日本中の「チーム自慢」を集めましょう。 みなさんの現場のお話をお待ちしております!
2005年の11月から約14年。お世話になったヴァル研究所を2月末で卒業する。 社内からは「そうだと思った」とか「ちょっと早かった」というレスをもらうので、一部の人には想定内の出来事らしい。 「よっしゃー、これ幸いに恨みを存分に書いてやろう!」という退職エントリーじゃー!!!!という訳ではない。 これまでの私の社内外での発信や「消すことのできない言葉」で傷ついたり、被害を受けた人もいるだろう。だから「告ぐなう」ことの方が多いのかもしれない。 なによりも、私自身が恨み辛みとか
もやり・ふりかえりを月に1回は定例化したいけど、メンバーの時間がとれないのでいつの間にかふりかえりがなくなってしまう。 ・ふりかえりが定着していない状況では、メンバーがかしこまりすぎてしまい発言が出てこなかったり、場が固く重たい空気が流れてしまう。 ・メンバーの参加するモチベーションが低かったり、他のミーティングを優先して欠席者が多い。 解決のアイデアそんな場合はコーヒーのみながらの雑談的に情報共有するだけでも良い。愚痴の出し合いでも良い。 給湯室やタバコ部屋のような雰囲気
ふりかえりのテーマを決めることに苦労している人もいる。 「どういうことだ?」 「テーマなんて、そこらへんに落ちているでしょ?」 と反応してしまう人の方が多いかもしれない。でも確実に困っている人がいる。 話を聞いてみると、前提や背景があることに気がつけた。 ふりかえりでは、下記のような呪縛があってテーマを決めるのに苦労していたのだ。 困っている課題を全部解決しなくてはいけない 大きなカイゼンや大改革をしなくてはいけない 必ず今までよりも良い結果を生み出さないといけない
もやり ミーティングの際、ファシリがスライドを画面に映しながら、進行やログ取りを一生懸命ひとりでやっていることを良く見かける。 ファシリがしゃべり、ログし、他のメンバーは聞かれれば答えるというスタイル。自律的なチームと何か違う気がする。 画面に映しながら見える化しているし、チームのメンバーから意見も聞いているし、合意は得ているし、ファシリのコントロールで会議体を進められている。問題がないと言えばないのかもしれない。 でもなんか違う。メンバー自ら自己発信し、自身の意見を表明
言ったこと、書いたこと、それは本当に相手に伝わっているのか? 仕事をする上で必ず必要となってくるコミュニケーション。 ドキュメントに頼りすぎるのも良くないし、会話だけに頼りすぎるのも良くないと思っている。 トラブルが発生したときや迷ったとき、同僚の席の近くに行ってフェイス・トゥ・フェイスで画面見ながら、裏紙に絵を書きながら、ワイワイガヤガヤと話ができる関係性が最高だと思う。 そう「見える化コミュニケーション」だ。もちろんリモートワークでホワイトボード系サービスを使うのでも構わ
電車の中でふたりの大学生が同時に発話しながら話していることを見て驚いた。しかも、楽しそうな会話が成り立っているのだ。ケラケラ笑い合っている。 「え、会話成り立つの?聞こえているの?」と心の中でつぶやいていた。 コロナ前は自分も自然とやっていたのかもしれないが、オンラインミーティングでは同時に喋ると聞き取れないこともあるため、少し待ってしまうことがある。トランシーバーの会話のように、どっちかが喋って、発言の終わりに「以上です」「次どうぞ」などを挟んでしまう。なんとなく相手に回
みなさんのふりかえりは、くらーい反省会や誰かを責めるような場になっていませんか?そんなふりかえりだと、参加するのもツライですよね。 ふりかえりが、アジャイルプラクティスで重要だということに異論がある人は少ないでしょう。 チームでふりかえりをする際に、何がメリットなのか、個人的にちょっと考えてみました。 カイゼンで成長を感じられる 同じミスや過ちを繰り返さないで済む 自分では気づかなかった盲点に気づける 他者の関心事を把握できる 自分では気が付かなかったカイゼン案が
タスクボードでの見える化はアジャイルを実践していく上で必須のプラクティスだと思っています。 自分自身の中で、何がメリットなのか、ちょっと考えてみました。 頭で記憶しておかなくてよい 「今日やらないこと」を判別できて覚えておく必要がない タスクを整理することで落ち着く ひとつのアイテムずつ転がしていくので、達成感が得られるのが楽しい 抜け漏れを防げる 他者と共通認識を持てる 見える化したボードに向き合いながら指差しながら「あれやこれや」と会話ができる 優先順位の
