見出し画像

【エッセイ】ほめたい

私は基本的に生徒をほめる
というか叱らない
漫才でもつっこまないツッコミが斬新だけれど
叱らない大人はそれに相当するんじゃないだろうか

たとえば
模試の成績を前にして私たち塾の人間がやる面談は
なにこの成績こんなんじゃ行きたい大学に行けないよ!
というダメ出しではなく
なんでやろうなあ
なんでやとおもう?
と生徒の言い分を聞く場だと思っている
生徒にもいろいろある
やらなあかんと思いつつも気分でやるから一定した勉強時間が確保できてない、とか
やってるけどやってるつもりな勉強方法になっちゃっている、とか
言い分を聞き出しそれに応じて対処法を一緒に考えるのだ。

そういや
私がこの仕事を始めた頃
受験なんて大昔で自分の経験した受験以外、知識も想像もできなくて
でも生徒は可愛いから
ふんふん話を聞いていた
それこそ
なんでやろうなあ
なんでやとおもう?
とぼんやりした面談をしていた
(もちろん答えてやりたい!と焦燥感は持っていましたよほんと)
そうしても
話をいつも聴いてくれた、とか
否定することなく自分の意志を尊重してくれた、とか
良いように解釈してくれる生徒もいて救われたのだけども
私自身、成長しなきゃと思ったし
やっぱり保護者の要望は強かったりして
懐いてくれていた生徒が全落ちしたときとかお叱りを受け、トイレで泣いたこともあった
(´ω`)

あ、そういえば
かの有名な心理学者の河合隼雄氏は
カウンセリング中、爪切りながらクライアントの話を聞いて切り終えた頃、クライアントはスッキリして帰っていくという逸話もあるぐらいだ
ってなんの話

さておき
それだけ親身になって話を聞いたり
一緒に改善策を考えたりその場ではしても
その後、全くやってなかったり
約束したのになんにも言わずにこなかったり
そういう子もいる
それでも私は叱らない
小中学生じゃないのだ
必要でないと判断したからだろうと思うし
自分のやり方があるならそれでやってもらえばいいと思う

ある意味、叱らないというのは冷たいとも言えるんだと思う

そしてさらにはそれもほめるのである
やらないけどほめる
できてないけどほめる
そうやって手放しでほめられると
結構人は焦るのだ
ほんまにそれでいいのか?
手放しでほめるということは基本的にそれ以上は知りませんよと言ってることと同じかもしれない
叱りの方が依存を生むのではないだろうか
どっちがいいのでしょうね

ネットで見てても
ほめて伸ばす、とか
ほめてはいけない、とか
いろいろ出てきます。
どっちがいいのでしょうね

ほめたい
ホミタイ
hold me tight
(´ω`)

私はほめたい
ほめられたい

みなさんは人をほめたい方ですか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?