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事実と真実〜評価に翻弄されるということ〜


こんにちは、ひらく です
ちょっと流行病にかかったり勉強したりで 間があいてしまいました。
集中が切れると手が動かなくのは 悪いクセですねー。
常に同じテンションでやるべきことをやり切る人を見ると、私はつい男女の別なく惚れてしまいますw


前回は「事実」と「真実」の違いについて書きました。
「事実」とは実際に起きた嘘偽りのない事柄のこと
「真実」とは事実に対する偽りのない解釈のこと

だから事実は1つだけど、事実は解釈した(された)分だけあるよー
ということまで書きました。
(ナンノコッチャ?な方は1つ前の記事から読んでいただけたらうれしいです)

私はこの2つの違いを知って、大発見したのです。
それは…
Aさんが評価した私(Aさんにとっての真実の私)と私という人間(私という実態=事実)は
必ずしもイコールじゃないということ。

え? 当然?
それを感覚的に知っていた方は 素晴らしいと思います。
私はなぜかずっと、自分という人間は評価された通りのものなんだと思ってきたのです。

ここに気がついたのは、こんな経緯でした。

わたし、苦手な野球選手がいたのです。
なんかチャラチャラしていて 軽薄な感じ。
才能だけで登り詰めて来ちゃった?なんて
あんまり良い印象を持っていませんでした。

ある時、テレビを見ていたらその人が出てきました。本人が懐かしい地元を訪問して、いろんな人と会う番組です。
そこでさまざまなエピソードが語られました。

その選手はプロとして貰った最初の給料で7,500円の安いグローブを買い、そのグローブがダメになったら引退すると決めたというのです。

いかなる時にもプレーを道具のせいにすることなく、感謝して日々道具の手入れをすることを己に課す。
これは道具を大切にしなさい、という父の教えを守ってのことでした。
実際に彼は、引退するまで17年間その たった1つのグローブを使い続けたというのです。

他にも彼にとってのオシャレの意味やお金の意味など、彼の考えを知ってから一転!
私は彼を大好きになりました。

何かのきっかけで、人の新しい一面を見出してその人を好きになった経験は 誰にでもあるのではないでしょうか?

さて…
私の中で 彼が苦手 → 好き!に変わったのはなぜでしょう?
彼はずっと彼のまま、何も変わっていません。

変わったのは
『私が持っている情報』だけです。

人って、自分が持っている情報だけで人を判断するのです。
ある人にとってそれ(評価の元になる情報)は真実だけど、事実はまた別にある。
そこに気づいたことで、人から評価されることが以前より怖くなくなりました。
評価とは一部の情報の中だけで判断された、その人にとっての真実なのだと分かったからです。
他人の評価によって 自分自身の価値まで翻弄される必要はないのだと、得心した出来事でした。

事実と真実
言葉の違いを知るだけで、考えの何かが変わるというのは面白い体験でした。

余談ですが、なんと『ミステリと言う勿れ』という漫画の中でこの『事実と真実』について語られているようなのです!
何巻に収録されているのかは分かりませんが、noteにもそのことに触れた記事を見つけました。
どちらにも ぜひ出会ってみてください。

何かがひらくといいな!

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