何者
「自分ってなんだろう」と最近よく思う。友達とワイワイしている時の自分も本当の自分じゃないし、人に優しくしている自分も本当の自分じゃないし、誰と接していても本当の自分としてしっくりくる私がいない。私ってなんだろう。明るい自分はなんだか自分じゃない気がする。私の根はネガティブで負のオーラを纏っているような人間だ。だから、友達と喋りながらワイワイしているのもなんか違う。だからと言って、この時の私が無理をしているわけではないし、すごく嫌いというわけではない。家族といる時の私も本当の私ではない。家では少しだらしない、あまりしっかりとしていない人間だが、外では比較的しっかりしている方だと思う。家族から「あなたは本当にだらしないね」と言われる。外では気を遣いまくって、だらしないとはかけ離れた生活をしているっていうのに、家族からはこう見られているのかと思うと少し残念に思う。とにかく私がわからない。人によって態度を変える八方美人みたいなもんなのかもしれないな。嫌われたくない。だから、その人に合ったテンションと性格を即座に見出して適応する。これが私なのかもしれない。色々な人と接するから色々な自分がいる。この中に自分だとしっくりくるものはない。私という人間が何なのか。
何のために生まれたのか。知りたい。私がいなくなって悲しむ人はいるのかな。誰も悲しまない気がする。昔は本気でこう思っていた。今は大切な人ができたからきっとその人は悲しんでくれると思うけど、私がいなくなったところで、世界に大きな影響を与えるわけでもないし、大きい砂浜にある貝殻の一粒のようなものだ。そんな少ない人しか私を知らない中で、私がいなくなったところで今日もまたみんな同じ生活をするんだろうな。だからと言って死ぬのは辛い。そんな勇気は私にはない。死にたいと思うことはよくある。あなたが死にたいと思った1秒は誰かが生きたいと思った1秒だみたいなことをよく聞くが、そんなん私には関係ない。死にたいと思ったら死にたいんだ。時々、どうやって死ぬのが1番苦しくないかなとか考える。たどり着いた答えは、溺死は1番苦しいということ。私的にはですよ?でもやっぱり苦しまずに死ぬのは無理なのかな。そう思うと、今日もとりあえず生きようと思う。私は中学生の時に人生で1番病んでいた。自分の腕を切ることは日常茶飯事だった。その時期は毎日明日があるように感じなくて、今日死ぬのかなと毎日考えていた。少しマシになった時期でも私は18歳を迎えずに死ぬんだろうと思っていた。そこから先の未来が本当に見えなかったから。でも、今18歳になって未来のことが見えるようになった。あの時諦めなくてよかったなと思う。生きることは辛いけど、死んでしまったらもっと辛い。やりたいこともやれない。そこで全てが終わってしまうんだ。どんなに未来が見えなくても、過去が辛くても、生きてみようと思った。ああ、今日はどうしてかわからないけれど涙が止まらない。しんどいと久しぶりに思った。こういう日は腕を切っても痛みを全く感じないんだ。久しぶりに皮膚に刃を入れてみようかな。そうしたら少しスッキリするんだよな。私には自分を傷つける以外のストレス解消法がない。物理的にも心理的にも傷ついた私はそう簡単には元に戻れない。何でこんなにネガティブなことを書いているんだろう。そろそろ見苦しくなってきたから終わりにしようかな。でも少しスッキリした。いや、やっぱりそうでもなかったかも。モヤモヤが私を支配している。人に相談したところでって思っちゃうから、ここだけの秘密にしておくね。死にたくはないからさ、誰にも気づかれないようにスッと消えたい。
今日も強く生きる。
生きるのは難しい。だけど精一杯生きてみる。
しんどいな。辛いな。消えちゃいたい。