今起きている現実は、無意識であろうと自分が必要としているから起き続けている。 なぜその現実を必要とするのか?その現実を必要としている、達成し続けたい目的は何なのか?
人生は楽しむためにある 自分自身のためのエンターテイナーたれ
なにより危険なのは なにかが善で なにかが悪であると、 中途半端な「正義」を掲げることです。 正義に酔いしれた人は、自分以外の価値観を認めることができず、 果てには「正義の介入」へと踏み出します。 そうした介入の先に待っているのは、自由の奪われた、画一的な灰色の社会でしょう。 あなたはどのような仕事に就いてもいいし、 他者もまた、どのような仕事に就いてもかまわないのです。 幸せになる勇気 194page抜粋投稿
自らを一種の救世主に仕立てあげることによって、自らの価値を実感しようとする。 これは劣等感を払拭できない人が、しばしばおちいる優越コンプレックスの一形態であり、一般に「メサイヤ·コンプレックス」と呼ばれています。 メサイヤ、すなわち他者の救世主たらんとする、心的な倒錯です。 しかし、不幸を抱えた人間による救済は、自己満足を脱することがなく、誰一人として幸せにしません。 誰かの救済に乗り出しながら、いまだ不幸の只中にいるのなら、自分の価値を実感することだけを願っている。
誰もが命懸けで今を生きている 命という時間を懸けて、 今、今、今 今の連続である命の、この一瞬を 命が終わるまで、生命はずっと 例外なく いついかなるときも命懸けだ。 その意識があろうとなかろうと 今日も命の時間を使い、 命を懸けて食べ 命を懸けて寝て 命を懸けてビーフシチューを作り 命を懸けて息をして 命を懸けて好きなことをする
怒りに声を荒げるのも、劣等感の表れでしょう。 人は自らの劣等感を刺激されたとき、怒りの感情を用いて解決しようとするものです。 幸せになる勇気 162.163page
哲人;ありのままでいいのです。 「特別」な存在にならずとも、優れていなくとも、 あなたの居場所はそこにあります。 平凡たる自分を、「その他大勢」としての自分を受け入れましょう。 「普通であること」は、何ら恥ずべきところのない、ひとつの個性です。 青年;軽口を叩くな、このサディストめ!「お前はどこにでもいる平凡な人間だ」などと言われて、侮辱を覚えない現代人がどこにいる!! 哲人;もしもこの言葉を侮辱と感じるなら、あなたはまだ「特別なわたし」であろうとしているのでしょ
「自立」とは、自らの手で自らの価値を決定することである。 一方、自らの価値を他者に決めてもらおうとする態度、すなわち承認欲求は、ただの「依存」である。 自立とは、精神の問題であり、経済的な側面のみの話ではない。 ゆえに10歳の子供であっても自立することができ、50,60歳であっても自立できていない人もいる。 幸せになる勇気 161pageより
「人と違うこと」に価値を置くのではなく、「わたしであること」に価値を置くのです。 それがほんとうの個性というものです。 「わたしであること」を認めず、他者と自分を引き比べ、その「違い」ばかり際立たせようとするのは、他者とを欺き、自分に嘘を着く生き方に他なりません。 他者との「違い」を強調するのではなく、たとえ凡庸で「その他大勢」であっても、「わたしであること」に価値を置く。 あなたの個性とは、相対的なものではなく、絶対的なものですから。 幸せになる勇気 154pag
ほめられることでしか幸せを実感できない人は、人生の最後の瞬間まで「もっとほめられること」を求めます。 その人は「依存」の地位に置かれたまま、永遠に求め続ける生を、永遠に満たされることのない生を送ることになるのです。 であるからして 他者からの承認を求めるのではなく、自らの意思で、自らを承認するしかないでしょう。 幸せになる勇気 152page
「わたし」の価値を、他者に決めてもらうこと。それは依存です。 一方、「わたし」の価値を、自らが決定すること。これを「自立」と呼びます。 あなたの価値を決めるのは、ほかの誰かではないのです。 幸せになる勇気 152p 深いわー。
生徒からの感謝を期待するのではなく、自立という大きな目標に自分は貢献できたのだ、という貢献感を持つ。貢献感のなかに幸せを見いだす。 幸福の本質は【貢献感】 もし教育者年寺生徒たちから感謝されたがっているのだとしたら 先生のお陰でという言葉を待っているのだとしたら、それは結果として生徒の自立を妨げているのだと思ってください。 幸せになる勇気 123page