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【連載小説】雪舞心計5/南都の麗人 ツェラン×トアハ/ジウォン×ハク

 衣装や布製品を扱う彩衣坊では、女将が豪族の娘と思われる少女に次々と衣装をあわせていた。

「まあまあ!よくお似合いですこと!ミシルお嬢様ほど可憐なご令嬢を南都の殿方はほおっておきませんわ!ええ。この彩衣坊の女将が保証しますとも!」

 褒められてミシルという娘の方もまんざらではなさそうだ。
 ウルはたのまれていた舞台衣装を南楽坊へもっていくため、支度を整えていた。

「ねえ、ウル。お前もそう思うでしょう?南都にこれほど可愛らしい方は滅多にいないわ」

 女将に話をふられ、ミシルもウルのほうを向く。とつぜん話をふられて慌てたが、確かに同年代の少女のなかでは垢ぬけているだろう。

「え?あ、ああ。ええ。とてもお綺麗です、ミシルお嬢さま」

 ウルは最近新しく決まった奉公先のお館の少女を思い出す。ウルとミシルは同年代だが奉公先の少女ともほとんど年は変わらないはずだ。

 (ぶっちゃけ、ハランお嬢さまのほうが美人だよなー)

 初めてハランに会った時はこんな別嬪がこの世にいるのかと驚いたものだ。

 そんなことを思いながらまとめた荷物をもって南楽坊へ向かった。
 南楽坊は昔、有名な娼館だった。
 今も呼ぼうと思えば妓女を呼べる店だ。
 客間に料理を提供する厨房で働く女たちが色めき立っていた。
 客室のうち、バルコニーのある客室を貸し切った客と、芙蓉館から派遣された楽師が、そこらでは見かけないような群を抜いた美人だったからだ。
 芙蓉館の楽師のほうは少年で、客のほうは二十歳前後の青年だった。

 おつかいで荷物を届けに来たウルは美人二人を品定めしてみたくなった。
 ウルはどこにでもいる少しばかり好奇心旺盛な下働きだった。

 忍び足で噂の一室に近づき、戸の隙間を覗く。

 女たちの声が届かない一室で、トアハは『南都夜想』を奏でる二胡の旋律に耳を傾けていた。
 楽師は色目人の姿をしていたが南都の美形を見慣れたトアハの目にも見目麗しい少年で、二胡の音色も耳になじんだ。
 少年が演奏し終えると、トアハは金一封をハクの前に用意した。

「こんなによろしいのですか」
「いいものを聞かせてくれた。期待以上だったよ」
「では。ありがたく」
「他に芸はなにか嗜むのか?」
「楽器と書を少し。絵はからっきしでしたが」

 気前の良い客はたいてい感じも良い。
 客と世間話を少ししたのち、ハクは金一封を包んで懐にしまい込んだ。借りていた二胡を楽屋に返し、面紗付きの笠を深く被る。

(はやく帰らなければ。ジウォンが心配する)

 ハクは帰りを急いだ。懐に忍ばせた金一封を胸に押しあてる。

(よかった。これだけあれば、七日は食費に困らない。ジウォンの靴も買い替えられる)

『一芸は身を助ける。自ら掴み取った機会だ。やれるだけやってみなさい』

いつかの、ビョルンの言葉を思い出す。

 (感謝します、師父)

 南都の街を歩いていく。しばらく歩いていると、少し距離をおいた背後から異質な気配がした。
 ハクは思わず振り返りそうになるのをつとめて我慢し、少し早足で歩いた。かわりに、耳をすます。
 街ゆく人の往来にまぎれて、背後の異質な気配も早足になり、鈍い金具の音が聞こえる。

 (武器を持ってる?強盗?)

