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【連載小説】盤上遊戯と情報(雪舞心計23)ハク




 戦場を見渡せる高台にいて、カジンは舌打ちした。

 彼女は戦場には目もくれなかった。

 かわりに、伝書鳩が運んできた紙を火で炙った。ため息をひとつつく。

「ハカンはまだ千夏宮に戻っていないようだ」
「無理もありません」

 トアハが言った。

 ハカンは直系のハランと違ってナムグン氏族の傍系だ。しかし、女として生を受けたハランよりも色濃く、ナムグン氏族の武人としての才能を受け継いでいた。

 そして、彼は優れた狩人だった。

(まだ彼はソムン・イーハンほど成熟してはいないけれど)

 トアハは戦場に視線を投げる。

「ソル・ジウォンを北の竜宮城から奪いさってしまいたいと思っているから」

 たとえ北の海を干上がらせてでも。





寒蘇州





 ハクはソル家荘跡に立ち寄った。

 ソムン氏族の自分が足を踏み入れていい場所ではないかもしれない。

 しかし、すべてがはじまった因縁の場所を目に入れておきたかった。

 ハクは白い砂地となったソル家荘を歩いた。

 かつてソル氏族が暮らしていたという一帯は切ないほどなにもない。

 建物は焼き尽くされてすでに灰となり、陶器の破片などがわずかにかつてここで生活していた人々を偲ばせるだけだ。

 (ここで、ジウォンは生まれた)

 ソル氏族がいなければ、ソムン氏の悲劇は起きなかった。

 しかし、ハクはジウォンまでつないだソル氏の血脈や系譜がなければいいとは思わなかった。

 もちろん、ハクがソル家荘を焼き払ったソムン氏の子だと知ってジウォンが憎悪しないとは限らない。

 けれどハクはジウォンの無事を願わずにはいられない。

 ソムン氏族の少年を迎えたソル家荘は静かに空に抱かれていた。 









 茶器を片付けていたジウォンは突然足に大きな衝撃を受けた。

 「うお、危ない!」

 ジウォンは危うく盆ごと茶器をひっくり返しそうになるが、足にくっついた重みの正体に慣れてきつつあった。
 タサラがしがみついてきたのだ。

 「タサラさま?今度はどうされたのです」

 ジウォンは卓にお盆を置き、タサラの背中を優しく叩いてやる。
 タサラはジウォンの声を聞くと必死にしがみついてわあわあ泣いた。

 追いかけてきたヒオクがジウォンに耳打ちした。

 たっぷり手加減された卓上ゲームに負けたのだ。

 将棋盤の上に視線をなげると、駒がいくつか並んでいる。

あー、タサラにはまだ早かったかー、とイーハンが頭をかいていた。

 タサラを負かしてしまったジェスンの目が泳ぐ。

 ジウォンがタサラを座らせ、将棋盤を覗き込んだ。

「うーん、よくわからないけど….。これ、負けてるんですか?」
「なに」
「この敗将は敵の背後をとってる。攻め込むのに、こんな好機はない」

ジウォンは駒の一つを指差した。

「だが将を封じられてる。手や足が動いても、頭が無ければ統率を失う」

 ジェスンに説かれ、ジウォンは首から上を失くしたまま動く人間を想像した。

「なるほど」





 戦場まで来て、盤上遊戯を思い出すなんて、気が緩んでいるんだろうか。

 ジウォンは気を引き締めた。

 ここは戦場で、遊戯ではないのだから。

「戦闘は、こっちの有利に進んでるみたいだぞ」

 じゃがいもの皮を剥きながらジウォンがため息をついた。

 (そんなわけあるか)

 軍人としてジウォンは素人だったが、戦場に数日身を置いて、わかったことがあった。
 北は荒くれ者が多いせいか、ひとりひとりの戦闘力は強い。
 しかし、南は南都をはじめ故郷を守ろうとする意識が強く、統制のとれた軍団が各々連携をとって挑むので全体的な戦力で北を圧倒する。

 (ハクは南都にいるうちは安全かも)

「なぁ、ジウォン。この前線に、滅亡したソル氏族の残党もいるんだって」
「ふうん。そうなんだ」

 ジウォンと同じく、じゃがいもの皮を剥いていた奴婢が言う。

「ソル氏族ってあれだろ、戦の天才」
「へえ。そうなんだ」

 ジウォンは皮を剥いたじゃがいもを積んだ籠を持って立ち上がった。

「本当に戦の天才なら奴婢に落ちたりしないんじゃないか?」
「それもそうか」

 前線では、実際の戦闘よりも、膨大な情報戦が繰り広げられる。
 断片的に入ってくる情報を繋ぎ合わせて推測する限り、戦局は不利なのだろう。

(不確実な情報に踊らされてもだめだ)

 デマや、出所不明のフェイクニュースも紛れているから入ってくる情報を鵜呑みにするわけにはいかない。

 ジウォンは引き続き聞き耳を立てた。
 入り乱れて入ってくるあらゆる情報を精査し、状況を把握するためだ。

 戦場では、真偽に関わらず、多くの情報が錯綜していた。








南都紅宮





 ツェランが宮内をいくら探しても、ハカンの姿どころか、トアハも見えなかった。

「大師兄なら、出陣されてるよ。今ごろ、全軍の指揮をとってるはずだ。聞いてないのか?」

 ツェランは目を見開いて呆然と立ち尽くした。

 出陣? 全軍?

(こいつらは一体、さっきからなにを言っているんだ?)

 目の前で門弟たちが話しているのに、ツェランはすべての感覚が遠くに置いてきたかのように錯覚に陥る。

 聞いていない….。

「珍しいな。大師兄がお前に言わないなんて」

 門弟たちはすでにトアハが出陣したことを知っているようだった。

 今、南都にいるのはツェランと、留守を任され、警備にあたる者だけだという。

「じゃあ、師兄は、今、最前線にいるのか?」
「ああ。なんでも、外戚が盟主に進言したらしい」
「外、戚?」
「そう。確かミシル妃の一族だ。冬が来る前に、北の蛮族に一矢報いるべきだって、盟主さまに訴えたらしい」
「盟主さまに命じられたら、大師兄も出陣するしかないよな」

 (ミシルの一族が、師兄を戦場に)

 ツェランの漆黒の双眸が仄暗く黒光して揺れたことを門弟たちは気づかなかった。








寒蘇州 





 くそっ、くそ…っ!



 まるで林檎を目の前にぶら下げられたロバになった気分だ。

 ハクはカジンがよこした情報を得るために来た道を走ってとんぼ返りする羽目になった。

 カジンは決してハクを南都紅宮に拘束したりしなかった。
 だが必要であればハクがどこにいようと彼がその時に最も欲している情報をエサに彼を南都に呼び戻した。

 情報という名のエサはにんじんよりも甘い林檎だ。

 ある時、カジンはジウォンの在処という、極上の林檎をハクの前にぶん投げてよこした。

 (今度はなんだ⁉︎)

 南都へ急いでいると、八百屋が目に入った。
 八百屋だというのに、野菜は相場の倍以上高く、薬品や、包帯や、護身用の短剣など、八百屋らしからぬものも置いていた。
 嫌な予感が、ハクの思考を染めていく。

「すまないねぇ、値上がりが重なって、卸せない野菜もあるんだ」

 店のなかから店主と思われる女将が声をかけてきた。

「お兄さん、あれかい?これから蒼雪閣へ避難するんだろう。男たちが兵に出されちまって、ずいぶん、きなくさくなったからねぇ」

 ハクが顔を上げた。

(まさか、戦がはじまってしまったというのか)





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