管理職やリーダーなど、マネジメントスキルとして出てくる「傾聴」。 実践するのは、なかなか難しい。 1on1や面談など、誰かと話す機会はリモートワークになってさらに重要度が増していると思う。 出社時には、通勤時間やランチの時間で廊下ですれ違ったり、エレベーターホールなどで、何気ない会話をしていたことが、ほぼなくなったため、情報のINPUTの偏りが出ているのだろう。 コロナ前まで得られていた・どこかしらから得ていた業務内外の情報の流入が減っているのだと思う。 これらを補完しながら
リモートワークが前提になり、企業研修やワークショップも全員がリモートで参加するスタイルになってきた。 私自身も、研修コンテンツをリモート用にカスタマイズしたり、素材の仕込みをしたり、事前脳内シミュレーションをする機会が増えてきた。 これまでの対面研修のコミュニケーションは、受講者の顔色や声のトーンから満足度や理解度をなんとなく把握していた。 これらは誰しもがそうだろうが、家庭や学校などでの圧倒的なコミュニケーション量から学んでいたんだろう。 しかしリモートだとそうはいか
書籍「チーム・ジャーニー 逆境を越える、変化に強いチームをつくりあげるまで」が2.17月曜日に発刊される。 僭越ながら「推薦のことば」を提供させていただいた。前作の「カイゼン・ジャーニー」を共著させていただいたご縁をありがたく頂戴したのだ。 秋頃に依頼と原稿を頂戴したわけだが、まぁそれなりに忙しかった。だけど依頼された週に読み始めてしまった。読み始めたら止まらなかった。面白すぎたからだ。なんせ連続して2回も読んでしまったくらいだ。 物語だけでなく、状況に合わせた試行錯誤
むかーしむかし、四半世紀前、サッカーのコーチをしていたことがある。そのチームは県内でも結構強かった。もちろん今も超絶な強豪だ。 チームである以上、キャプテンが必要になる。キックオフの際の先制のボール選択だったり、観客に対して挨拶などの声がけなんかしたり、まぁ。メンバーをリードする役割。通常は、一番上手な子がキャプテンになると思うだろう。 しかし、このチームでは一番上手な子をキャプテンに選ばずに、キャプテンを月ごとに変えていた。 なぜなら、一番上手な子は自分はキャプテンだ
テレビ神奈川で放送していた「おいしい給食」が結構面白かった。たまたまテレビをつけたらやってた。 学校給食に対して、変態と言っても良いくらいのこだわりが凄まじい。 出典:ドラマ「おいしい給食」 第1話「海の王者、鯨の竜田揚げ」 1984年の夏の出来事。生徒と教師が給食の味わい方をバトルする。甘利田先生を上回る神野ゴウ君の給食愛もハンパない。 私の心にフックがかかったのは、ドラマの最後に出てくる甘利田先生のセリフ。 それぞれが適量を愉しめば良い。 給食はもっと自由で良い
学生の頃、部活を引退したあと、ふと思ったことがある。 ひとりではサッカーできない いま、やりたい! 大きなグランドでボールを蹴りたい! ゴールを決めるアドレナリンを感じたい! でも、22人いないと試合ができない。 放課後に学校でサッカーしたいと思っても、受験勉強などあるからできないのだ。 引退の瞬間には全く何も感じなかったのに。蘇る思い。 心の奥底からフツフツと湧き上がるパッション。 寒い冬の早朝の朝練や、ツライ走り込みの練習などは、大嫌いだったけれど、ボールを追いか
過去の思い出から抜け出せないキミへ。ボクはいまこのラブレターを書いている。10年前の2009年、ボクは何をしていたか? これは、DevLOVE Advent Calendar 2019「それぞれの10年、これからの10年」の12月1日分の1発目の投稿です。 2009年頃、ボクはC言語を使ってHTTPサーバーだったり、XML-RPCでRestチックなAPIをゴリゴリコーディングしていた。RFCを読みながら、TCP/IPのパケットをバイトコードで構築したりと、なんともマニアッ
雑談の中でこういった評価をもらった。 適当にぶっ込んで適当に打ち返してくれる人 雑だけど、的確な表現すぎて、いま、噛み締めている。 自分なりに言語化を試みると、 ハイコンテキストで短い言葉であっても、勝手に思いをめぐらし、適当にWhyを考え、脊髄反射のごとく反応してもお互いに人格否定されているとは思わず、それでいて共感もできる関係性で、より大きなゴールや価値観を握れている。だから、真正面に直球の返球があっても、斜め上から来ても、異なる方向に知らぬ間に発展をしたとしても