 次に音からおおよその追っ手の数を推測し、路地を何度も変えながら動いた。

 4人がハクの後を追っていた。

 おそらくそれより多くの数がついてきたのだろうが、ハクが忙しく路地を変えながら動いている間に濾過されて、まともな追撃者が残ったのだ。
 ハクは彼らを南都の複雑な路地に導いた。
 いくら体力がついてきたとはいえ、14歳の足で走り回っても、勝機はない。

(色目人や女、子どもを狙った人さらいが多いとは聞いていたけど)

 追っ手はすぐ近くまで差し迫っていた。
 ハクは頭上の、物干しロープに干され、風に揺れていた洗濯物を追っ手の顔に投げつけた。

 撹乱して隙をつくるためだ。

 そしてすっかり持ち歩くようになった護身用の短刀を抜き、身を低くして追っ手を迎え撃った。

 ビョルンは主に槍術をジウォンとハクに叩き込んだが、槍は短槍でも女性の身長くらいの長さがあるので、持ち歩くのは荷物だったし、今回のような接近戦では対処が難しい。
 だから槍術を扱う者はたいてい別の武器を持っているものだ。
 実はハクは槍術よりも太刀や剣を扱う方が得意だった。

 剣や刀は相手の懐に深く飛び込んだ上で致命的な打撃を与えることができるからだ。
 そしてたいてい人さらいのようなごろつきは飛んで火にいる虫の如くハクに手をのばそうとする。

「ハク!下がれ!」

 ハクが短刀で応戦していると、空から声が降ってくる。ジウォンの声だ。
 ハクが人気のない路地に人さらいを誘い込んだのには、追撃者をかわし、濾過する狙いもあったが、近くにいたジウォンと合流する狙いもあった。
 人気のない空き地に誘い込むことができれば、路地が行き止まりだったとしても、存分に槍を振るうことができる。
 ジウォンはハクと違って職業柄、いつも短槍を持ち歩く。
 ジウォンは地面を走ってきたと思ったら、一瞬、壁を跳ぶように走り、後ろにのいたハクと追撃者との間に割ってはいる。
 並外れた身体能力はいつもハクを驚かせた。
 ジウォンは刃先を布で覆った短槍を旋回させ、いっきに3人の追撃者を相手にした。
 何合か撃ち合い、前へ圧すことはあっても、一歩も後ろへは引かない。1人、2人とのしていく。


 これほどあざやかな槍術を、トアハは目にしたことがなかった。
 短槍使いは流血を防ぐために刃先を布で覆った状態の槍を振るっているが、効果的に打撃を加え、相手を再起不能にしている。
 短槍使いが3人目を標的にするところを見計らって、トアハは足を進めた。
 後ろにひいた3人目をトアハが手刀で気絶させる。
 現れた4人目に、ハクが反応した。
 トアハが地面にのびていた黒づくめの追撃者たちに言い放つ。

「跪け」

 ジウォンとハクに敵意がないことを示すため、転がっていた刀を足ですくって拾い、追撃者に刃先をむける。

「わたしの領域に賊が入ったので始末しに来たのだが。南都になにか用か?
 刀身が剥き出しなら、お前ら3人とも2回は死んでいる」

(刀を持つとは。人さらいにしては大げさだ。それに、流水紋だと?)

 トアハの視線は、追撃者の黒の布地に紺色で刺繍された流水紋を認めた。
 流水紋は北海氷宮の象徴だ。北海氷宮の有力者は現在ふたり。

(蒼雪閣主ソムン・イーハン?いや、北の宮主の方か?)

「失せろ」

 有無を言わせぬもの言いは後ろ暗い者たちを圧倒するのに十分だ。気絶した男以外の2人が一目散に遁走した。

「あの。助太刀感謝します」

 少年の方がトアハに礼を言った。

「大したことはしてないけどな。だが、南都まで来て、災難だったな。この頃、北の流れ者が増えた」
「北?ごろつきというには腕が立ちすぎだ。人さらい、て感じじゃなかった」

 ジウォンが怪訝そうに気絶している男を見る。

「元武人、もしくはその端くれ、といったところだろう。ソル氏残党を狙う輩かもしれない」

 トアハが拾った刀を鞘にもどし、鞘の先で男をつついた。

「ソル氏?色目人を狙ったんじゃないのか」

「ほら、『将軍令』の曲に出てくる将軍さまじゃない?」とハクはジウォンを小突く。

「そうだ。ソル一門はもともと名の知れた武家の一門だった。軍師や将軍を輩出してる。そのほとんどはソル家荘討伐でソムン氏に討たれてるけど、一部は討伐を逃れたって話があってな。報奨金で釣らなくても、北海氷宮の大将首だし、名門の武家一族だから残党でも討つことができれば武人として名を挙げられる、ってわけだ」

 物騒な話だ、とジウォンは思った。いつかツェランから絡まれた時に聞いた話を脳裏に浮かべる。

(残党狩りか。ソムン一門が滅亡して七年も経つのにまだ捕まらないのか)

 トアハは2人と別れて南都の街をしばらく歩いた。たまの休日なのだ。昼間は二胡の音を美食とともに楽しみ、偶然ながら見事な槍の演舞も見られた。夜はてきとうに店に入って酒を楽しもうと思っていた。
 俗世で人と交われば、因縁が生まれるというが、南都夜想で謳われる街は夜が一等美しいのだ。
 歩いていたら頭上から紺色の紐と花が降ってきた。

 (髪紐?)

