寂しそうに見えたのですが、一緒に駅に向かうホテルの女将の姿が印象的でした。
竜王戦は渡辺竜王が9連覇したのち、2013年に森内九段が雪辱を果たしています。
■高山村と名古屋の縁
名古屋城から現在の名古屋港へ流れる堀川。川といっても人造の運河で、江戸時代に福島正則が徳川家康の命で開削したものです。当時は名古屋城下から熱田湊へ物資を運ぶ役目を担い、明治時代以降も木材や瀬戸物を港へ運ぶ重要な役目を果たしてきました。
堀川開削のことは知っていましたが、高山村が最期の地であったことは知りませんでした。広島城主だった福島正則は、幕府に無許可で城の修築をしたとして、おとがめを受け、1619年に改易されています。その後、信濃の高井野(現在の高山村)に蟄居し、現在の高山村で亡くなっています。
ちなみに生まれは現在の愛知県あま市です。
■歴史的な対局の場
さて、名人戦です。
藤井六冠が現在3勝1敗で名人位に王手をかけています。第5局に勝てば、史上2人目の七冠となります。谷川浩司第十七世名人の最年少名人(21歳2か月)の記録を40年ぶりに更新するとの期待も高まります。
高山村の藤井荘対局は歴史的な場となるわけです。渡辺名人と愛知出身の藤井六冠。名古屋とも縁の深い高山村での両棋士の名勝負から目が離せません。
(2023年5月28日)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?