転職へ
病院勤務が終の仕事ではない。
その思いが日に日に深まった。
学士入学もきっとダメだろう。
それなら何をするのか。
考えれば、最初の就活(昔はこんな言葉はなかったが)で
まず、映画会社を想定していた。
年間200本以上の映画を観て
戦後映画のシナリオ20年分くらいは読んでいた。
しかし、映画斜陽でボクの希望は閉ざされていた。
マスコミの試験をいくつか受けた。
大阪、愛知のテレビ局、地方の新聞社。
わずかに地方の新聞社の1社から最終面接の知らせを受けていた。
実はこの新聞社、U局を開始していた。
面接で、そちらへ移動することも可能かと訊ねた。
それはあり得ないということで、不採用となった。
こんな経過から、再び、この類いの仕事ができないかなあと
思うようになっていった。
そんな世界へ行ける道を考えた。
そんな折、学生時代に一緒に俳句を書いたり、映画を語ったり、
バイトをしたり、故郷へ遊びに行ったりした親友から
アドバイスがあった。
「広告業界はどうや?コピーライターとか。」
「コピーライター」という言葉は新鮮であった。
写真はタイタンビカス。
アメリカフヨウの仲間らしい。
散歩道でこの強烈な色に出会った。
夏の太陽を受け、一層激しく輝いていた。
なんとも言えない出会いである。