 紺色の紐はトアハの肩にかかり花は足もとに落ちた。思わず落ちた花を拾い上げて、紐が降りてきた方向を見上げる。
 客桟の2階のバルコニーから、紐を落としたツェランが顔をのぞかせていた。

 「美人さん、一杯一緒にどうだい?」






 月の明るい夜だった。
 ジウォンは短槍を慣れた手つきで旋回させる。月光を反射した短槍の切っ先が白く光って弧を描き、一陣の風を起こす。
 日が落ちてからもしばらくは明るいのでジウォンは鍛錬をやめない。
 低空飛行するツバメのように鋭く、ジウォンは短槍が巻き上げる風塵のなかを乱舞し、槍の刃先で虚空を斬った。
 ジウォンの集中をあまり妨げるべきではないが、薬を煎じていたハクは気になっていることを聞いた。

「ジウォンは興味ある?」
「んー、何が?」
「ソル氏族の話」
「あー。討ちとったら名を挙げられるってやつ?」
「うん」

 ハクの贔屓目をなしにしても、ジウォンは武人としてかなり強かった。
 だからといって、わざわざ危険なことに飛び込んでほしくはない。

「用心棒として、名は売れた方がいいんだろうけど、天下で一番強い武人なんだろ?こっちから襲っても返り討ちにされるよ。それに、ソル氏って、名前じゃなくて姓でしょ。三代以上続く有名なお家の武人を倒して世に名を成す、なんて貴族の話だ」

 庶民には夢物語みたいな話かなぁ、とジウォンは苦笑する。 
 けれど、ハクには予感があった。ジウォンはきっといっかいの用心棒では終わらないだろう。その時に近くにいるには、やはり武芸を上達させるしかない。

 ハクは、木刀を持ち、素振りしていたジウォンめがけて打ち込みにかかる。もともと筋は悪くないうえ、身体ができてきた分、ジウォンともいい勝負をするのだ。間合いに入るのは至難の業だが。

「ははっ、いい太刀筋だ!腕を上げたね、ハク!」

 ハクはここ1年で驚くほど背が伸びて、ビョルンやジウォンを追い抜く勢いだ。食べているものは同じなのに、ふたりよりも筋肉質で、体格にも恵まれている。色目人の血だろう、とビョルンは言った。
 去年よりも大きくなった背中に、厚みのある胸とたくましくなった腕、ふりおろされる一撃。力はジウォンよりも強く、一撃は重い。

「それに、ソル氏族がいくら強くても、師父より強い武人なんて、想像するだけで空恐ろしいよ」

 それはそうだ、とハクも思った。満足するまで撃ち合って、息が切れてくると、ふたりは短槍も木刀も投げ出した。ハクが水筒に2人分の水を汲みに行くと、ジウォンは地面にしゃがみ、枝でガリガリと文字を書きつけていた。

「北?」
「うん。ねぇ、南ってどう書くんだっけ」

 ハクはジウォンが書きつけた「北」が上にくるように「南」と書いてやる。

 「北」「北」「北」「南」「南」「南」「南」「南」

 ジウォンが同じ文字をいくつも書くので、ハクは目がおかしくなりそうになる。
 文字の書き取りは土の上でできてもあまり意味がない。木管や、紙の上に筆で文章を書くことができて初めて実用的な意味をなす。けれどジウォンには、文字の意味と形を憶えることが重要なのだ。
 ハクは「北」の字の近くに『計都』、「南」の字の近くに『南都』書き加えた。

「ふだん、僕たちがいる新月山よりも北西の方向に行くと計都にたどり着く。さらに北上してくと、寒蘇州に入る。北の宮主さまがいらっしゃるところだけど、冬はひどく冷え込む。逆に、新月山から南下していくと、紅慶州。九月山の麓にあるのが、僕たちが今いる、『南都』」

