「教養=自己満」でいいじゃん
最近は、教養を学ぶことが楽しくて仕方ないです。
本来はそんな暇なんてなく、もっと仕事に役立つためのビジネスの勉強をしなくちゃいけないことはわかってる。
語学の勉強もしないと。
でも、教養とビジネスの勉強、半々くらいになってしまっています。
昔からそんなに勉強熱心なタイプではなかったので、教養の良さを知り、積極的に学ぶようになったのはここ数年です。
ただ昔から、世の中の「新しいことを知る」ということを、おもしろいなとは感じていました。
そんな中である日、教養のおもしろさ、教養を身につけることの大切さを弟に伝えたく、「教養はいいよ」という話をしました。
「でも、教養って、なんの役にもたたへんやん。それやったら財経の知識の方がビジネスにつながるしそっちを勉強するわ。」
そんなわたしへの、大学生の弟からのもっともな回答。
いや確かにね。その通りだと思います。
すごく合理的。
でも、、うん、、、そうか、そうだね。
「教養を学ぶと、見える世界が変わる。
自分の世界に、色が加わる。
世界が彩られるんだよ。」
そう、伝えたかった。
そのときは結局、弟に教養の良さを伝えるきることはできませんでした。
なんでわからないかなー。
こんなに素晴らしいのに。
わかってほしいなー。
そう思いました。
でも、最近気づきました。
わかってもらう必要なんてないんですよね。
教養を身につけることのよさって、その大半が自己満足、いわゆる「自己満」でしかないんですもん。
実際、今わたしが趣味感覚で学んでいる教養が、お金になるかと言われればなっていないし、特別だれかに披露することもない。
これからだって、お金にならないだろうし、インプットされたものをアウトプットせずに終わることだってある。
教養を学んで見える新たな世界なんて、いってしまえばただのマイワールドが広がるだけ。
すごく内的なもの。
美術館や博物館に行って飾ってある絵を見るとき、その背景にあるものを知った上で見ると、ただの「上手な絵」として目に写るのではなく、もっと深いところまで見える。
感情移入できる。
心の中で「むふふ、」とにやけてしまう。
そうやって、マイワールドを最大限楽しむためのものでしかないんです。
でも、それでいい。
だって、自分の人生の最終目標って、いかに自分の人生を彩るかだと思うから。
最後に自分の人生を振り返ったときに、色鮮やかできらきら輝いた人生だったらそれでいい。
これって、すごく自分の人生にフォーカスした人生を送れるのだと思います。
ゴージャスで煌びやかな必要はない。
教養なんて役に立たないものがなくても、経営者として成功して、大金持ちになるとか、名声を手にするとか。
そういうことももちろんすごいと思うけど、どちらかというと、自分の人生にフォーカスしたてるというより、外の世界にフォーカスした人生なのかな、と思います。
すごく合理的でむだのない人生。
それもまた一興。
(あ、でも、そこから派生して、教養を通して人と人とがつながることもあるだろうし、そういう外的な恩恵もあります。)
だから、この教養の自己満足の良さなんて、伝える必要はないし、わかってもらう必要もない。
みんな、人生の考え方はそれぞれだから。
その上で、わたしは全てが合理的でむだのない人生である必要もないと思う派です。
多少のむだがある方が、味わい深いじゃないですか。
教養は、わたしの人生にそんな効果をもたらしてくれます。
これからも、もっともっと教養を身につけたいし、世界を広げて、もっと色をつけていきたいです。
理想をいうと、いつか弟も、合理的な人生ではなく、この「マイワールド」を楽しむ感じをわかってくれる日が来るといいな、と、姉としては思ってしまいます。
財経の勉強のあとでいいからさ。
以上、教養は「マイワールドを楽しむ」ただの自己満足についてのわたしの考えでした。