【連載小説】子ども(雪舞心計21) ジウォン×イーハン
千夏宮 未明。
血埃と乾いた空気。
荒廃した土地に散らばり無数の屍。
ジウォンの背中。
動くたびに揺れる高く結い上げだ髪。
誰のものかわからない血がついた太刀がその手には握られていて、自身もかえり血をあびている。
ジウォンがこちらを振り返るとその目からは涙が頬をつたっている。
血の涙だ。
目を覚ますと、じっとりと嫌な汗をかいていた。
未明、浅い呼吸と眠りはハクに悪夢を見せる。
「....嫌な夢」
千夏宮の一計は失敗に終わった。
だから、夢で見た光景はいつ現実になってもおかしくはない。
ハクはそれ以上眠るのを諦めた。
帯を解き、着替えるために衣に手をかける。鏡に映る、色目人特有の淡い色の双眸がハクを見つめた。
目元や、顔貌から受ける雰囲気や印象は母ハジンに似たが、骨格や色は父から受け継いだ。
ハクを阻んだ、蒼雪閣の父とは親子とわからぬ方がおかしいほど似ているらしい。
寒蘇州 北海氷宮 郊外
ある日、ジウォンは炊事仕事をしていた。
なんか足が重いなと思って下を見るとジウォンの足に子どもがへばりついていた。
「ひ…!?」
ジウォンの心中などいざ知らず、子どもは目にたっぷり涙をためてこちらを見上げている。
「かあさまは、どこ?」
しかも見たところ、貴族の子どものようで上等な服を着ていた。
奴婢は掃除に洗濯、下働き全般をこなしながら、しょっちゅう跪くので煤やら土埃で服はたいてい汚れている。そんなことはおかまいなしに子どもはジウォンにひっついている。
しかし、子どもは見るからに貴族なので無闇に蹴り飛ばすわけにもいかない。
あっちいけ、と追い払うわけにもいかずジウォンは青くなった。
(やめろやめろ、汚れるだろう!?)
そんな時に現れたのはイーハンとジェスンだ。
「ソル・ジウォン?」
イーハンは子どもが下働きたちがいる厨房に入っていくのを追いかけてきた。すがるような目でジウォンはふたりを見た。
「なにしてるんだ」
「あ…っ、えっと、子どもにしがみつかれて…」
困り果てたジウォンにジェスンが見かねて子どもの目線に膝をおり、両手を広げた。
「タサラ公子、こちらへおいで」
「やー‼︎」
「..…」
しかし子どもは必死にジウォンにしがみつき拒否する。そして泣かれた。
「やああああ!! かあさまぁぁああ‼︎」
タサラと呼ばれた子どもは、それはもう、これ以上ないのではないかというぐらい泣いた。
ジウォンは両手を虚しく広げたままのジェスンを睨んだ。
(こいつ。信じられない、役立たずだ‼︎)
救世主が現れたと思ったのに。
「タサラ。そんなに泣いたら腹が減るだろう」
今度こそ見かねたイーハンがそう言ってしゃくりあげる子どもの口にサンザシ飴を放り込んだ。
「うまいか?」
突然口の中に広がる甘味に、タサラは目を丸くしたが、返事をするのは恥ずかしいようでこくりと頷き、ジウォンの方を向いて嬉しそうにした。
「お前、子どもの扱い方を知らないのか?」
イーハンにジウォンは首をふった。
ハクがジウォンの前に現れた時はすでにこの子どもよりは大きかったし、こんなに泣き虫ではなかった。
「タサラは離さないだろうし、子どもの扱いは、まあ、覚えておいて損はない。ついてこい」
足にしがみつかれたままでは歩くこともままならないので、ジウォンはタサラを抱き上げた。
飴をもらってすっかりご機嫌になったタサラはジウォンの首にしがみく。イーハンはタサラの鼻に人差し指をおしあてた。
「タサラ。お前の母さまはまだこちらに来たばかりで迷子になってしまったのかもしれない」
「うん」
「だから、探してやろうな」
「うん!」
たくみにタサラを誘導するイーハンを横目にジェスンは思う。
しかし、子どもの考えてることはわからない。
誰の目にも、ソル・ジウォンは薄汚い奴婢だ。わざわざしがみつきたいとは思わない。
「お前、身綺麗にしようとか、思わないのか?」
「え?」
ジウォンは平民だった頃から装いを気にする方ではなかったが、さすがに子どもがしがみついてきて、人から言われると気になった。
タサラが首に手を回してるので片腕で子どもを支え、もう片方の手で懐から財布を取り出しひっくりかえしてみるが、わずかな銅銭と砂がわずかに手のひらに転がっただけだ。
捕縛された時に手持ちの金子は没収されてしまった。
奴婢はこき使われ、常に搾取される。
一日中働いても、手元に服を買い替えられるような金子は残らないのだ。
しかし子どもはそんなことはお構いなしにジウォンの汚れた服にしがみついて、サンザシ飴を頬張っている。
子どもの表情からは世の憂いなど微塵も感じさせない。
タサラは母親らしき人を見つけるとジウォンの腕から飛び降りて一目散に駆け出し、母親の腕のなかに飛び込んだ。
「タサラ‼︎ もうっ。困った子。どこへ行っていたの。心配したじゃないの!」
「なんでかあさまが迷子になるのー⁉︎かあさま、迷子、ダメー‼︎」
「えっ。母さまが迷子なの⁇」
母親がイーハンを見上げて礼を言った。
「ありがとうございます、殿下」
「なに、礼には及ばん。ただ、さっきめちゃくちゃ泣いたからな。あとで寝かせた方がいい」
大人の会話の間をぬって、タサラは母親の腕から再び飛び降りると、花を摘んで、ジウォンにさしだした。
「え」
「なむぐん・たさらです!4さい!」
ぴっ、とタサラは親指だけ曲げたわらびの手を挙げてみせる。
ジェスンがジウォンに耳打ちした。
「南の先代宮主のご令孫だ」
「南の」
そうだ、ハクは南都にいるはずなのだ。
ハクの無事をどうやって確かめようかジウォンはずっと考えていた。
そういえば、ハクも宮主宗家の血筋だった。
(確か、ハクは北の先代宮主の孫)
ジウォンの手に花をのせると、タサラは母親の足に隠れて照れた。
ジェスンがジウォンに言う。
「お前がソル家荘を出たのは、あのくらいだったか?」
「...覚えてません」
イーハンがジウォンをその視界に入れる。
罪は一族のものだ。将軍は亡くなり、すでに罪と責をおった先代のソル家荘主は自刃した。
去年、ソル・ビョルンも絶命した。
しかし、この天涯孤独な奴婢はその当時、氏族のしがらみも、滅門の悲劇からも関係ないところにいた、幼い子どもにすぎなかった。
イーハンが唇を震わせわずかに開く。
(お前が望むなら、奴婢の身分から解放してやろうか?)
しかし、浮かんだ考えは、イーハンの口をついて出ることはなかった。
怨恨、憎悪、憐憫、救われた恩。
先日、ジウォンは、大切な弟子ヒオクを助け出した。
それらは複雑にイーハンのなかで絡み合っていた。
強い怒りや復讐心が彼を生かした時期もあった。それは、血に染み込んで、簡単には手放せない。
けれど、復讐心にまかせて全てを焼き払っても、大切な人や時間は戻らない。
残るのは虚しさだけだということをイーハンはとっくに知っていた。