 『南都』の近くに、『紅慶』と書くと、ジウォンが顔をしかめた。

「なにこれ、難しい。画数多い」
「文字の形よりも、場所の位置を憶えて。字は後から。書けることより読めることとどこにあるのかわかる方が大事だ」

 ハクはしばらくジウォンを見守っていたが、月明かりだけでは目を悪くしてしまうのでもう休もう、と宿のなかへジウォンを促した。
 食事も終わっているので、あとは寝るだけだ。身体を寝床に横たえてしばらくするとハクの規則正しい呼吸が聞こえてくる。ジウォンは寝返りをうった。指で字をなぞる。

「北」。

 南都で出会った男は言った。「北の流れ者が増えた」と。その北からの流れ者はハクを襲った。

 考えたくはないが考えないわけにはいかない。

 色目人の特徴をもつハクが人さらいに狙われるのはこれが初めてではなかった。けれど、追撃者たちは剣や刀を手にしていた。

(人さらいや単なる流れ者のたぐいなんかじゃない。なんらかの訓練を受けている)

 北からハクを亡き者にしようと狙う何者かがいる。

 ジウォンはふたたび寝返りをうった。
 
 (いやいや。何が狙いだよ)

 確かにハクは奴隷商人が好みそうな、色目人の特徴をよくとらえた容貌をしていたが、さらって売るつもりなら傷つけたり殺してしまっては商品にならない。本末転倒だ。

『ソル氏残党を狙う輩かもしれない』と言った昼間の男を思い出すが、ハクとなんの関係があるのか。

 思い当たるとすれば、ハクの出自だが、当のハクにはもといた家や家族の記憶がなかった。

 (そうだ。ソル家のような、将軍を輩出するような名門氏族でさえ、討伐に遭うのだ)

 なにかのひょうしに名家が取り潰しになることは庶民のジウォンが思っているほど、珍しい話ではないのかもしれない。

 ソル家はソムン氏に報復されたという話だが、ソムン氏族も7年前にソル氏にソムン家の当主をのぞいて滅門させられている。
 夫人は亡くなり、ご子息は行方不明。 美貌の一族として人々の間に歌い継がれるソムン氏一門。

 ここで一瞬、すべての見えない糸がジウォンのなかでつながりだした。

 ソムン氏が滅門したのは7年前。ビョルンに連れられて、ハクがジウォンと出会ったのは7年前だ。ハクには7歳以前の記憶がない。

『人は、精神の限界から心を守るために防衛本能から記憶をなくすことがある。 記憶を失ったということは、なにか本人にとってひどくつらいことがあったのかもしれない』

 ソムン氏のご子息は行方不明。

 ジウォンは思わず横たえていた身を起こしてハクを見る。

 計都ソムン氏。 

 龍神の供えものかと思うほど美しい寝顔がそこにあった。ソムン氏は美貌の一族として有名だ。

『仮に、記憶を失うほど衝撃的な動揺があったなら、思い出したら壊れるかもしれない』

 どちらにせよ、封じられている記憶を刺激するわけにはいかない、とジウォンは戒めた。

「ジウォン、起きてるの?」

 ハクがねむたそうな声を発した。浅い眠りを妨げてしまったらしい。

「…うん。寝つきがよくなくて」
「そう。…ねえジウォン」
「うん?」
「しばらく、南にとどまるのはどうかな。南都は大きな街だし、仕事もたくさんある。師父も呼んで、秋になったら紅慶の紅葉を見に出かけよう。冬を越すにも、北より暖かいから過ごしやすい」

 南都と紅慶の境にある九月山は夏が終わって秋になると紅葉で赤く染まる。それが息をのむほど美しいと、お客が教えてくれたとハクが言った。

「いいかもね、南都で過ごすのも。でも今夜はゆっくりおやすみ」

 うん、とハクは言って顔を枕にうずめた。ジウォンも眼を閉じる。
 敵の狙いもわからないうちに、闇雲に逃げ惑うのは得策とはいえないけれど、北は、ハクにとって、安全ではない。
 北とは、真逆の方角へ向かわなければならない。

(南へ)

 行かなければ。そう思ったのを最後に、ジウォンの意識は夜の闇に沈んでいった。

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