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【連載小説】雪舞心計2/兵法 イーハン×ハラン

「おや。先客かな」

 書物から顔を上げると、雨傘を被った偉丈夫が戸を開けて立っていた。
 連れが2人いるようで、偉丈夫の後ろに立っていた。

「はやく入って戸を閉めて。雨が中に入ってくる」

 偉丈夫と、中年の男ともう一人が中へ入り、戸を閉めた。
 深く被っていた笠を脱いで雨を払うと偉丈夫の素顔があらわになる。男の容姿は珍しくハランの目をひいた。

(水も滴る、なんとやら)

 色目人の血が入っているのか、目鼻立ちはすっきりとしていて髪も眼もどことなく色素が薄い。ここらでは見かけない、端正な顔立ちをした男だった。
 イーハンは目の前の少女に愛想よく笑いかけた。

「ここは、書店かな?」
「絵や奥に楽器も置いてる。店主に頼まれて留守を預かってるだけで、わたしの店じゃないから茶は出せない」
「かまわない。雨宿りさせてもらうのに茶をいただくわけにいかないからね」

 ふとハランは視線を感じて男の後ろを見た。一人は中年で、一人は若者だ。
 若者の方がハランの方をじっと見ていて中年の方が若者を小突く。

「ジウォン、無礼だ」

 若者は小突かれてあわてて視線を落とす。
 他人が女性をじろじろと見るのは非礼とされる。だが、少女は美女を見慣れたイーハンからしても目を見張るほど可憐な顔立ちをしていた。

(夜の妖精を人のかたちにしたら、こんな感じかもしれないな)

「学問に関心が?どうやら読書の邪魔をしたようだ」

 かまわない、と言った娘は書物を前にしていた。

「あなたは、ここの人じゃないね」
「ほう、なぜそう思った?」
「言葉が違うから」

 見たところ貴族のようだが、そのことについてハランは触れなかった。

「なに。北海氷宮からの客だよ。南の宮主の娘御がご成婚されたので、北海氷宮からの贈り物を届けにきたんだ」
「北海氷宮?」
「そうだよ」
「南都紅宮と北海氷宮は仲違いしているものとばかり思っていた。南北で戦争ばかりしているから」
「おおむねそのとおりだ。だから用心棒を雇った。だが戦争とは外交だ。相手を牽制したいなら、武力に訴えるだけが手段じゃない。黄金を贈って、自身の財力を相手側に知らしめ、牽制することができればそれほど安くすむ戦争はない」
「なるほど」

 イーハンの話を理解したようで娘は少し考えながらうなづいていた。それから、視線を再び書物に落とす。

(十歳くらいだろうか。聡い子だ)

 イーハンは少女に同じ年頃の配下の少年を重ねる。
 ヒオクと同じ年頃だろうか。

 もっとも、ヒオクは座学の時間におとなしく机の前に半刻もまともに座っていられないが。

 イーハンは文机に近づいてハランが前にしている書をのぞきこんだ。
 南の文字で綴られているそれは、どうやら兵法の書物らしい。

 イーハンは読み取れた文字を指でおさえた。

「甘崔の戦いか」

 南軍は東の捕虜3万人をとらえ、大勝利を納めた。

「君がこの状況に遭遇したらどうする?彼ら南軍はこの3万人の捕虜をどうするだろう?」

 イーハンはまだ十代の頃、遠目で見た甘崔平原の戦場を見下ろせる高台に鳳凰木の紋章を旗印を背にして、仁王立ちした女軍師を脳裏に浮かべる。

(当時、南軍の軍師だったナムグン・カジンは捕らえた捕虜を全員惨殺した)

 甘崔の戦いは20年前の戦いだ。イーハン自身もまだ若かった。

 女傑ナムグン・カジンのひととなりを伝える有名な話だから、界隈では有名な話だが、少なくとも、この少女はまだ生まれていない。

 イーハンに問われて、ようやく書からハランは顔をあげ、答える。

「これは罠だ」

 数千人ならまだしも、捕虜が計3万人というのは多すぎる。集中すれば反乱だって起きかねない。

 ハランは思う。最も簡単なのは先手をうち、こちらから罠にはめて「3万人の捕虜」とやらを皆殺しにすることだ。

 だが、ハランはそのようには答えなかった。

「…私だったら、捕虜たちの武器や防具は没収し、鉄器は溶かして農具にする。反乱を防ぐために各地に分散させて農耕をさせるだろう」

「…ほう?」

「旦那さま、雨が上がったようです」

 中年の男、ビョルンがイーハンを促す。

「やはりとおり雨だったか」

 南の、春の到来を告げる雨。

 北へ北上すれば、雨は雪に変わる。

 こちらが大雨だったのだ。あちらは吹雪だろう。

 それでも真冬よりは幾分マシだろうが。

 名前くらい聞いておいてもよかったかもしれない。

 雨宿りさせてくれた臨時の書店の店主の少女に礼をいい、イーハンは笠を深く被る。

 笠の影から本来人より明るい色をしているはずの眼が暗く底光りし2人の従者を見た。

「行こう」

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