担当の基準
担当って難しくないですか。
何を持って「担当」なんですか。人によって違うと思うのですが、それ以上に
「担当」って。と考えさせられています。
私は最近まで、「担当を増やしたい」と思って、ジャニーズに興味を示し、いろんな番組とかいろんな人のブログを読んできました。
そこで、「好きだなー」って思うジャニーズの方もいました。
もちろん、以前から担当以外の好きなジャニーズもいます。まっすーとか、智くんとか、です。
しかしですね。「担当」ではないんですよ。
コンサート行く意義は智くんではないし、まっすーではないんです。
「コンサートに行ってみたい」っていう気持ちって、私個人的には「担当になる」っていう気持ちと似た部分もあると思います。
双方どちらにも「会いたい」って気持ちがあるじゃないですか。
私が今まで行ってみたいと思ったコンサートはSMAPと嵐と金爆です。
SMAPは行ったことないんですけどね。
じゃあ、なんでコンサートに行きたくなるのかっていうと、
「その曲がどう演出されるのかを生で観たい」という気持ち、
「コンサートでのアーティストが気になる(だってアーティストはコンサートありきだから)」
っていう気持ちだと思うんです。そしてその気持ちとお金を駆け引きしたときに、気持ちが勝つ場合。そこで初めて「コンサートに行く」という行動に繋がります。
となると、私は結局嵐ファンなんですよ。インドア派の私がテンションMAXで外に出て行くのは嵐なんですよ。
そしてですね。結局「担当」って何?って。
私は・・・多分、自分の中での「担当」が重すぎるんですよね。
一度恋して、憧れて、苦しんだ末に担当になってます。
櫻井翔くん担当です。
翔くんのドヤ顔で沼にハマり出した私ですが、調べてみると、彼の顔の良さも勿論気づくんですが、
過去の翔くんにも辿り着きますよね。どうしても、いやでも。
幼少期からわかるじゃないですか。知りたいわけじゃなくても。
そしてその彼の辿った軌跡を見つめていくと、彼の精神に辿り着くじゃないですか。
って、ここまで調べていた当時の私って、もう沼にハマりきってますよね。
でも、ここまで辿り着くと、翔くんの境遇がそれなりに自分と似ていたので、照らし合わせてみると、
自分の弱さとか欠点に気づいて、結構憂鬱な気分になったんですよ。元々私自身、ポジティブなんですけど、一方で自分って何者?って思いを抱きつつ生きていたこともあって、
しかもそのときは丁度暇な時期で、ずっと憂鬱な気持ちで切り替えも出来なかったので、しんどかったです。
でも、結局それを助けてくれたのも翔くんで、翔くんのテキストとか嵐のコンサートDVDとか色々観ていく中で、
翔くんすごいなっていうのと同時に、私も翔くんみたいになりたい、って思うわけです。
気づいたら「好き」っていうよりも「憧れ」じゃないですか。
でも、それでいつの間にか「担当だわ」って思うようになったんですよ。
・・・やっぱり、私の担当の基準、重すぎますよね。
でも、やっぱりもう一度、あの頃ぐらいの気持ちを味わってみたいと思うわけです。担当、増やしたい(笑)
って思ったんですけど、
私、また翔くんのことを好きになったみたいです。そしてまた、検索かけちゃってます(笑)
2ヶ月前までは「憧れ」と「愛してる」ぐらいの気持ちだったんですけど、またちょっと恋してます。
そしてまた少し自分と向き合えてます。翔くんという素晴らしい媒介のおかげで。
でも、前と違うのは病んでないこと!なんか、私も成長しちゃったんですかね。嬉しいですよ、素直に。
ってことで、翔くんのこと好きになりました。そしてまた憧れでもあります。
「強すぎる憧れ」の翔くんは何年間も変わらず、私の中にいて、翔くんの顔好きだし、翔くんの仕草、翔くんの好きなところを125個言えるほど好きなところはたくさんあるけど、
翔くんを好きになりました。
久々にジャニーズを好きになったので(前好きになったのも翔くんだけど)文章にしてみました。
「翔くん、好きだよー。」って直接会っても言えるわけないんだけどね。私、シャイだから(←)
担当の基準って、結局何だろうって思ったんですけど、
そもそも担当なんて言葉使わなくててもいいのに、何で「担当」って思うんだろう。担当って使ってる人がいるんだろう。
「櫻井翔くん好きです。」でよくないですか?「一番好きなのは翔くん」でよくないですか?
いや、しかし私はむしろ、「櫻井翔くん担当」という言葉を使いたい。
担当という言葉を使いたいと思うことこそが担当の基準なのかな。
担当っておそらく、自分の気持ちが概念的になったものを顕在化するものなんだと思います。
「この気持ちは何なんだ!」って自分でもよくわからない、しかし明確になった概念を、形にしてくれてるんだと思ってます。