11年分の思いを込めて綴りました♡胸がじわーっと温かくなる「教育の本質」
毎度毎度、壮大なタイトルを掲げています。
今回のタイトルは決して大げさでキャッチーなフレーズではありませんよ。
私のお話を聞いた方の感想から拝借した言葉です。
はじめに
あなたにとって「教育」とはなんですか?
教えること、育てること。学校や子育てを思い浮かべる方もいるかもしれません。身近にあるようで、どこか漠然としている「教育」という存在。この記事を最後まで読んでいただいた時には、「あぁ、なんか教育って良いなぁ」「なんだか温かい世界だなぁ」と感じていただければ幸いです。
私は公立高校の教員を9年間勤めました。退職して起業を始めてからも、水泳のコーチ、アート講座の講師、健康体操のインストラクターをしているので、「教育」には携わり続けています。合計して11年。現在は12年目です。
なぜ今この記事を書こうと思ったかというと、「教育」に携わってきたからこそ感じられる、豊かさや幸せが目の前に広がっているからです。
今私はすごく充実しています。ですが、始めからそうだったわけではありません。失敗したこと、上手くいかなかったこともたくさんありました。それらを一つ一つ乗り越えてきたからこそ、伝えたいことがたくさんあります。
この記事は、たくさんの方に読んでいただきたい。
例えば、小学校、中学校、高校など学校の先生をしている方。学習塾、英会話、ピアノ、料理などの講師をしている方。スポーツのコーチ、ヨガやフィットネスのインストラクターの方。また、それらを目指している学生も良いですね。こういったところにお子さんを通わせる親御さんにもぜひ読んでいただきたいです。親御さん自身のお子さんとの関わり方にも通じるものがあれば嬉しいです。
仕事の場面はどうでしょう。新人の教育を任されて指導係になった方。チームやプロジェクトをまとめる役割を担った方。
きっと、いろんな方の日常にどこかフィットする部分があると思います。最後まで是非お付き合いいただけたら幸いです。
1. 最初の壁「自分がやるのと教えるのは全く違う!」
私は6歳から大学4年生まで水泳をしていました。水泳では全国大会で入賞することもあったので、「自分が努力すること」や「自分が何かを身につけていくこと」に関しては、少なからず自信がありました。まずこれが、最初の壁になったのは簡単に想像できると思います。”泳げるのだから教えられる”というのは全く別物で・・・、自分が難なくできることを、できない人に教えるというのは未知の体験でした。
私が大学院生の時の話です。この頃、小学校やスイミングクラブで水泳指導のアルバイトをしていました。すでに泳げるクラスのレッスン内容を考えることは容易く、私が少しコツを伝えると選手は喜んでくれたので「あぁ、私でも教えられるかも。」と感じていました。そして、少し過信もしていました。
そんな中、他のコーチの代行で、平泳ぎのクラスを受け持つことがありました。私はそのレッスンで、自分の「教える力」のなさに愕然としました。そのクラスは平泳ぎを習得するためのクラスなので、つまり、平泳ぎができません。できないのですから、「上手くなるため・速くなるため」のレッスン内容は全く通用しません。
私はなんとかその場で知恵を絞って、手取り足取り、平泳ぎの足の曲げ方や手の掻き方を伝えましたが、選手たちはいつもとは違うレッスンに動揺を隠せず、不満げにプールを後にしました。私にとっては少し苦い体験でした。
ですが、この経験があったからこそ、「教える力」を身につける必要があると感じたのです。幸運にも、当時は大学院でスポーツ教育学を学んでいたので、その後はこの失敗を克服するための環境を存分に活用することができました。
2. 次なる壁「体育の先生だからといって、何でもできるわけじゃない」
先ほどの話は、水泳(=できること)を教えられなかったというエピソードです。今回は、バレーボール・バスケットボール・サッカー(=できないこと)を教えられなかったというエピソードなので・・・随分と苦戦したことは容易に想像できると思います。
体育の先生にも、実は2パターンあります。1つ目は、「運動大好き!昔から運動は大得意!何でも器用にこなせます!」というパターン。そして2つ目は、「自分の専門競技以外は、全然ダメ!むしろ・・・運動音痴?!」というパターンです。私は後者です。
なぜこの2パターンが生まれるかというと、体育大学や体育学部へ進学するプロセスにもつながり長くなるので割愛しますが、自分の競技性を高めた結果です。私の大学時代のクラスメイトには、体操競技では日本トップクラスだけど金槌で泳げない。自分の競技では世界大会まで出ているのに、ダンスは全くダメ。そんな人が多くいました。
そんな人たちがなぜ体育大学の授業や採用試験をパスできるのかというと、持ち前の努力と忍耐力のおかげです。練習すれば上達するのです。私もバレーボールの授業をパスするために、何度再試験をしたことか・・・。
前置きが長くなりましたが、このような理由で、体育の先生でも苦手な種目・できない種目があるのは珍しくありません。ですが、生徒からしたらそんなことは関係ありません。「先生だからできる」「先生だから上手に教えてくれる」無条件にそう思っていて普通です。先生になったばかりの私は、その壁に大変苦戦しました。
