房総半島
白浜町の魚博物館を訪ねて、
しばらくしてから、再び、
房総半島の先っぽを訪ねることになった。
ある画家に仕事のお願いするために出かけたのだ。
あれはいつだっただろう。
その時の帰りの電車から見る菜の花がとても鮮やかだった。
で、こんな句を書いた。
菜の花と一緒に帰る昭和かな たかし
菜の花真っ盛りだったから 春。
この内容からすると
昭和から平成へ移ってから数年後だったのだろう。
句を書いて何年か後に
司馬遼太郎さんがお亡くなりになった。
あるときから、
その忌日を「菜の花忌」と呼ぶようになった。
それがある意味悔しかった。
この句が司馬遼太郎さんのことを描いたように
受け止められそうだったから。
こんな風に辿っていくと
二度目の房総半島訪問は
1990年頃と考える。
最初の訪問から20年ほど経っていたはずだ。