ありし日の記憶にて、語らずにはいられない。 #推し短歌
noteさんで「#推し短歌」というイベントが開催していると知り、思わず投稿してしまいました。
「ノンフィクションです。」というと厚かましいのですが、
私自身のありし日、高校生の頃。
心の中で詠んで、どこか片隅に閉まっていた短歌です。
初めて当選した、大好きな推しのコンサートチケット。
それはもうウキウキ気分で当日を迎えましたが、
後に私に残ったものといえば、
どこか雲がかった虚無感でした。
あぁ、全然目合わないじゃん。
ステージ遠すぎ。モニター見た方が早いわ。
そういったモヤモヤから始まる感情は、論理の飛躍性をたくさん孕んでおり。
こっちが必死で名前叫んでも、見向きもしない。
向こうにはちっとも聞こえてないんだろうな。
私は彼にいっぱいお金使ってるのに。
(グッズ代及びファンクラブ代のこと)
どうせ今日も家に帰ったら”大切な存在”がいて、「仕事疲れたわ~。」とかってコンサートを仕事呼ばわりして雑談するんでしょ。
私はコンサート当日までに無理なダイエットもして、痩せて、お洋服も新調して。
まるで、長年片思いをしていた人とのデートが決まったときみたいに浮足立ってたのに。
あぁ、なんか冷めちゃった。時間もお金もかけて馬鹿みたい。
今考えれば「なに急に1人で病んじゃってるの?」という感想しかないのですが、なぜか当時の私はひねくれにひねくれていました。
別にコンサートまでは、いわゆる"リア恋"(推しを応援するという気持ちを超え、リアルな恋愛感情を抱くこと)をしていると自覚していたわけでもないんですけどね。
むしろ、
私はいたって冷静なファンで、分別もある。
推しとリアルで恋愛することなんて求めていない。
ただ日々の活動で元気をもらっているだけです。
と、そんな気持ちでいました。
だからこそコンサート後に自分に残った感情に、とても驚いたんですよね。
画面の中の存在が急に自分と同じ次元に現れて、あまりのまばゆさにくらんでしまったのかもしれません(笑)
「実際にこの世に存在する推しは、あまりに自分との間に距離があって、
どうやっても近づくことはできない。
きっと推しにも素敵な存在がいるんだろうな~。
どんな人なんだろうか。」
これが高校生当時私が詠んだ、
叫んでも 届かぬわたしの 恋心
あなたのとなり 誰がいますか
の直訳ですね(笑)
いやいや、それにしてもとても若かったんだろうな。
noteさんのイベントに機会をいただいて、久々にありし日の推しを思い出しました。
とってもよい思い出です。
ではでは。
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