自分ができないことを人に教える。「見本を見せられない」「できなくて生徒に馬鹿にされたらどうしよう」「できなくて生徒から信頼されなかったらどうしよう」「生徒の方ができるし知っているのに、間違ったことを言ったらどうしよう」そんなことを毎日考えながら、遅くまで学校に残ってその種目のことを勉強したり教え方を調べたりしていました。
ですが、こうした下積みの期間が長くあったからこそ、「教える力」の基礎を実践と失敗を繰り返しながら太く確実に磨いてこれたと思います。
3. 転換期「5年目に感じた”実力がつく”ということ」
教員を始めて5年目の4月のことです。私は例年同様、緊張した状態で1年生の初回の授業に向かいました。「初回の授業が大事だ!」「ここでつまずくと信頼を取り戻すことが大変だぞ」そんなことを考えながら1年生の授業へ行くと・・・例年と違う感覚がありました。
生徒たちは、まだ関わってもいない私をすでに先生として無条件に信頼していたのです。その時すでに5年目。見た目も雰囲気も、もうすでに「若い新しくきた先生」ではなくなっていたのです。
それまでは、私自身もどこか肩肘を張って「しっかりしなければ信頼されない」「失敗したり上手くやれなければ舐められる」と完璧を求めていました。
ですが、5年目になった時、舐められるどころか無条件に先生として信頼されていると感じたのです。(例えば、それまでは先生と呼ばれず「なつ子ちゃん」「なつ子!」と呼ばれていました。)むしろ、私の何気ない言葉や態度に、生徒は緊張したりこわばったりしているように見えました。
これは、私自身の在り方を見直す必要がある!そう強く感じました。
また、5年目になると、これまでの生徒との授業での関わりや積み重ねのデータがあるので、「こういうときはこうしたら良い」「この場合はこうだ」と、私自身の伝えられることにも迷いがなくなってきました。さらに、学校には私よりも新しく若い先生も増えて、自然と教えてもらう立場から教える立場にも変化していました。
この頃は、生徒だけでなく、教育自習や一年目の先生の指導係を任される機会もあり、「教える力」が急激に伸びた頃でした。実力がつくとはこういうことなのか、と実感した頃です。
私の在り方が変化して、生徒との関わりも周りの先生方との関わりも変化していきました。
4. 新たなステージへ「8年目に起こった世界的な大混乱」
少しずつ変容を始めた私の在り方を、完全に変えるきっかけがありました。
2020年に起こった新型コロナウイルス感染症による世界的な大混乱です。
私はそれまで信じていた価値観として、「苦しいことや辛いことがあっても努力を続ければその後きっと報われる」「将来幸せになるために、今苦労して自分を成長させたり何かを身につけておく必要がある」こう言ったものがありました。その信念があったからこそ、高校時代に関わる機会とご縁がある生徒たちには、「将来役に立つ力を高校生のうちに身につけてほしい」そんな思いで関わっていました。
ですが、世界が一変して、当たり前が当たり前でなくなり、これまでの価値観が通用しない日々が続きました。例えば水泳であれば、「大会で結果を出すために毎日練習をする」というのがこれまでの当たり前でした。しかし、「大会が開催されるかどうかもわからない中、何を目的に毎日制限された中で練習をする必要があるのか?」それを考えずにはいられませんでした。
それは、教育のあり方についても考えさせられる機会となりました。大人の私たちでさえ、不安や喪失感、恐怖を感じていて、先の見えない状況であるのに、どうやって生徒を導けば良いのか?何に向かって日々過ごせば良いのか?
私はこの期間に大きく価値観を見直してきました。そして、先の希望やはっきりとした答えがない状況でも、オンラインで生徒と関わり続けました。
この時、私は退職するか教員を続けるか、さまざまな理由があって悩んでいたのですが、退職を選んだ一つの理由があります。それは、自分が心から大切だと感じる教育のあり方を全うしたいという思いです。
5. 自分の信じる「教育」を全うするために
あの頃は、学校現場も混乱していました。ですが、非常事態だからこそ感じたこともありました。「んー、なんか違うなぁ。」「本当にこれでいいのだろうか?」これまでに小さく感じ積もっていた学校現場のほつれが、非常事態になって露わになったように感じました。
誤解しないでいただきたのは、私は学校現場に不満があって辞めたのではありません。(いや、不満はありましたけど、たいした不満ではないという意味です。)
学校は本来素晴らしい教育機関です。多くのことが学べて、経験できて、成長がある。それを見守る大人がいる。失敗を糧として成長に繋げるサポートが整っている。多種多様な人が集まる。普通に学校生活を送っているだけでは気付きませんが、本当にたくさんの学びと成長の機会が保障されているのです。ですが、理想と現実が違うのは世の常であり、理想と情熱に燃えて教師を志してもそれを全うすることはとても大変です。
もし、新型コロナウイルスの大流行がなければ、私は学校教育の掲げる理想を追求するために、30代・40代のうちは苦労して、「なんか違う」と思っても屈せず実力をつけて、50代になり管理職を目指すことも考えたでしょう。しかし、当たり前にあると思っている未来なんてない。一日一日の積み重ねしか、未来を切り開く術がない。先行き不透明なあの時期に感じたことは、「今」からやっていかないと望む未来には辿り着かないということでした。
私は今でも、学校現場で得たことには感謝しています。
