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熱田神宮で奉納土俵入り~大相撲名古屋場所9日初日

 名古屋市熱田区の熱田神宮で1日、大相撲東横綱の照ノ富士(伊勢ケ浜部屋)の土俵入りが奉納されました。コロナ禍で中断されていたため、4年ぶりとなります。
 新聞記者駆け出しの最初の受け持ち地区が熱田区でした。そのため、熱田さんへの思い入れは人一倍強いのです。本日も雨予報にもめげず、東京から名古屋入りしてきた各社の運動部の皆さんとともに土俵入りにレンズを向けました。

本殿前の祝詞奏上と八角理事長ら横綱・大関

 紋付袴の正装で八角理事長らと横綱・大関が本殿の御垣内参拝を済ませます。その後、照ノ富士が綱を締めて、露払い宝富士、太刀持ち翠富士を従えて不知火型の土俵入りを披露しました。
 熱田区は大相撲と縁が深い地です。
 白鳥山法持寺には、三保ケ関部屋の宿舎がありました。北の湖が1974年に第55代横綱に昇進した直後、北海道の母親に電話した言葉が境内の碑に刻まれています。

法持寺境内に建つ碑には、横綱昇進時の北の湖のことばが刻まれている

 「うん ほんまに横綱になったんや 母ちゃん」
 その後、一代年寄となった北の湖部屋は、熱田区の労働会館に。今年20周年のイオン熱田店には、当時、浴衣掛けのお相撲さんが買いものに来ていました。
 このほか、2001年の名古屋場所後に大関昇進が決まった魁皇が所属した友綱部屋も熱田区。
 忘れられないのは、熱田神宮南の秋葉山円通寺です。かつて井筒部屋の宿舎があり、寺尾(現在の錣山親方)三兄弟がいて朝稽古には若い女性、今なら相撲女子も詰めかけていました。
 私はちゃんこに招かれ、郷土力士からビールをついでもらったことなど懐かしい思い出でです。
 再び熱田区を担当した1985年夏、人気力士を抱える井筒部屋の宿舎、円通寺の住職夫人にスポットを当てた記事を書いたことを思い出しました。
 タイトルは「力士、わが子同然」。母を亡くしたブラジル出身の力士の相談相手となったり、勝った力士が足音高く住職の部屋の前を歩く姿に「まるで子どもがテストの成績を見せに来るときのよう」と目を細めたり。
 円通寺が元関脇・鶴ヶ嶺の井筒部屋の宿舎を引き受けて20年。住職夫人は、最初は力士4人の小部屋で、友達から「どんなお相撲さんがいるのと聞かれるたびに寂しい思いで・・・」と話していました。それが関取だけでも5人という部屋に育っていたのです。
 大相撲名古屋場所は7月9日初日で、名古屋城のあるドルフィンズアリーナが会場です。23日の千秋楽には、名古屋長野県人会のみなさんと一緒に郷土力士の御嶽海を応援しますが、なにより横綱・大関らの活躍を期待しています。

奉納土俵入り後の横綱の足跡

 さすがに、勝った力士が宿舎の親方の部屋の前を足音高く歩くことはないでしょうが。
(2023年7月1日)
 
 

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