【かくしおに】第2話
「……は?」
ハッと目を覚まし、周りの景色が目に入った途端、思わず気の抜けた声を漏らしてしまう。
どうしてこんな、薄暗くて埃っぽい場所に?
周囲をよく見ようと目をこらせば、どこかの会議室かな? 長方形の長細い机と椅子が、乱雑に置かれている。
寝る前に着ていたのは部屋着だったはず。
だけど今は動きやすいシャツにズボン姿。ずっとお守りとして肌身放さず、持つか身に着けるようにしている飾りがズボンのベルトにぶら下がっている。
母お手製の組紐で作った飾りなの。
「ちょっと、何よここ?!」
「どこだよ、ここ?!」
男女入り乱れて目覚めた人から騒がしくなる。全員で十三人。下は十代から、上は五十代半ばくらいまで?
あれ、これって……。
ついさっき見た夢の内容と、現実がグルグルと頭の中で交差する。
「シーカ?!」
暫くフリーズしてたら突然、日本語とは少し違うイントネーションで名前を呼ばれた。それも聞き慣れた声。
まさかと思って声の方を振り向く。するとそこには、かつての病を一緒に乗り越えた……。
「ヨハン?!」
戦友であり、親友でもある金髪碧眼のイギリス人青年。相変わらず背が高くて整った顔だなと、こんな時なのについ思ってしまう。
でもここだけの話、中身は私より乙女。可愛い物を集めるのが趣味なのよ。
長年の付き合いである見知った青年、ヨハン=クラインの存在に安堵する。だからと言って、状況が飲み込めたわけじゃないんだけど……。
『シーカ。一応確認するけど、ココ、どこかわかる? 日本、かな?』
『うーん……ヨハン以外、皆日本人みたいだよね。……あ。机と椅子のロゴ見て。日本の会社だ』
二人で近くの机と椅子を覗き込んで、確認する。
『ホントだね。でも何でだろう? 僕はイギリスの自宅にいたんだ。今日はオフだったから、こないだシーカに送ってもらった日本のコミックをソファで読んでた。アレ、凄く面白かったよ! 天然人たらしの女の子にヤンデレ彼氏が振り回されるの、面白い! 仕事終わってずっと読んでた!』
『でしょ! ヨハンならヤンデレ系少女コミックを気に入ると思ったんだよね! 私は日本の自宅。時間的にベッドで眠ってたわ』
こんな時なのに、というよりもこんな時だからこそ、かな。私もヨハンも緊張を解すように全く関係ない話も交えながら英語で話す。
日本とイギリスだと約八時間の時差がある。更には距離もある。なのにこうして一緒にいる事に、二人して困惑するしかない。もちろん異常事態であり、異様な状況だ。
「ねぇ、あなた達はどこの国の人? さっきから何語で話してる?」
そんな私達に、見知らぬ少年がカタコトの英語で話しかけてきた。外見はザ・日本人。中学生くらいかしら?
ヨハンはもちろん、私も現地仕込みの英語で普通に会話していた。多分、日本でしか生活していないような中学生だと思う。私達の会話スピードじゃ上手く聞き取れなくても不思議じゃないよね。
なんて思って、日本語で答えようとした。
その時だった。ベルトの飾りがホワリと温かくなった気がして、思わず口ごもる。
「お姉さん?」
「……えっと……あ、私は日本人よ。彼はイギリス人なの。私の目が青いのはわかる? 父がフランス人の血が混じったクォーターだからよ」
ひとまず日本語で説明する。けれど私の心中では、自分の視界に突然起きた不可解な現象に、ここに来て一番驚いて叫びそうだった。
少年……は、そうなんですねと言いながら、別の人にも話しかけに行ってしまった。
『シーカ、どうしたの? 平気?』
しばらく呆然としていたら、ヨハンが心配してくれたみたい。
『あ、うん……ねぇ、さっきの……男の子?』
『あの子が、どうかした? 何か色んな人に積極的に話しかけまくってるね』
そうか、やっぱり男の子か。もちろん私も、ついさっきまでそう思ってたんだけど……。
なぜかしら? 今、私の目には数ヶ月前に会ったあのオジサンに見えている。
オジサンに会う時、ヨハンにも付き合ってもらったんだよね。どうしよう? ヨハンに言ってみる?
正直、一人で抱えるには、気持ち悪さしかないのよ!
