生まれる前からずっと、共に歩んでくれたひとに。
休日の朝、偶然SNSのタイムラインで目に留まった、
見知らぬ女性の書いた文章が、ずっと心に残っていた。
おそらく私にも、何か思うところがあるからこそ、ここまで心に引っかかるのだと直感した。だから、ひとまず思考のポケットに預けたまま一日を過ごした。
ここでようやく、再びそれを引っ張り出して、
自分ごととして改めて考えてみたいと思う。
さて、今月になって、実家に住む母の坐骨神経痛が、夜も眠れないほど酷くなった。以前から、足の痺れや痛みを訴えることは時折あったが、かかりつけの接骨院で診てもらえば、たいてい数日で症状は和らいでいた。
しかし、今回は様子が違ったようだ。
もう、どうしたって痛い。布団に横にもなれない。仕方がないので、椅子に座ってみたり、布団に寄りかかってみたり…。夜通しそんな状態で、一度も布団に横たわることが出来ないまま、何日も過ごしているというのだ。
夜も眠れないほどの痛みなんて、私は経験したことがない。後で母から聞いた話だが、夜通し痛みに耐えながら、「もうこんなに痛いなら死んでもいいや」と思ったというのだから、もはや想像を絶する苦痛である。
「どうしてそこまで放っておけるの?
お母さんは、痛みに対して辛抱強すぎるんだよ!」
私は東京に凄腕の先生がいること、本当に痛いなら連れていく旨を母に伝えた。しかし、母は「コロナが怖い」という理由で、上京することを頑なに拒んだ。しかし、翌日も症状は変わらないどころか、むしろ悪化した。
本人としては、いつものように何日か経てば、
少しは治るだろうと思っていたのだから無理もない。
それでもやはり、東京に来ることをためらった。
「いやいや、コロナが怖いったって、痛くて一睡もできないんじゃ、そっちのほうが一大事だから!」
さすがに今回は痛過ぎたんだと思う。ようやく決心がついた様子で、父の運転で東京へ来ることになった。
「酷いねえ…」
当日治療に立ち会った私に、先生は言った。今回の痛みを引き起こした原因のほかにも、母の身体には随所に問題があった。状態は常時イエローゾーンを通り越してレッドゾーンなのに、いよいよメーターが振り切れて初めて、本人が痛みとして自覚しているというのだ。
私は先生の隣に立ち、診察台に横たわった母の身体を、初めてちゃんと触った。
「これだよ、この大きいの…」
太腿付近にある動脈瘤、腹部に溜まった老廃物の塊。
それらは、ギョっとするほど硬く大きなものだった。
こんなのが身体にあって、なぜ平気でいられたの?!
本人は以前から自覚していたようだが、さほど気に留めていなかったという。
私からしたら、信じられないことだった。
だけど、先ほどの記事を読んで、
それがどういうことなのか、少し解った気がする。
私が自分の健康にちゃんと意識を向けられる理由は、母のように仕事・家事・子育て・介護など、多岐にわたる重労働を何ひとつ背負ってきたわけでもなく、すべての時間とお金を、自分のためだけに使えているからだと。
母はいつも、自分のことは後回しだった。
自ら仕事を持ちながら、私や妹が高校生のときには、朝早くからお弁当を作ってくれた。出勤するクルマのなかで、信号待ちの間に化粧していた姿を思い出す。私が高2のときに始まった祖父の介護も、自宅・病院合わせて14年間、一日も休まず献身的に面倒をみていた。
お風呂に入るのも、家族のなかでだいたい最後。リビングでテレビを観ながら寝落ちして、夜中に目覚めて皿洗いをしていたっけ。今も実家で祖母の面倒をみている。しかも、掃除したそばからひっ散らかして歩くようなパンクロックな婆ちゃんだ(笑)祖母のあとを追っかけて掃除しても、また振出し以下に戻るのが常なのだ。
母には自分の健康を顧みる余裕などなかった。
ああ、ごめんね。こんなになるまで気がつけなくて…。
おかげさまで、施術を受けたその日の晩、母は6日ぶりに布団に身体を伸ばして眠ることができた。あと数回の通院が必要になるが、着実に快方に向かっている。
本当によかった…。先生、ありがとう。
せっかく退職を迎えたのだから、今度は私が美味しいモノを食べさせたり、旅行に連れて行ったりしたい。母がどこにだってクルマを走らせ、私と妹に、幼い頃からさまざまな体験をさせてくれたように。今からでも可能な限り、健康で楽しい老後を送ってもらいたいものだ。
きっと多くの母親がそうなのだ。自分の健康や美容、キャリアに構っていられないときもある。いつも誰かを優先して生きてくれている。自分のことなど何一つできないまま、何日も、何年も過ぎていくのだ。
そんなの当たり前なんかじゃない。
本当に本当に、「ありがとう」なんだ。
それでも時を経て周囲の人間がその偉大さに気づいたとき、愛おしく思える「やさしい日々」なんだ。
先日、SNSで2万人超のフォロワーを持つ30代女性起業家(独身)が、以下のような内容を発信していた。
「かつて社内にいた30代40代の先輩で
憧れの女性はひとりもいませんでした」
「プチプラで満足人生に成り下がるな」
「日本で突き抜けるのは簡単。
みんな継続できないから、続けていれば勝手に消える」
まぁ、実際そうなんでしょうけど、なんか…非常にモヤモヤしたなぁ(笑)すべてのお金や時間をビジネスに突っ込める立場の視点でしか語られていないから。想像力がないというか、やさしくないというか…。
確かに彼女は「成功」しているかもしれない。
でも、「素敵」ではないなと思ったのでした。