【太夫、傾国の娼妓(やり手爺)ときて今世悪妃とは、これ如何に?】第14話〜晨光side
「さて、そろそろ来る頃ですね」
時刻は深夜。お近づきの印にと、ある小娘から贈られた貴重な懐中時計の蓋をパチンと閉じる。目の前の書類は机の隅にやってから立ち上がり、あらかじめ用意しておいた白湯を魔法で沸騰し直しておく。
他の者なら火にかける方が早い生活魔法。魔力量がそれなりに多いと、これくらいは問題なく沸かせるから便利だ。
最近は仕事で疲れた時、この菊花茶を自ら淹れてひと息つくようになった。それだけ、この菊花茶の香りが一番良く、心身が穏やかになれる。
これもまた、あの小娘からの贈り物だ。
「さてさて。あの幼馴染は一体、どんな顔でここに訪ねてくるのでしょうか」
物心ついた頃から、表に出す言葉は丁寧なものにしてある。今では幼馴染の前であっても、滅多に口調を崩す事は無い。
氷の麗人と陰で称される私の口元は、しかし今は孤を描いているだろう。
思い出されるのは数か月前。
『ようこそ、いらっしゃいました』
微笑んで私を出迎えた小娘は、胡滴雫。十四歳。銀髪も淡赤桃色の瞳も、帝都では特に珍しい。
先月、幼馴染みの皇帝陛下に、水仙宮の主として後宮入りさせる事を、彼の皇貴妃と2人がかりで説得した。フー伯家の当主であるあの父親にも了承させた、都合の良い小娘だ。
『直接連絡を寄越すだけならまだしも、まさか貴女の側から不躾に呼びつけるとは。辺境の娘らしく、身の程を知らないようですね』
不機嫌さを隠す事もない様子と、まともに礼も取らぬ小娘に、単刀直入にそう言い捨てた。
入宮前に教育が必要だったかと認識しながら。
事前情報からは凡人程度と感じ、多大に期待していた訳ではない。しかし直に接し、思っていたより駄目な方の意味で違っていた事にまずは落胆してしまう。礼一つ満足にできぬとは……。
事の発端は初対面となったこの日より、更に3日前。とある私娼を通し、一通の沙龙の招待状が私に届いた。
この私娼は帝都でも有名な、無視できない後ろ盾がついている。その為、当然だが応じた。
ただ、招待状には二つの封蝋が押されていた事に目を引いた。
封蝋をあのように使う者は初めて見たが、一つは過去に数回しか見た事のない、とある大商会の会長が使う蝋印だ。
そしてもう一つが、胡家の家紋の蝋印。
どの家門も蝋印は二つ存在している。過去に当主とのやり取りで用いられた蝋印とは、一部形が違っていた。その為、家族や諸用の際に用いる方だとは、すぐ気づいた。
という事は……もちろん十四歳になる娘であるはずがない。仮にも丞相たる私への手紙だから。恐らく年齢を感じさせない、麗しくも艶やかなる美女と噂のフー夫人だろうと当たりをつけた。
後宮が愛憎と陰謀渦巻く場なのは周知の事実。更に皇帝は高貴妃だけを寵愛するという醜聞に近い噂は、帝国中に轟いている。
ましてや過去に廃していた水仙宮の貴妃として、フー家の令嬢は後宮入りをするのだ。
女人が前に出しゃばるなという風潮も未だに無くはない。それでも昔と違い、女人が活躍する場は、初代皇帝以降より徐々に増えた。
これにより、数百年かけて女人の発言力は強まっていったが、地方になる程、女人は強く逞しい。それが帝国内での認識だ。フー夫人もそんな一人に違いない。
これはなかなか面白い事になりそうだ。
そう思ってわざわざ仕事を詰め、サロンを開催するという日時に、この場に来てみれば……。何やら招待されたのは私一人だけらしい。
悪い意味で私の期待を外してくれた小娘だ。出合い頭に先制攻撃してしまったのは大人気ないかもしれないが、このくいは許せと言いたい。
まさか私を呼び出したのがたかが伯家の娘であったとは。
しかしこの小娘も母親と同じく、噂にはなっている。
姿を目にすれば魅了され、舞を舞えば攫って囲いたくなる程の艶やかな美姫。口を開けば、思慮に溢れた才女。父親は普段から邸の奥に妻共々、娘も囲っていると。
しかし現物は、どうということもない。化粧をしていながら、並より少しばかり可愛らしいだけの仕上がりには、がっかりした。
そんな噂が立つのは、小娘の住まう場所が田舎だからだろう。諜報部隊の情報収集力が低下してしまった可能性もある。今度訓練を一から見直しておくか。