「なあ、皆。とりあえず自己紹介、しねえか? 俺は高田五郎。見た通りオッサンだ」
ヨハンに話しかけようとしたところで、中年男性がこの場の全員に向かって言葉を発する。言い出しっぺだからか、誰にともなく自己紹介をした。
すると周囲の空気が少しだけ和んだように感じた。
「川崎大河、中三です。家で寝てたら、何かかここにいました。」
すると例の少年が続く。
「音無詩香、十七歳です。家で寝てました」
「ヨハン=クライン。二十三歳だよ。ソファでコミック読んでた」
私達も後に続く。もちろん日本語で話すわ。
この後十人が続いたけど、共通点はヨハンを除くと皆眠ってた事くらい。
「あー、もしかしたらうたた寝くらいはしてたかも?」
なるほど。ヨハンも眠ってたかもしれないと。
住んでる場所は東京、福井、愛知。ヨハンはもちろんイギリス。
互いに見知った顔なのは、私とヨハンだけで、他は顔も知らない全くの他人同士だった。
私と中三だと言ったあの子以外は、各年代が程良く分布。男女比は半々だった。
話し合って、ここがどこなのかまずは確かめようと外に出るのを検討する。ひとまず男性数名が、この部屋から出てみようと決まりかけた。
その時、突然の地響きが起こる。
――ギーンゴーンガーンゴーン……。
ついで、錆び付いたように濁った鐘の音が響く。学校の鐘の音のような気が、しなくもない。建物内というよりも、直接耳元でけたたましく鳴る。
全員が体をすくませて耳に手をやったから、同じように聞こえたみたい。
「何だっていうんだ……」
「もう、何よ……」
一番年上のスーツ姿の男性と、気の強そうな二十代のゆる巻きヘアーの女性が呟く。
「ねぇ、何か聞こえませんか?」
気弱そうな三十代の女性が顔を引きつらせる。
……ズルッ……ビチャ……ズルッ……ビチャ……。
水っぽい、何かを引きずるような音が暗闇に響く。
……ズルッ……ビチャ……ズルッ……ビチャ……。
皆息を殺して、耳をそばだてる。音が徐々にこの部屋へと近付いてきている?
……ビチャ。
音がドアの前で止まる。ゴクリ、と喉を鳴らしたのは、私なのか他の誰かなのか……。
……ガタタ……カチャリ。
ゆっくりと、本当にゆっくりとドアが中に向かって開いていく。
「……ヒッ……」
「……あ……あぁっ……」
何人かは極短い悲鳴を上げる。また、何人かはくぐもった悲鳴を上げた。
間違いなく言える事は、この場にいた全員が、一瞬で恐怖に支配されたって事。
暗闇の中からのっそりと入ってきたソレは、最初は何か分からなかった。
けれど部屋の中へ、そして中央に向かってソレがのそのそと進むにつれ、窓から差し込む月明かりにソレの全体が照らされていった。
暗闇に目が慣れた私達全員が、月明かりだけでも十分にソレが異常な風貌をしているとわかってしまった。
まず、大きい。人の三倍程ある。体表は、まるで腐乱死体。水ぶくれになった青紫色だ。鬼のような角と牙が、頭と口から生えている。
ソレが動く度、ビチャビチャとドス黒い液体が体の下から尾を引き、見た目から想像がつく異臭を放っている。
「うぉ·にぃ……がぁぐれぇ……」
中央に立ち、暫くビチャビチャとさせた後、ソレが口を開いた。くぐもっていて、水に沈みながら話しているかのような発音の悪さだ。
「かぁ・くれぇ……うぉぉにぃぃ……」
しかしソレが何度か発音をしている内に、言葉のように聞こえ始めた。
「かくれーるー、おーにー」
そうして何度目かで、恐らく全員が言葉として耳に届いた。
「かくれんぼって、こと?」
震えながらも口を開いたのは、確か三十代の女性だったと思う。
……ニィ。
同意するように鬼の口角がゆっくり上がる。
次いで水膨れの右腕がゆっくり持ち上がり……。
――スパン!!
突如手を振り下ろした!?
けたたましい破壊音が室内に響き、長机が真っ二つになって転がる。
――バキッ!!
今度は大きな足を振り上げ、椅子を踏み潰した。
「「キャア!」」
「「うわぁっ!」」
突然の破壊行為と、馬鹿力具合を目の当たりにし、何人かはたまらず悲鳴を上げ、何人かはへたり込む。
「おれぇ、ぁ、おぉにぃ。かぁくれる、みつけるぅ····くうぅ」
大きな口が更に大きく開き、数多の牙と生臭そうな息が漏れる。今にも襲いかかられるのかと思って全員が身構える。
たけど突然、ソレはベチャリと水音を立てながら、その場に体育座りをした。鋭利な爪の生えた両手で顔を覆った。
「じゅーうー。いーいー。いーいーよー」
勝手に自問自答して、ひとーつー、と数え始めた。