オワッテンネ
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LGBTQという言葉は急速に世の中に広まり、多様性、グローバル化などの単語を見ない日はありません。発達障がいに関しても、共生社会、インクルーシブ教育等の言葉をよく聞きます。
「人々の多様な在り方を相互に認め合える全員参加型の社会」を目指していこう、ということらしいです。
『オワッテンネ』
これは、「エンヴィガブリエラ」という「オネエによる総合エンターテインメント」をコンセプトに活動しているゲイ3人のグループユニットの新曲。
大好きな美容家のギュテ氏、ズッチー氏がMVに参加していたので観てみたのですが、歌詞の一部にグッと来た。
”(〜省略)
なんで攻撃的なの?
「多様性」 でも腫れ物扱いじゃん
なんで譲らないの?
「多様性」 じゃなくてそこは人間性
Gender、Race、Color、Minority、Majority
なんでもいいけど人間じゃん
折り合いつけて踏ん張ってんの
誰だって等しく何かに
(以下省略) ”
そう、腫れ物扱いしている自分がいます。差別しないようにと恐れるあまりに、こわごわ遠巻きに眺めている自分がいる。
福祉の世界、療育の現場に身を置いているにも関わらず、です。
結局大切なのは人間性、ホントそれ。
みんな何かと折り合いを付けて踏ん張っている。そんな事は充分わかっていたつもりだけれど、「等しく」という概念もっていたかしら?
#ちなみに「公平」と「平等」は違うよ
マジョリティが正義、とはこれっぽっちも思わないけれど、マイノリティがマジョリティに比べて不幸、みたいな気持ちが微塵もないか、と問われたら言葉に詰まる、、、かもです。
#情けない
数は力になる。
好きなものは理由なんてなくても好きだし、苦手なものもまた然り。
「そういうこと(人)ってある(いる)よね」
だけでいいはずなんだけど。
LGBTQだけでなく、障がい児(者)ももっともっと世間に知られるべきなんだと思います。人は知らない事には警戒心を強め、ともすると排除しようと躍起になるいきものだから。
例えば、子どもがいたるところにいて、外で子どもの声がするのが当たり前だったら、公園で遊ぶ子どもの声がうるさいなんて苦情は出てこないはず。
もっと当たり前に同性のカップルを目にしたり、ヘルプマークを目にしたり、が増えればいい。
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子供の頃、実家の近所には大きめの公園があり、そこに障害者施設で生活している方たちが散歩に来ることがしばしばありました。10人くらいいたでしょうか?支援者の方と一緒に公園に来る。
当時小学生の私は、鉄棒で連続逆上がりをしたり、スカートまわり(わかるかしら?)をしたり、、、。
時々ベンチに座っている障害者の方と支援員さんたちが拍手をしてくれたりするものだから、鼻高々、得意満面の顔でいつもより多くまわるときも。
観客はその時々で、ゲートボールの休憩でお茶を飲んでいるお年寄りだったり、お母さんと砂場で遊んでいる小さな子だったりしましたが、私はなんのてらいもなく、自分の得意な鉄棒をして意気揚々となり、一方で夕方遅く部活帰りに公園に寄ったお姉さんお兄さんが遊び半分、本気半分でバスケットやサッカーに興じるのを憧れの目でみていました。
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あんな感じがいいなぁと思います。自分の心持ちとして。
得意なことをして得意げになっても「マウンティング」などと言われず、一方自分の不得意なことを上手にこなす姿を敬意をもって眺め、年をとった人も障害のある人も、小さい子も少し大きくなった子どもも、まとめてソコにいる感じ。すべてが「日常」の中で起こる感じ。
「日常」の中では「腫れ物扱い」も「異質なもの」もない。
そしてちょっと考えさせられた。
それこそ「寄り添う」なんて言葉がそもそも上から目線なんじゃないか、とか。
#なかなか正解がでない
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う〜む、今回ちゃんと言いたいことが伝えられたか若干不安、、、。
『オワッテンネ』はそこまでメッセージ性を押し出した楽曲じゃないし、MVもキラキラ華やかで迫力満点。ワクワク楽しめます。
こんな私の戯れ事の引き合いに出されて、場違いな感じもあるかと。
人気YouTuberがたくさん登場していることでも話題になったこのMV。はちゃめちゃ感も楽しんでみて下さい。
実はかなりミーハーな私です。
そんな話もまた今度。