だからこそ、活動の場所を変えてもなお、教育と携わり続けているのだと言えます。
6. 「教育の本質」
こちらは2020年の3月に、アドラー心理学をテーマに書かれた名著『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』を基にまとめた文章です。
教育の目標とするところ「自立」
自立とは、「自己中心性からの脱却」
教育とは「介入」ではなく、自立に向けた「援助」である。
「自立」という目標を置き去りにしてしまったら、教育やカウンセリング、あるいは仕事の指導も、すぐさま強要へと変貌する。
行動面の目標:
①自立すること
②社会と調和して暮らせること
心理面の目標:
①わたしには能力がある、という意識
②人々はわたしの仲間である、という意識
「信頼」「尊敬」「自立」
大切なのは、なにが与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである。どんな相手であっても尊敬を寄せ、「信じる」ことができる。
それは、環境や対象に左右されるのではなく、わたしの決心一つによるものである。「その人を信じる自分を信じる。」他者を信じるにあたって、いっさいの条件をつけない。
人間の価値は、「どんな仕事に従事するか」ではなく、その仕事に「どのような態度で取り組むか」によって決まる。
尊敬とは、人間の姿をありのままに見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のことである。尊敬とは、その人が、その人らしく成長発展していけるように、気づかうことである。尊敬とは、いわば勇気づけの原点。
自分もそうありたいと請い願うようなあこがれにも似た感情は、恐怖であり、従属であり、信教である。
水辺まで連れて行くことはできても、水を香ませることはできない。どんなに優れた教育者であっても、対象が変化する保証はどこにもない。
尊敬の語源は「見る」。自分の価値観を押しつけようとせず、その人がその人であることに価値を置く。さらにはその成長や発展を援助する。それこそが尊敬。
他者を操作・矯正しようとする態度にはいっさいの尊敬がない。他者の関心事に関心を寄せる。「勇気」「尊敬」は伝染する、そして「臆病」も。
これは教育を語ったものの一つの例ですが、私自身すごく実践したいものだったのでここに引用しておきます。
7. 小さな実践を積み重ねた4年後の今
私は、学校に生徒が戻り始めた2020年の夏以降、小さな実践を積み重ねてきました。
まず取り組んだことは、「本音で語ること」です。
以前の私は、自分ではAと思っていても、「学校の方針はBだから」「先生という立場上B」というような感じで生徒と関わっていました。それ自体が間違いということではありません。ですが、生徒は本音で私にぶつかってきているにも関わらず、保身の気持ちから学校の方針を盾にして、本音を隠した会話をしていることもありました。
まずは小さく、休み時間の他愛もない会話から、少しずつ「本音」を語る練習をしてみました。これは失敗談ですが、本音を出しすぎた結果、生徒ではなく同僚とぶつかることになった例も多々あります。
それでも、この時の小さな小さな実践の積み重ねはのちに私の人生をとても豊かにしました。
2022年3月31日
私は9年間の教員生活にピリオドを打ちました。今は、生まれ育った町で、地域の子供達に水泳を教え、地域の大人の方々にアートや健康体操を教えています。両親のつながりで、町の方々と接する機会もたくさんあり、たくさんの方に囲まれて充実した日々を送っています。
2020年夏に始めた小さな実践は、今でも続いています。水泳を通して、アートを通して、最近は友人の小さなお子さんにまで広がります。3歳、4歳のお子さんから70代の方にまで。
私の「教育」の実践は多岐にわたります。最近は、高校を卒業した生徒たちが結婚して、子どもができて会いにきてくれます。立派な仕事に就いた、高校時代の夢を叶えて働いていると報告してくれます。町の飲食店やスーパーでふと会っても、挨拶や雑談をしてくれます。
毎日プールへ行きますが、選手たちの頑張る姿や成長する姿がとても眩しく、尊く感じます。教員になった頃、あんなに肩肘を張っていた私は今、とっても安心して選手や受講生の方々と温かい関わりをしています。
今私はすごく幸せで充実した毎日を過ごしています。
終わりに
最後まで読んでくださってありがとうございました。
読み始める前に持っていた、あなたの「教育」に対するイメージは良い方向に変化しましたか?そうなっていたら嬉しいです!もちろん、伝わりにくいところやわかりにくいところもあったかと思います。記事は私自身これからも読み直して丁寧に改善を重ねていこうと思います。
私は、記事にも書いたように、「教える力」を磨き、「教育」を実践してきて今があります。一回の記事では語りきれないほどの実践例や失敗談、成功談があります!小さな成功から大きな成功まで。
私は、こうした「教える力」や「教育」について興味関心を持ち、情熱を持って実践する方々と繋がりたいと思っています。
そして語り合いたいと思います。きっと、温かく楽しく、情熱にあふれた時間になることと思います!
最後に、この記事を読んで、私と話してみたいと感じた方にはこちらの個別セッションをご案内させていただきます。
初めての方も是非お気軽にご活用ください!