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《小説》エリザベス・ストラウト『何があってもおかしくない』早川書房

おはようございます。
毎日編み物をしながら暮らしたいアランアミです。
GW中はアマプラで映画やアニメを家族と見ながらざくざくカーディガンの袖を編んでいます。

今日は図書館で借りた本の紹介。

エリザベス・ストラウト『何があってもおかしくない』早川書房

最近同じ作者の『私の名前はルーシー・バートン』を読んで面白かったので、関連作品んも覗いてみた。
この2冊はセットで読むのが良い。

娘に「どんなお話の本だった?」と聞かれ、「家族とか昔通っていた学校の
用務員さんとか、いろんな人が出てくるんだけれど。誰の人生にも「何があってもおかしくない」って思えるエピソードがあるよねって話かな。」
ふーん、と返事をされた。

貧困家庭から脱出して作家としてNYで活躍しているルーシー・バートン、裕福で不自由ない暮らしをしていたけど母親の不貞でぐちゃぐちゃになったナイスリー家、それからあの人とこの人が実は今は仲が良いとか。

娘に紹介するにはちょっとどろっとし過ぎているエピソードが多いんだけれど、泥をどかした先にまっさらな綺麗なものが見える。そんな物語たち。

『私の名前はルーシー・バートン』

ルーシー・バートンの入院は、予想外に長引いていた。幼い娘たちや夫に会えないのがつらかった。そんなとき、思いがけず母が田舎から出てきて、彼女を見舞う――。
疎遠だった母と他愛ない会話を交わした五日間。それはルーシーにとって忘れがたい思い出となる。
ピュリッツァー賞受賞作『オリーヴ・キタリッジの生活』の著者が描く、ある家族の物語。ニューヨーク・タイムズ・ベストセラー。

Amazon商品ページより

最初に読んだ『私の名前は〜』はルーシー・バートンの視点で全編が語られる。
時間軸は昔話で過去に飛んだり、入院後の未来に進んだりと切り替わる。
人はいつも誰かと自分を比べてどちらが優位なのかを意識しながら、何かを抱えながら生きている。
そんなお話だった。


連作短編で新しい発見をする

今回読んだ『何があってもおかしくない』は前作のルーシー周辺の人たちが語り手になり、連作短編の形で進んで行く。

登場人物が多くて、読み終わった後に改めてメモをとった。

マーカーしてあるのが短編のタイトル
ピンクで丸をしてあるのが語り手たち

私は連作短編とかスピンオフ作品が好き。
こっちの角度からみるとこう見えるのか、という立体感が好ましい。

前作ではパッとしなかったルーシーの兄ピートが出てくる「標識」と「妹」も面白かった。
お兄ちゃんも味わい深い人。

「妹」

「妹」ではラグのくだりが印象的だった。

家を出てからさっぱり帰ってこなかった妹のルーシーが帰省する。
実家の掃除をし、ラグまで買って待つ兄のピート。
ルーシーからはラグを褒められた。
もう1人の妹ヴィッキーはルーシーと臨戦態勢。
ピリピリした空気の中での一場面がちょっと笑える。

ピートはラグに目を落とした。ラグにどなられているような気がする。おれを買ってくるとは、お前も馬鹿なやつだぜーー。

エリザベス・ストラウト『何があってもおかしくない』 「妹」より

ルーシーの成功を喜び帰宅を歓迎した自分とルーシーは自分たち家族を捨てた薄情ものだと怒りを露わにするヴィッキー。
この対比をラグに咎められているように感じる感性がいいなって思った。

いつまでも続く幸せも不幸もない

「有り得ない」ということは有り得ない。
そんな人たちの人生を覗ける小説だった。
どちらかというとみんな不幸によりがちだけれど、不幸な状態がずーっと続くということもないんだなと思った。
そして周りの人の生活をジャッジしてみんな生きている。
あの人よりマシという気持ちが支えになっていたりする。

そんな不安定で不確かなものの中に美しいものがあったりする。
「標識」で出てくるルーシーとトミーのチョークのエピソードやピートが標識をしまう場面。
「ミシシッピ・メアリ」で描かれる開放されたメアリとイタリアの街。
「ドティーの宿屋」では不条理な客にキッパリとものを言った後に、以前の宿泊客で素敵な人がいたなと思い出すドティーの姿。

この人の文章が好きだなと思った。
他の作品もまた読んでみよう。

ではでは、良い1日を〜

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